第8話 月高の名人たち ⑥
「我妻さん?そんな話題になってたのか」
「なってるなってる。女子の間じゃ最近、お前らをくっつけるって盛り上がってんだから!」
「冗談でだろ?」
「冗談でも聞いてるうちにいつか本気になるかもしれないじゃん」
隆嗣は神話でも語るように、碧琴について高らかに続ける。
「テニスのほかにも女子野球、バスケ、バレー、水泳、剣道、なぎなた……。どれも全州大会まで出場してるってヤバくない?月高運動部の女神って言われてるらしいぞ。な、いいじゃん我妻さん」
「あ~まあ確かに、陸上部でも女子リレーのメンバーに入ってたな。夏の大会は優勝してたか……」
亮は見るともなく碧琴を振り向いた。教室の前方で自分の机を椅子にして座っている碧琴は、数人の女子に囲まれている。
平均より10センチは高い長身に、目鼻立ちの整った顔。女子でさえも惚れるほど格好良い彼女は、そのスタイルも素晴らしい。そばを通る男子たちはその胸元から目を逸らすことができず、ボタンのはちきれそうなブラウスの皺を無意識に目で追ってしまう。
いつも向日葵のように明るい笑顔の碧琴は、男子を敬遠するでもなく、誰が相手でも堂々としている。そんな彼女に恋人がいないのは確かに不思議な話かも、と亮は隆嗣に名指しされて初めて思った。
「な、どうだ?スタイルは抜群、バランス完璧。この体型でスポーツ最強って、マジ女神だろ。運動場の女神、美の神!さて、そんな女神の隣に立てる男といえば……?」
亮の顔を見ながら言いたい放題の隆嗣だが、亮は教室の動向に気付き、
「おい、ちょっとタンマ……」と慌てた。
亮の動揺をどう受け取ったのか、隆嗣は夢中で喋り続ける。
「ん、どしたよ?やっと亮も女にめざめたか?いいじゃん、我妻さんなら性格も良いし話しやすい、イージーで童貞のお前にはお似合いじゃね?」
「誰がイージーだって、童貞?」
隆嗣はその声を聞いてフリーズし、それからゆっくりと振り返った。
碧琴が腕組みをして立っている。かろうじて顔は笑っているが、額にはバキバキに青筋が立っていた。あまりの威圧感に、隆嗣は全身に鳥肌が立つ感覚を覚えた。
「あ~、我妻さん、おはよ~……はは、俺らの話聞いてた?」
「あのさ、勝手に変な噂しないでくれる?」
碧琴が睨みをきかせると、隆嗣が萎縮してしまったので、亮が矢面に立った。
「別に変な噂はしてない。隆嗣も我妻さんを褒めてただけだから、気に障ったならごめん」
「運動場の女神とか変な肩書き作るのもやめて」
「まぁあんだけ大声で言えば聞こえるか」
亮は苦笑いしながら隆嗣をチラ見した。
「ダサい!センスない!オリジナリティーのない肩書きなんていらないから!」
二人は唖然として碧琴を見た。
「えーっと……気になったのって、そこ?」と隆嗣が訊ねる。
「それだけじゃない!あんたたちの目的が不純すぎて、褒められたって気持ち悪いだけだから!」
亮は白旗を振るように両手を挙げた。
「いやいや、単純に我妻さんの戦績を誇りに思うって話だから」
亮の言葉に他意がないことを見抜いたのか、碧琴は目の中の怒りを少しだけゆるめ、それから隆嗣を見た。
「わかった、
「何で!?」
「あんたうちの部のストーカーでしょ?皆知ってるからね」
「俺は葉月さまのお美しい練習姿を見て、ただ応援したいだけ!別に邪魔したいわけじゃないし、テニ部全員をいかがわしい目で見てるわけでもない!」
聞くに堪えないとばかり、碧琴は固く目を閉じて隆嗣の言い訳を聞くと、さらに嫌悪感を増したように眉をひそめた。
「それが問題だって言ってんの。男子たちがガン見してるせいで、こっちは気になって集中できない。あんたたちは存在するだけで邪魔なわけ」
なかなかの言われっぷりだが、自分に非があるとは微塵も思っていないらしく、隆嗣はさらに雄弁に語った。
「何でだよ、女子だってサッカー部の練習覗きに来るし、好きな奴がいれば応援するじゃん。同じように推しを応援してるのに、こっちは邪魔って。そんなに悪いことしてるかよ?!」
「個人的には覗きも好きじゃない。でもある程度は応援だからって許してるわよ。だけど、毎日毎日狂ったように来る奴は話にならない。じーーっと舐めるように見てると思えば、ニヤニヤニヤニヤ笑ってるし。触ってないだけでほとんど痴漢と変わらないじゃない。私は許さない」
激しい口撃が続いた。さすがに女子テニス部の部長に断罪されれば、隆嗣を庇うことはできない。亮は黙って見守っていた。
(我妻さん今日もスタミナ満タンだな……)
亮がもはや考えることをやめた時、碧琴がふっと顔を上げ、遠くを見て言った。
「あ、葉月ちゃんだ」
その瞬間、隆嗣は何かに突き動かされるように外を見た。窓枠に這い上がり。上半身を起こして首を伸ばす。
「え、どこどこ、マジで?葉月ちゃんどこ?」
中庭をくまなく探す隆嗣の姿を、碧琴が害虫でも見るかのような目で見た。
「キモ、天誅ね」
葉月探しに必死になり、隆嗣は碧琴に向けて尻をふりふりしている。碧琴は長い美脚を振りかぶり、害虫の尻に強めの蹴りを入れた。
「いっっっっっって!」
と言う間もなく隆嗣は窓から蹴り飛ばされ、直後、自分の置かれた状況に気付く。
「お、落ち……わああああああ!!!!」
木の葉を打ち、枝が折れる音に続き、ドサッッッッと大きな音がして、隆嗣は落ちた。花壇に植えられた小木を下敷きにして、隆嗣の頭は茂みに刺さっている。
「純粋で優しい葉月ちゃんに、お前みたいな変態が近付いたら危険極まりないわ」
碧琴は指で髪を梳いて整えた。彼女の身体能力の高さは、時折このようにして男子との喧嘩で発揮される。使い切れないスタミナを有り余らせた彼女の一面が、恋人のできない理由なのかもしれない。
亮は超人的なスポーツの才能を持つ彼女を嫌いではなかった。だが、後に振り返って忘れられない人物として挙げることはあっても、今この瞬間の、恋人としての選択肢からは消えた。それにきっと、恋をしたいと思ってもいないのだと、自分の気持ちに改めて気付く。
「すっきりした?」
「まぁね、このくらいで止めてあげる。あいつには少し反省が必要だわ」
「んー、この程度じゃ反省が足りないかもなぁ。あいつ、ゴキブリ並みに生命力あるからな」
「どういうことよ」
「多分すぐ復活するぜ?むしろ一発で済んでラッキーって思ってるかも」
「お〜い、
下からバサバサと音がして、隆嗣は葉っぱまみれのまま芝生を踏んだ。
「あがつまああ!よくも純情な俺を騙してくれたなあ、よ~く覚えてろよ!」
「な、言った通りだろ?本気で罰を与えるならもっとぶん殴らないと」
亮は気軽そうに笑ってそう言った。
碧琴は隆嗣が無事だったことに内心ほっとしつつ、友だちに対する亮のドライな物言いがおかしくて、「ふふ」と笑った。
「矢守って動じないんだね。あんたになら葉月ちゃんを紹介してやってもいいかもね?」
「何で俺なんだよ」
「根性ありそうだし、頼りになりそうかな~なんてね?」
碧琴はどこまで本気かわからないようなことを、にっこりと笑って言った。
隆嗣の無事も確認した亮は、また自分の席に座って頬杖をつく。目を細め、心底面白くなさそうな表情だ。
「何だよ、からかってるだけだろ」
「あはは、矢守は真面目だもんね。ま、陸上部の女子たちによろしく伝えといてよ」
碧琴は頬を触っていた左手を離すと、いたずらを企む妖精のような笑顔をふりまいて、手を振って去っていった。
その後ゴングが鳴り、授業が始まった。
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