第19話 マナの弓矢 ①

 根岸森林公園の中に入ると、亮は跳躍から走りに変えた。空気の中にプラスチックや金属が燃えている異臭が鼻を刺した。


「亮くん、下ろしてください。ここからは自分で走れます」


「ああ」


 亮が足を止めると、優月は彼に下ろしてもらうよりも前に、首に回していた手をぱっと離し、飛び降りるようにして離れると、煙の元へと走り出した。


「おい!!待ってくれ」


 亮のことを振り返りもせず、一心不乱に走っていく優月の慌てぶりに驚き、亮はその後を追いかける。


 煙は空へと昇り、雲となって月を遮っていく。次第に優月の髪が、銀から黒へと変わっていった。


 二人が煙の立つ場所へと辿り着くと、そこには大破し、バラバラの瓦礫と化したマシンが残っていた。炎の爪はマシンを燃やし尽くし、すでに収まっていたが、辺りには熱気が残り、煙がまだ出続けている。幸い、死体らしきものは見えなかったが、亮はマシンの残骸からその特徴を捉え、キールスと話したあのマシンに間違いないと確認した。


 亮はしばらく言葉もなく、そこに立ち尽くしていた。優月と家族を思って協力することを決めたのに、なぜこんな悲惨な出来事が起こっているのか、あまりに想定外で、いくら考えても追いつかなかった。


「一体何があったんだ。俺が神宮寺家に潜入している間に、神宮寺が彼らを始末したのか?」


「それはありえません。神宮寺家は皇月と同等交渉条約を無期締結しています。お互いの人員偵察や調査行動について干渉しないこと、マシンや人員の襲撃をしないことなどが前提です」


「ならなんで、こんなことになってるんだ?」


 風が吹き、煙が散る。公園のわずかな街灯が、焦げたマシンのパーツを照らした。そこには、皇月の王室の紋章が描かれている。


「これは、真理派の仕業だと思います。王室のマシンのシールドを破れるのは『審判秘宝ジャッジメントウェポン』だけです」


 訝しげに話す優月の言葉を聞きながら、亮はオカスソリスのケースに書かれたⅨの文字を思い出した。


「審判秘宝を使う者は、他にもいるのか?」


 優月はそれには答えず、悲しげな顔で呟いた。


「まさか党派内争の激化がもうこんなに深刻なんて……」


マシンの前で少し黙っていると、どこかから唸り声が聞こえ、亮と優月は咄嗟に振り返った。


「ぐううう……悔しい」


「憎い!」


「あいつのせいでこんな目に……」


 街灯が濃いブルーグレーの煙を照らし、その向こうから、次第にいくつかの人影が見えてくる。


「誰だ」


 影は二人に近付いてくる。彼らはボロボロの汚れた服を着ていた。


「ホームレスの人たちか?この公園に集まってると聞いたことはあるけど……」


「でも、何だか様子が変です」


 優月に言われ、亮は彼らをじっくりと観察しはじめる。そして気付いた。彼らの服がボロボロなのは、筋肉が内側から破ったのだということを。破れた服の間からは、隆々と盛り上がる筋肉が見え、その皮膚の色はなぜか緑色をしている。それだけではない。彼らの瞳は血のように赤く、白目は闇のように黒い。口からはよだれを垂らし、肉食動物のような鋭い牙を生やしている。頭や頬からは角のような突起物が伸び、ゆっくりと二人の方へ歩みを進めるその姿は、明らかに異常だった。


「何だ、こいつら……。ゾンビか?」


「いえ、これはグールです……」


 久しく聞くことのなかったその言葉は、ライト優月ゆうづきとの記憶を蘇らせる。


「鬼……?でも、鬼は恒月こうづき町の結界で封じられてるはずだろ?」


「私は聞いたことがあります。ある組織が能力者を雇い、結界の中の鬼を捕獲して、秘密裏にワクチンを作ったと。それを打たれ鬼化した人間は、鬼人グールトと呼ばれています」


「何だそれ、何が目的でそんなことを……」


「神宮寺家の情報網を使って調べてはいましたが……今はまだ、分からないです」


 鬼化し、凶暴になったホームレスたちの赤いまなこが、優月一点に注がれる。


「ぐううう、あの方の命に従いいい、このお嬢さんを殺せえええ」


「うおおおおお、女子高生ええ、俺がああ可愛がってあげよおお」


「食いてえええ」


 鬼化したホームレスたちは、狂った意識の中にも知力など、個人的な意識をある程度残しているようだった。9人のホームレスが襲いかかってくるのを見て、亮が優月の前に立ちはだかる。


「退がれ、俺が食い止める」


 亮は左腕の装甲を使って、銃砲を連発した。


 パシュン、パシュン、パシュンとシューティングゲームのように弾が当たり、5人のホームレスが撃ち飛ばされる。


「今のうちに逃げるぞ」


 残る鬼人たちは亮の武装を警戒しているらしく、動きが鈍っていた。戦略的撤退が必要と感じた亮は、優月の手を引き、その場を離れた。


 撃たれた鬼人たちもまだ生きていた。しばらくすると立ち上がり、鬼と変わらぬ身体能力で素早く二人を追う。


 逃走中の二人は、視野の開けた芝生へとやってきていた。そこは前世紀の競馬場跡で、壁には蔦が絡まり、古城の雰囲気を帯びている。


 亮は一心に走ったが、優月がその手を離した。


「亮くん、待ってください」


「どうした?」


「逃げてはいけません」


「だけど、あいつら明らかに君を狙ってる」


 煙が薄くなり、月の光が差し込む場所に来ると、優月の髪はまた銀色に変わった。青いマナの光を纏った彼女は、凜とした佇まいで亮と向き合う。


「それでも、私は逃げません。鬼人になった者はもう、普通の生活には戻れません。彼らは人間を襲う。私は鬼に関わることを放っておくこともできません。ここで、倒すんです」


 亮は優月を見て、少し懐かしいような気がした。自分を守るために鬼に立ち向かったあの少女が、今また、自分の前に立っていた。優月のこの、勇者のような強さに、亮は改めて惚れた。頭を金槌で殴られたような衝撃を受けながら、亮は優月の言葉を、自分への激励とも考えた。


「分かった、でも、一緒にだ」


 その時、鬼人たちが追いついた。銃撃されたはずの鬼人が傷をそのままに刃向かってくるのを見て、亮はゾッとした。


「あいつらまだ動けるのかよ……」


 最初の9人に加え、さらに3人の鬼人が反対側から来て、二人の退路を絶った。

 亮と優月は背中合わせになり、鬼人たちの動きに警戒する。

 鬼人たちは知力を保っているせいか、多勢で二人を囲む優位に立っていてもなお、油断なく、焦って攻めてくることもない。


 パシュン、パシュン。

 亮が二発撃ったが、鬼人は銃撃とそのダメージを学習したのか、素早く攻撃を避ける。


「クソ、思ったより頭が良い……ゾンビより厄介だな」


4人の鬼人が亮を無視して襲いかかり、優月に鋭い爪を伸ばした。


 優月は鬼人たちに集中する。体全体が碧い光に包まれた。マナのエネルギーが膨張し、波動を広げるように鬼人たちを吹き飛ばす。静止していた鬼人たちも、その光が眩しすぎるのか、直視できずに防御姿勢を取った。


「こいつら、マナの光が苦手なのか。そこも鬼譲りなんだな……」


 優月が亮に向かって叫んだ。


「亮くんのオカスソリスは、まだ不完全です」


「そうなのか?」


「今の形態は、おそらく近距離戦闘用の仮の姿です。オカスソリスの本来の姿は、弓です」


「弓?!これが、どうすれば弓になるんだ」


「審判秘宝は、使う者の心に応える武器です。頭に弓の形をイメージして。オカスソリスはその通りの形になるはずです」


「イメージ?弓なら何でもいいのか?!」


 一か八か、亮はゲームのキャラが使っていた弓を思い出す。その形を強く思っていると、左腕の装甲が次第に変形し、宙に浮いた。一度、金属の塊になったオカスソリスは、亮が思い描いた通り、細く曲がりはじめ、マナの光が走ったかと思うと、シンプルでスマートなベアボウに成形されていった。


 裏拳と手首までしかなかった腕の装甲は、よりコンパクトになり、甲冑というよりもグローブに近い。裏拳の装置は発光し、それが弓を亮の体に引きつける力を持っていた。弓は常に手が届く場所で、しかし宙に浮いている。


「弓だ……でも、イメージした形とは、似てるような、似てないようなだな」


「イメージが不完全な部分は、オカスソリス本体によって補正されるかもしれません」


 亮はオカスソリスを左手に取る。


「よし、これなら!」


 中央の弓柄ゆづかを握ると、上のティーブと下のリカーブに、マナの弦が繋がった。


 吹き飛ばされた鬼人たちは、また体勢を整えて向かってくる。


 二人の鬼人が爪を伸ばし、襲いかかってきた。亮は咄嗟にオカスソリスを振り払う。鬼人の体勢が崩れた。


 その間に亮は目の前の鬼人に意識を集中させる。マナが一点に光ると、亮は一直線に弦のノッキングポイントを伸ばした。指でそれを取り、弦を引っ張ると、マナの矢が生成される。


 五秒の間にそれらの一連の動作を進め、矢を放った。


 青い矢が飛び出し、鬼人は撤退を試みる。しかし矢は腰を貫通し、そのまま地面に刺さると、爆発が起きた。周囲の鬼人も、爆風に吹き飛ばされる。


「ぐうおおおお……」


 オカスソリスの一撃に、亮は感心した。


「たった一本の矢が、これだけの威力を持つのか」


 背中合わせの優月も、鬼人たちの襲撃に応戦している。

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