第12話
俊作と瞳の二人は、道頓堀界隈にある飲み屋にいた。最近は、二人でよく飲みに来るようになっていたのだ。
「ねえ、どうして中国は、そんなにウイグルを取り締まろうとするの?」瞳が俊作に聞いた。
「中国は、現在、中華民族による偉大な復興を目指している。かつての中華帝国の復活だ。そのためには、まず中華民族の統合が必要なんだけど、そこには、チベット、ウイグル、モンゴル、女真などの少数民族や香港、マカオ、台湾などの統合を目的としているんだ」俊作の説明がはじまった。
「ふーん」
「ところが、ウイグルやチベット、モンゴルには根強い抵抗運動、独立運動が昔からある。特にウイグルでは、東トルキスタンイスラム運動というのがあってね、これはまさしく暴力的テロ活動だったんだ。一度は新彊ウイグル自治区が東トルキスタンというイスラム国家として独立を宣言したこともあったんだ。でも、中国はそのテロ活動をつぶした」
「なるほど、だから中国は、今でもウイグルに対して厳しく取り締まっているのね。いつまた過激なテロ活動に発展するかもしれないから」
「その通り。でもね、中国はウイグルの隣にあるアフガニスタンのタリバン政権に近づきたがっている」
「つまり、思想や宗教じゃないってことね。刃向かうものはつぶす。気に入らない奴はつぶすってことね」
「そう」
「そのアフガニスタンだけどね、アメリカがアフガニスタンから撤退したじゃない」瞳が話題を切り出した。
「ああ。あれは、9・11テロから二〇年間駐留してたんだよな。」
「あのことがあって、パックスアメリカーナとか安保条約とか駐留の是非とかについて、私も色々考えるようになったのよね。」
「そうなんだ」
「色々な意見があるようだけど、結局アメリカは、他の国のために二五〇兆円以上もかけて、アメリカ兵二千人以上を犠牲にして、そのくせ、アフガニスタンの政府は自分の国を守るために何も努力してなかったってことじゃない」
「そう、だから、アメリカとしては、自国がそんなリスクを負うのを止めたってことになる。世界の警察を止めたいってことの表れなのかもな」
「確かに、彼らにしてみれば、人の国のためにお金出して血を流して、やってられないわよね」
「あのときは、日本でも、今後は自国の防衛に努力しない国に対しては、アメリカは引き上げるじゃないかっていう意見が出た。日本は表向き軍隊が無いわけだから、安保によってアメリカの駐留に頼っている形になっているからな」
「まあ、実際には、今までは日本はアメリカの駐留に対してかなりの経費を負担してきたわけだし、合同演習とかもやっていて、まあ、協力的だとは言えるがな。……なあ瞳、別の見方もしてみようか」
「別の見方って?」
「アフガニスタンは、六〇年代までは西欧化政策がとられていた近代国家で、中央アジアの中でもとても豊かな国だったんだ」
「そうなの! それが何で?」
「冷戦時代の七〇年代にソ連が進行して来たんだ。それに対抗すべくアメリカは、地元のゲリラ組織に武器を給与して戦わせた。その当時に作られた映画が『ランボー・怒りのアフガン』だ。約二十年かけてソ連を追い返した後、そのゲリラがイスラム原理主義化して、今度はアメリカに敵対してきた。駐留しているアメリカを追い出そうとしたんだ。アメリカはこのゲリラと二十年間にもおよぶ戦争をしていた。現在は、タリバン政権の裏には中国がいるとも言われている」
「そうだったんだ」
「アフガニスタン側からすれば、どうだろう。ソ連、アメリカ、そして今度は中国、いつも外国に翻弄されている。だから、外国の勢力を追い出して、自国の主権国家を作りたいという気持ちも分からないではないんだよな。これって、日本の幕末から明治にかけての時代っていうのも、ほとんど同じような構造なんだよな。あとスペイン」
「スペイン?」
「ああ、スペインは、イスラム教徒のムーア人による支配から、彼らを追い出して建国するまでに何と約七百年かかっている。日本で言うと、平安時代から室町時代までだ。そうして、建国したカトリック系のスペインとポルトガルが世界征服に乗り出したのが戦国時代。ザビエルとかがやって来た時代だ」
「分かるんだけど……、でもねー、アフガニスタンの国民のほとんどの人たちは、イスラム原理主義のタリバンによる圧政を望んでないんじゃない? 何とか国外に脱出しようとして難民化してるし、女性たちの民主化デモだって起きている」
「確かにそうだな。アメリカはアフガニスタンから十万人を他国へ出国させたって言うけど、でもアフガニスタンの人口は三千六百万人もいるんだ。とても全員を出国させるなんてのは無理だ。東南アジアで起きた軍によるクーデターだってそうだしな。ミャンマーの人口は五千四百万人もいる」
「国内にいる、ごく少数の武装勢力によって、ほとんどの国民が弾圧され、自由を奪われているのよ。彼らは抑止力が無い弱者なのだから……」
「抑止力を持たない弱者か……。抑止力を持てば良いってことかな……。それぞれの人民が抑止力を持てば、反民主主義の組織を全部とか、反民主主義の国家は全部やっつけられる。誰も人民に対して独裁と圧政をしけなくなるぞ」
「違うわ! どうして男の人って、いつもそっちの方に考えるのかしら。大事なのは、政権とかイデオロギーなんかじゃないわ。政府によって自由を奪われている女性がそこにいるという現実、服装を、自由を奪われ、新興の自由を奪われ、女性から教育と恋愛の権利を奪っているという現実のみよ。ウイグルではひげを生やしたイスラムの男性は罰せられる。逆に、アフガニスタンではひげをはやさないと殺される。本当はどっちだって良いことじゃない。これらは、どちらも男たちが決めたことよ。私は、アフガニスタンでもウイグルでも、そして香港でも、女性の闘いに期待したいの」
「女性の闘い?」
「だって、考えてごらんなさいよ。マララさん、グレタさん、アグネス・チュウさん、アウンサン・スー・チーさん、そしてクルムさん。現代社会で活躍している活動家の人たちは、みな女性ばかりじゃないの! しかもほとんどは若い人たちよ。男性は一体何をしてるのよ! ……いや、違うわ。男どもが作ってしまった不条理な社会を何とかするために、彼女たちは闘っているのよ」
「手厳しいなー」
「だって、そうじゃない。男はいつもイデオロギーだの思想だのの理屈をこねて何とかしようとするけれど、女性はただ単に、止めて欲しい、謝ってほしい、っていうだけなの」
「謝ってくれれば良いだけ。止めてくれれば良いだけ。そうすれば、恨みも晴れるわ。クルムさんの言った通りよ」
「謝るだけでいいのか?」
「そうよ。だいたい、男の人は、男のプライドだか何だか知らないけど、とにかく謝らないわよね。まずは謝るところからなのよ。そうすれば、気もおさまるわ」
「どうも、男としてはよく分からないなー。……じゃあ、レイプした男性であっても、相手が謝りさえすれば、瞳は許せるって言うのかよ?」
「……」瞳は、黙って、少し考えている様子だった。
「あっ、ごめん! ひどいこと言った」
「ううん、いいの。……そうね、許すわ。許せるわ」
「……そうなのか」
「ねえ、今日、俊作のところに行っても良い?」
「……え、そ、そりゃかまわないけど……」
「実はね、最近、家のそばに不審な気配があるのよ」
「ええー! 大丈夫か」
「多分、三千男だと思う。未練たらしくうちのアパートのそばをうろついてるのよ。きっと」
その夜、瞳は俊作のアパートに泊まった。そして、二人はその夜、結ばれたのだった。
三千男は、瞳のアパートのドアの前に独り立っていた。しかし、いつになっても瞳が帰って来ないので、諦めて帰って行った。
「もう何日も黙ったままだね。いい加減、何でも良いから話してくれないか」村田という名前の取調官が流ちょうな日本語で真理亜に話しかける。
しかし、真理亜はもう何日もこうして黙ったままだった。
「……全部話したら、日本に戻してくれる?」この日、初めて真理亜は口を開いた。
「ああ、約束するよ。だから、君が知っていること、経験したことを詳しく話してくれないか」
「ほとんどテレビやネットで出ていた通りのことよ。もう知ってるでしょ」
「いや、我々が詳しく知りたいのは、彼女と彼がどんな人物だったのかだ」
「そうね……。……二人ともいたって普通の人よ。それに、……とても良い人だったわ。おだやかで平和な日々がそこにはあったのよ」
この二年間に大戸島および東京でおきた出来事について、ついに彼女の口から語られ始めた。
このとき、艦内の真太は、真理亜が取り調べを受けている部屋のすぐ外をうろついていた。
「どうだ! だから言ったろう。日本人はバカだな。アメリカと仲良くなんてしようとするから、こうなるんだ」康煕が誇らしげにそう言った。和磨は、康煕の言い方にはさすがにイラついたが、なるべくその感情を隠しながら落ち着いたそぶりで言った。
「なるほど、確かに今のアメリカは、日本に対してとんでもないことをしている。それは、確かだ。しかし、これはアメリカという国のやっていることではあるが、アメリカが悪いというよりも、サンダース大統領の政策によるものだ」
「関係無いよ。悪いのはいつもアメリカだよ」
大阪市、度重なる米兵の日本国民に対する暴挙と何もしない日本政府に対し、ついに業を煮やした一派が「独立愛国党」という団体を結党してしまった。この党は反米思想の団体であり、アメリカの排除と日本の完全独立を目指した。しかし、その実態は、愛国主義、民族主義の団体に他ならなかった。結果、大阪市内のデモには、独立愛国党というやっかいな団体がまた一つ加わったのだった。
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