第10話

「はあ、結局は暫定政府も腰砕けね」大阪のNPO法人の事務所で美姫が溜息をついていた。「まあ、ある程度予測はしていたことだけどね」

「政府が動ないんだったら、やはり、次はデモかな」メンバーの津村俊作が言った。

「そうねー」考えがちに美姫が言った。

「デモって、あの香港とかミャンマーでやってる過激なやつ? 暴動とかして鎮圧されてるやつですよね」少し不安げに瞳が言った。

「いやいや、あれはデモが過激になって暴徒化したシーンで、本来、デモ自体は法律で認められているし、守られているんだよ。申請して決まりを守って行えば、何もとがめられることはないんだ」俊作が説明した。

「そうなの」少し安心したように瞳が言った。

「でも、あんまり理不尽なことばかりされて、不満や怒りが頂点に達したら、どう転んで行くか分からないけどな」俊作が言った。

「ちょっとー、そんな不安をあおるようなこと言わないでよね。デモ、つまりデモンストレーションというのは、デモクラシーのデモであり、本来は民衆を意味するデモクラートから来ている言葉なのよ」美姫が言った。

「そうなんだ」瞳が言った。

「よし、それじゃあ、デモはやる方向で動いてみようか。まずは、被害者をはじめとして、我々に賛同してくれる人たちをネットで募集してみよう。あと、いつものように街頭でビラもな」和磨が指示した。


 旧大阪府庁舎内にある外務省関連の出入国窓口。クルムがしきりに怒っていた。

「一体いつになったらアメリカへ帰れるんですか! 私は日本人じゃなく、アメリカの市民権を有しているアメリカ人なんです」

「そうは言われましても、現在は物理的に無理なんですよ。何と言っても、日本と外国との空路も航路も全て遮断されていますし、日本在住のアメリカ人の帰国も、今のところは、政府関係者と国連など公の人間のみに限定されています。旅行者や仕事関係での滞在者を移送する手立てが出ていないもようなんです」下手な英語のできる外務省の担当者が、とりあえずの応対していた。

「アメリカは、移民の国、自由の国、民主主義の国ではなかったのですか!」

「私どもにそう言われましても、これはアメリカ政府の方針、指示ですので……。私は上の言うことを、正しく遂行しているだけですので」

「もう良いです。アメリカにいるジャーナリストである私の夫に言って何とか手立てを考えてみます」

「そうしてみてください」

「……」あきれるクルム。「日本の公務員というのは全く……」


 里穂が和磨に質問してきた。

「ねえ、よく民族、民族って言ってるけど、そもそも民族って何?」

「じゃあ、その前に、世界には主権を認められた独立国ってどのくらいあると思う?」

「うーん、四〇くらい?」

「正解は、国連の加盟国が一九三か国、オリンピックに出場している国や地域が一九六だよ」

「ふーん。意外とたくさんあるのね。じゃあ、民族の数もそのくらいあるの?」

「ううん、それは一致してない。……じゃあ、今度は、世界で使われてる言語の数は?」

「ああ、それ知ってる! 英語の教科書に載ってた。確か約七〇〇〇。あれ……、国の数よりずいぶん多いじゃない。ああ、部族とか方言とかも入っているのかな……。ねえ、民族って何なのよ!」

「民族っていうのは、言語や文字や宗教や、その他の生活様式などの文化の違いによって分類されるものだよ。学者の見解にも寄るけど、二〇〇くらいという学者から一五〇〇以上という学者もいる。世界との国家というものとは必ずしも一致していない。というよりも、一致してないことの方が多い。中国だって、漢民族は漢字を使った中国語を話している民族っていうことになるけど、その中国語だって、北京語と広東語とでは、英語語以上の違いがあると言われている。民族と言語と国土について言うと、日本は、国際的には、例外的にかなり一致している方ではあると思うな」

「ねえ、どうして、二〇〇とか一五〇〇とか、数に差が出るの?」

「それは、どこくらいの差異をもって民族の分類とするかによる学者の考え方だなによるかな」

「じゃあ、これからも独立国は増えていくの?」

「そうだな、独立したい地方というのは、今でもたくさんあるしな。例えば、バルセロナのあるカタルーニャ州は、二〇一七年に独立宣言をしたが、スペイン高等裁判所は独立宣言の無効を宣言している」

「えー! あのサグラダファミリアのあるところよね」

「そうだよ。それから、イギリス連合王国を構成しているスコットランドだけど、二〇一四年に独立を問う住民投票が実施されたが、否決されている。その他、フランスとスペインの間にあるバスク地方は、フランスでもスペインでもない、独自の文化を持つバスク人が住んでいて、かつては独立のためのテロ組織があった。ちなみに、バスク出身の有名な画家がパブロ・ピカソであり、彼の描いた有名な絵がゲルニカだが、ゲルニカというのはバスクの都市の名なんだ。だから、ピカソはスペイン人というよりは、厳密に言えばバスク人なんだ」

「へえー」

「まだあるぞ、トルコ、シリア、イラン、イラクにまたがる山岳地帯に住んでいるクルド民族もそうだし、中国にあるチベット、ウイグルなんかもどそうだ。日本人というのは、国とその領土は固定されているものだと思っているけど、そうではないんだ。今でもね」

「東京弁と大阪弁もそうなのかな……。結局は分かりあえないのかな」里穂がつぶやいた。


 関西の各地で起きている東京難民への不条理な差別に対し、東京難民と呼ばれている人たちが結束し、団体を結成した。その名も「東京難民会」。彼らは、東京難民への差別解消を訴え、同時に職業・教育の改善を求め、主に大阪府内の各地でデモを開始した。


 これに呼応するような形で、東京難民の排除と関西ネイティブへの雇用の確保を求めて「関西復古党」なる政治結社が結成された。これは明らかに差別的な結社であり、各地で東京難民へのヘイトスピーチが繰り広げられた。彼らの目標は、東京難民の関西地域からの排除と同時に、関西の文化を守り、大阪弁を標準語にすることであった。彼らは、いかに東京難民によって自分たち関西ネイティブの生活が脅かされているかを訴えていた。

 東京難民会と関西復古党のデモは、関西地方のいたるところでぶつかるようになり、ときに暴徒化していった。


 大阪市内にある会社、昼休みのオフィスで社員どうしが会話していた。

「関西では、たいていは、誰かボケかましたら、そこにいる誰かがツッコミ入れるもんやろ。なのに、なあ、東京もんときたら、なーんもせえへんで、だまーっとる」

「ほんまや! あいつら、ほんまボケもかませられへんし、気の利いた突っ込みもできひん。この間も、俺がちょっと東京もんをいじってやったら『私そんなことしてません。嘘を吹聴しないでください』やて。真面目か!」

 これをそばで聞いていた東京難民の社員がつぶやいていた。

「ちぇっ、別に笑いが分からないわけじゃない。大阪の笑いはベタ過ぎて、おもしろくないんだよ。全く」


 東大阪市のとある中学校、その第二学年に一人の生徒が転入してきた。

「今日から、このクラスの仲間になる近藤瑛太君。東京からの転入生だ。みんな色々と面倒見てやってくれよな」担任が言った。「じゃあ、近藤君。挨拶して」

「あ、あ、こんにちは。近藤瑛太です」

 大人しそうな子だった。

「なんや、また東京からの転校生かいな」誰かがそう言った。

「何ができるん?」「特技は?」口々にそんなことを言いだす生徒たち。

「え……?」口ごもる瑛太。

「そうだ。お前、今朝のあれ、ちょっとみんなの前でやってみいな。ほれ、あの変顔」ある生徒がそう言った。

「何だ、成宮、お前もう近藤君のこと知ってたのか」担任が言った。

「はい、今朝、登校中に学校の前で会いました」成宮という子は、にやにやしながら言った。

「やれよ変顔」「変顔」クラスの何人かがはやし立て始めた。

「いや……、あの……、その」表情をこわばらせ、うろたえる瑛太。

「何や、やらんのかーい」成宮が言った。すると、他の生徒は爆笑した。

 泣きだしそうになる瑛太。すると、瑛太は言った。

「じゃあ、せめて何か歌ってよ」

「歌。歌」「それでは、ここで一曲どうぞ―」クラスの生徒が再びはやし始めた。

「いや、……歌は、ちょっと……」困惑する瑛太。

「歌わんのかーい」成宮がそう言うと、再びクラスに笑いが起きた。

「ちぇ、ほんま。だから東京のもんは、ちいともおもろない。いじりがいがない」

「ほんまや。大阪の人間なら、ここでうまいこと人を笑かすのにな」クラスの一部の男子がそんな会話をしていた。


 休み時間、さっき瑛太を人前でいじり倒した子、成宮久志が瑛太につっかかっていた。

「お前なー! せっかく人がお前に人前で笑いを取るチャンスを作ってあげとんのに、あれはないやろーて……」

「そやで。成宮はクラスを笑いの渦に変える天才やのに……、お前、何してんねん。そんなんじゃ、この笑いの本場、大阪じゃ生きていけへんで」

「あ、ご、ごめんなさい」

「今度からきいつけや!」


 その日の夜、成宮久志の家庭での会話。

「今日も東京から転校生が来たで」久志が言った。

「ほうか。……で、お前、ちゃんとそいつにスポットライトが当たるようにいじってやったんやろな」父親が言った。

「当たり前や無いか。俺は天才芸人であるお父ちゃんの子やで。学校でも裏回しとかいじりとか、きちんとやって、きちんと笑いを届けるとるがな」

「ならいいけどな。ボケにツッコミ、ノリツッコミ、いじり、無茶ブリ、裏回し、どつき漫才、しゃべくり漫才、大阪は笑いの本場やさかいな。東京もんにもよーく教えとけよ」

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