第54話
サンダースがナッシュビルで行われる討論会に出発する朝。ホワイトハウス前では、ドロシーとキャサリンがサンダースを見送っていた。
「じゃあな、あとはよろしく頼むよ」サンダースが言った。
「ええ、あなた、あまり無理しないでね」妻が応えた。
「パパ、アメリカの敵を倒しに行くんでしょ。私も応援してる」娘は父に言った。
「ありがとうな、ドロシー。パパは今日も悪いアメリカの敵をやっつけてくるからな」
そう娘に言った後、サンダースは妻に耳打ちした。
「討論会の様子は、なるべく見せないでくれ」
「ええ、分かったわ」
数日後、テネシー州ナッシュビルで行われていたテレビ討論会。サンダースとゲイルが舌戦を繰り広げていた。予約抽選方式で参加している会場は満員だった。
「まずは無事だったことをお祝いするよ。本当に悪運の強いやつだな」ゲイルが笑いながら言った。
「ああ、甦って来たぜ。俺は不死身の男だからな。そうでないと、この国を守れはしない」サンダースが応えた。
「ところで、まず君は国民に対して謝るべきではないのかい? 国民に対して銃を向けた。それに万引きも」
「どうして俺が謝らなければならない? あれは正当防衛だ」
「万引きも正当防衛か?」
「あれは俺じゃない。フェイク画像だ」
「フェイクだと? 防犯カメラの画像をフェイクだと決めつけてしまえば、防犯画像の信憑性は無くなり、何も信じることができなくなるじゃないか」
「いいや! あれは誰かが加工したフェイク画像だ。そもそもだな……、ティファニーの窓ガラスを割って宝石を盗んだ奴は何も言われないのに、どうしてあんな安っぽいメガネとマスクを俺が盗んだだけで、こんな風に言われなきゃならないんだ!」サンダースは切れ気味になって言ったが、それは失言だった。
「おい! 君は今、確か『俺が安っぽいメガネとマスクを盗んだ』と言ったよな?」
「いや、違う! 例えばの話だろ。もしも俺がメガネとマスクを盗んだとしたらという話だ」必死になって言い訳をするサンダース。
「他にも、君にはレイプ疑惑、収賄疑惑、差別発言、予算の不正使用など、数え上げたらきりがないほどの訴訟を起こされている。そんな人間が、今後も大統領を続けて、はたして良いものだろうか? しかし、君が犯している最大の犯罪は、アメリカ国民の分断だ。違うか?」
「スパイ疑惑のある人間にそんなことを言われる筋合いはない。俺は君をすぐにでも国家反逆罪で起訴しても良いのだぞ」
「私はスパイなどしていない。あれこそでっち上げもいいところ。フェイクだ」
「他にもあるぞ。中国やインドからの資金援助。盗聴疑惑。すぐにでも刑務所に行くか?」
「やってない! 全てでっち上げだ」
「ならば、俺の方の疑惑も全てでっち上げだ。俺はなー、この四年間で製鉄・石炭産業と鉄鋼業を復活させて随分と失業者を減らしたんだ。それは、かつてのような偉大なアメリカを復活させるためだ」
「温室効果ガスを撒き散らし、地球環境を破壊しながらな」
「それもフェイクだ」
「温室効果ガスによって地球の温暖化が進んでいることは、フェイクなんかじゃない! そもそも、君はアメリカを大国にすると言うが、アメリカくらいの大国になると、国益のことだけを考えちゃいけないんだ。地球全体のことを考えなくてはならない。環境問題を引き起こして他国に迷惑をかけてはいけないし、他国と紛争の起きないように全体のバランスを考えなくてはならないんだ。それがアメリカ大統領の使命だ」
「いいや、違う! 俺はアメリカの大統領だ。地球人の代表じゃない。失業問題とかGDPを考えることの何が悪いんだ。それに、誰だって、自分が死んでから先のことまで考えて生きちゃいないさ。自分が死んでから先のことは、そのときに生きている人間がやることだ」
「じゃあ君は、環境を破壊するだけ破壊しといて、後に残された人たちが、その為に苦しんでも良いと言うのか? 自分たちのしでかしたことのツケは、あとから生まれてくる人間で始末しろと? それは無責任だろう。大統領として許されることではない」
「お前は仏教徒か! 俺は生きているうちに善いことをした。だから、あとは天国へ行くだけだ。俺が死んだ後の世界がどうなろうとしらない。当たり前だろ」
「輪廻とかは関係ない。自らが成したことに責任があると言っているんだ。君が死んだ後も生きていく人達に、悪い環境を残すことは許されないじゃないか。未来を担う人たちを不幸にしてはならない」
「俺のやろうとしていることこそが、アメリカ国民が望んでいることなんだ。お前のやろうとしていることなど、誰も望んじゃいないぞ」
真太はスタッフジャケットを着せられて、スタジオの袖から二人のやりとりを眺めていた。長いやりとりの後、討論会は終了した。会場からは客が退場し始めて、スタッフが会場の後片付けをはじめようとしたそのときだった。真太はサンダースに声をかけた。会場には、サンダースもゲイル側の陣営もまだ残っていたのだ。
「サンダース大統領!」
「ん?」
サンダースは、自分に声をかけた男の方を見た。最初は自分のファンがスタッフの中にいるのかと思ったのだったが、よく目を凝らして見ると、そこに立っていたのは、例のイイジマ・シンタだった。
「君はイイジマ・シンタだな。ブラディ・メアリのフィアンセの」
「はい、実は大統領にお願いがあって、ここまで来ました」
「お願い? 何だ?」
「大統領、真理亜に謝ってください。心から真理亜に謝罪してほしいんです」
「何だと! どうして俺が謝らなくちゃならないんだ?」
「大統領が真理亜に謝ってもらえれば、真理亜は人間に戻れるんです! 本当です。お願いします」
「バカなことを言ってんじゃない。全くクレイジーだ!」サンダースは真太の懇願を一蹴した。
予測はしていたことではあった。
すると、真太の傍らにいたディックがサンダースに声をかけた。
「そこを何とか俺に免じてやってくれはしないだろうか。ビッグ・ジョン。シンタは俺の一人息子なんだ」
サンダースがディックの方を向いた。
「よお! これは、これは。ウィリアム・ウルパート少佐じゃないか! 久しぶりだな。なんだ、イイジマ・シンタはお前の息子だったのか」
すると、サンダースは、あろうことか会場に残っていた人たちの前で大きな声で言いだした。
「おーい、みんな、よく聞いてくれ! こいつだ! こいつがやらかした整備不良でナカジマ・マリアの事故は起きたんだ! 犯人は俺じゃない! こいつだ」
「何てことを……」真太が言った。
「違う! 違う違う違う! 俺は整備不良何ておこしちゃいない! あれはお前の操縦ミスで起きた事故だった」そう言いながら、ディックの背中が青白く光り始めた。
「父さん! 背中が光り始めてる」あわてる真太。
しかし、背中を光らせながらも、ディックはサンダースに向かって言葉を発した。
「俺の背中が光っているのは、お前にありもしない冤罪をかけられているからだろうが! それこそが、俺が言っていることの方が真実である証拠だ。そうでなければ、どうしてお前の背中は光らない? それこそが、お前が嘘をついている証拠だ。本当の怒りに震えるようなことがあれば、納得のいかないような悲劇に見舞われれば、今の人類は誰だって背中が光るんだぞ!」
「ふん。俺は感染なんてしてないからさ。感染してりゃあ偉いとでもいうのかい?」
サンダースの言う言葉によって、益々背中が激しく光り出すディック。
「父さん、もう良い。もう帰ろう。ありがとう、父さん」一生懸命に父をなだめる真太。
サンダースは、鼻息も荒く、大きな歩調で会場を出て行った。
この様子を会場の反対側の袖で見ていた老齢の男が真太親子に声をかけた。
「ちょっと、君」
「あ、はい」真太が声の方を見ると、そこにはゲイル候補が立っていた。
「君、今の話をもっと詳しく聞かせてくれないかな? その……、謝ると人間に戻るというやつ」
真太はゲイルに、ターゲットとなる人物が心から反省して謝罪したとき、御神乱が人間に戻る可能性のある事実を説明した。
「君の言うことは分かった。もしかすると、それは本当のことなのかもしれない。しかしだ、いかんせん、大統領が御神乱の前で謝罪するというのは難しいのじゃないかね? 特に欧米人というものは、勝ち負けにこだわる。負けは弱者なんだ。謝罪すると言うことは、自分の負けを認めることになるから、普段でもなかなか謝罪というものは行わない」
「もちろん、知っています。でも、負けを認めること、自分の非を認めることの方が、本当は勇気のいることなのではないでしょうか。だから、負ける方が勝ちなんです」
「負けるが勝ち?」
「ええ、これは日本のことわざです」
「おもしろい。詳しく聞きたい」
「例えばですね。日本の武道・格技は、もともとその目的は勝つことではなかった。負けを認め、自分の力を知り、相手を讃える勇気を育てること。すなわちは、自分自身を律する精神的な鍛錬として武道は成立していたのです。この意味において、勝つことを目的としない武道は、かつてはスポーツではなかったのです。武道で礼を重要視するのはこのためであり、ガッツポーズを禁止しているのもこの理由からです」
「しかし、柔道で礼はやっているが、勝敗にこだわっているし、ガッツポーズだってやっているじゃないか」
「近代柔道は、それを世界に広げるためにスポーツ化してしまったものなんです。ですから、本来、武道はスポーツにはなれないのです」
「なるほど」
「自らの負けを認める勇気。自らの非を認める勇気。自らを律すること。相手への敬意と礼。でも、考えみて下さい。世界の紛争の多くは、負けを認めないこと、謝らないこと、自国のプライドからきている。それが、人間にとっては難しいことだからじゃないですか。自らの負けを認めることのできる人間こそが、真の勇者であり、真の勝者なのです」
「……」
真太の演説を聞いた後、ゲイルはしばらく考え込んでしまった。
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