第8話

 北京の共産党本部では、中国共産党国家主席である陳浩然(チェン・ハオ・ラン)が中国人民解放軍司令官の曾浩宇(サオ・ハオ・ユー)にねぎらいの言葉をかけていた。

「いやー、よくやってくれた。これで我が国は、世界で唯一、常温核融合の技術を持てる国となった。常温核融合のエネルギーは甚大だ。まあ、もちろん、核物質を使わずとも、本来、我が国は石油や天然ガスを所有する国ではあるが、これによって、ほぼ無限のエネルギーを所有することができるエネルギー大国になったのだ」

「お褒めいただいて光栄です。今後は無政府状態になっている日本をどうするかなのですが、いかんせん、日本にはアメリカの軍事基地が数多くあり、手出しは難しい状況です」

「ああ、それは無理せんでも良い。尖閣、沖縄、奄美、取れる分だけ取れれば、中国としては御の字だ」

「それでしたら、既に沖縄と福岡の沿岸に我が海軍を向かわせております」

「そうか」

「ところで、一つ気がかりなことがございまして……」

「ん? 何だ?」

「大戸島に我が軍に同行させましたウイルスの権威で王宇航(ワン・ユー・ハン)という科学者がいるのですが……」

「王宇航……? ああ、彼は、学生の頃、香港の民主活動家だったのを、我々が大金をはたいて寝返らせたんだったな」

「はい。その王が、中国本土への帰途、消息が消えました」

「何だ! 何かおかしなことでも企んでいるのではないだろうな?」

「はい。今のところ、何も起きてはいないのですが……。一応お耳に入れておこうと思いまして……」


 クレムリンでは、ロシア連邦の大統領が軍にはっぱをかけていた。

「今や日本は無政府状態だ。すぐにウラジオストクにいる艦隊を北海道沖合まで向かわせろ。何なら、国会の艦隊も向かわせても構わんぞ。アメリカや中国に遅れをとるな」


 戦後の日本さながらに、日本の主要都市を闊歩しているアメリカ兵たち。夜の大阪の飲み屋では、日本の若者たちとの小競り合いが生じていた。原因はささいなことだった。大学生のサークルに所属している女子大生の一人をアメリカ兵が口説いて連れていこうとしたのだ。これに怒った彼氏と友達が喧嘩に発展。店の外での殴り合いになったのだった。現場に急行した警察官は、大学生を連行することはできたが、逃げて行ったアメリカ兵を連行することはできなかった。その後、この件について、暫定日本政府は、アメリカ軍およびアメリカ政府に問い合わせたのだが、無しのつぶてだった。

 この件は、問題視され、日本のメディアによって報じられることとなった。そして、以後、このような米兵とのいざこざは、日本の各地で起きるようになる。


「どうなるの、和磨さん?」

 和磨たちのNPO法人の事務所、美姫が和磨に言った。

「日本は、アメリカに主権を奪われたんだ。しかも、一方的に」和磨が答えた。

「終戦後六年間の日本と同じ状態になったってことですか?」俊作が言った。

「その通りだ、今後、沖縄で起きていたようなことが、日本中で起きることも考えられる」

「私たちにとっては、未経験のことね」美姫が言った。

「ああ……、そうだな」何かを考え込むように和磨が言った。


 ジョン・サンダース大統領は怒りに震えていた。執務室には険悪な空気が流れていた。

「何たる失態だ! これがどんな事態を引き起こすことになるか分かるか? 場合によっては、我が国は世界ナンバーワンの大国の座を、中国に奪われかねないということだ」

「……」

「来月からはいよいよ次期大統領選挙の闘いが開始される。私は、強いアメリカ、世界一としてのアメリカの再来を、私の支持者に訴えかけているのだよ。それが、どうだ! 常温核融合の技術を中国に奪われ、中国にエネルギー大国の座を奪われるという失態を犯してしまっているんだ。どんな顔をして支持者の前に立てばよい?」

「……」

「日本だけは、絶対に他国の思うようにさせるな。何なら、日本をアメリカの五十一番目の州に併合してしまっても良い」

 この言動には、一同はさすがに驚愕したが、そんな周囲の表情を意に介すことなしに、サンダースは続けた。

「そうすれば、アメリカはさらに大国になれる。アメリカの誇りを取り戻すんだ」

「大統領! お言葉ですが、日本を五十一番目の州にしたりすれば、人口比で新しい大統領候補に日本人が出てきますよ。それでも良いのですか? 大統領は、常日頃からホワイト・アングロサクソン・プロテスタントのマジョリティー主導の国家づくりというものを口になさっておられるではありませんでしたか」

「いかん、いかん。それも困る。今でも中米のヒスパニック系の移民がどんどん我が国に勝手に入って来て、我々の雇用を脅かしているのに……。何もせずとも、もうまもなくアングロサクソン系白人の人口比は五〇%を切ろうとしているのだ」

「ところで、大阪の暫定政府の構築状況はどうなっているんだ?」

「はい、自衛隊は、全て米軍の統治下に入りました。これに関しては、何事もなくすんなりと事が運びました」

「うん」

「それから、大阪の状況ですが、とりあえず、旧大阪府の府知事をそのまま暫定政府の首相に任命しました。暫定的な首都は大阪都、その首長は旧大阪市長に全てスライド式に任命しました。元々が民主的な選挙で選ばれていた人間たちですので、統治的にはうまく進んでいます」

「何か問題があるのか?」

「はあ、現地の報告では、駐留している米軍たちの横暴ぶりが若干報告に上がってきています。マッカーサー元帥の時のようにうまくはいきませんようで……」

「そんなものは、大したことではない。気にせず駐留政策を進めろ」


 ロシアの巡洋艦や原子力潜水艦が北海道の沖合の海に出没し始めた。ロシアが南下政策をとり始めていたのだ。


 避難されていた皇室の方々は、那須から京都御所へお引越しをされることになった。

「やっとお戻りになったね」そう言って喜ぶ京都市民たちだった。


「アメリカによる一方的な日本侵攻は、決して許されるべきではない。これは、アメリカによる日本侵略であり、日本国の主権への侵害であって、決して見逃がして良いものではない」

 強い口調で中国とロシアが共同で声明を出した。そして、この声明が出された翌日には、中国は博多港で、ロシアは札幌へ進行して来た。

 慌てたアメリカは、すぐに軍を派遣してこれを退けた。

 日本は、アメリカおよび中国・ロシアとの代理戦争の場になろうとしていた。


東京消失の一週間後


 東京都民から発生した難民の半数以上は、周辺の神奈川、千葉、埼玉をはじめとする関東一円に移住していたが、残りの多くは近畿地方にも流入しており、特に、約六百万人は大阪市及びその周辺都市へと流入してきていた。大阪府の人口は、それまでの約二倍近くに膨れ上がった。

 連日、東海道新幹線や名神高速道路からは、大きな荷物を持った難民が関西に押し寄せていた。そして、その日を境に関西人による東京難民への差別が始まった。住居不足に始まり、住居の難民への賃貸差別、求人難、難民への求人差別がおこり始めた。また、食料品や日用品の供給が需要に追いつかなくなっていった。


 艦内の医務室内にある集中治療室。真理亜の意識はまだ戻らなかった。

「もう一週間になりますね」看護師が言った。

「ああ、でも、彼女の生命力を信じるとしよう」


 大阪市内の某スーパーマーケット。店員と客が言い争っていた。

「ここのスーパー、納豆とかないんですか?」

「そんなもん、あらへんがな」

「そんなもんとは何ですか! 納豆とか、スーパーなんかには普通にあるもんでしょ」

「郷に入ったら郷に従え言うやろ。大阪の食文化に慣れてもらわんと」

 このような言い争いは、関西の随所で起きていた。

「ここにはペヤングは置いてないのか?」

「ペヤングって何ですの?」

 東京からの難民たちがテレビのインタビューに答えていた。

「全く、食べ物の文化に違いには、ほとほと困ってますよ!」

「そうそう、うどんの出汁は薄いし、すき焼きは割り下じゃなくって、何か砂糖をどっさり直接鍋に乗せるし、何なのあれ!」

「あと、汁物を向こうに置くし……。もう、訳が分からん。汁物はご飯の隣だろ!」

「それから食べ物の言い方もな。豚汁(とんじる)を豚汁(ぶたじる)って言うし、肉まんを豚まんて言うし、綿あめを綿菓子って言うし、餅は丸いし……。いちいちストレスがたまるよ」「ああ、ここは一つ、大阪を東京化しないとな」


 夜。帰宅途中の斎藤瞳は、大阪市内のコンビニにいた。そこで今夜の夕飯のおかずを見繕っていたのだ。そこでおでんとちょっとおしゃれな野菜サラダと、それにスウィーツを買った。


 大阪の繁華街の路地裏。帰宅途中だった斎藤瞳が二人のアメリカ兵から逃げている。路地から路地へと必死に逃げようとする瞳。彼女は、路地裏の丁字路を右に逃げた。しかし、その先は行き止まりになっていた。

路地脇の塀から、米兵がもう一人飛び降りてきた。上から降りてきた男は、瞳の背後から羽交い締めにし、瞳の口を大声が出ないように太い腕でふさいだ。そして、直後に路地裏に追って来た方の男は、瞳の二本の脚をかかえあげた。声を上げようにも声を出すことができない瞳。体をねじって激しく抵抗した。さっきコンビニで買ったおでんとサラダが路上に散った。

 しかし、瞳の抵抗もむなしく、路地裏に連れて行かれた彼女は、そのまま二人のアメリカ兵にレイプされてしまった。路地横の線路を電車が走っていった。


 大阪の路地裏。ズボンのファスナーを上げる米兵たち。路地裏にくっぷしている瞳を後に米兵たちが夜の町へ消えていった。瞳の嗚咽が止まらない。

 その後、瞳はゆっくりと立ち上がり、脱げていた靴を見つけると、それをやっとのことで足先に入れ、そして、よろよろと歩きだした。顔や腕は泥とアザだらけになっており、髪の毛はぐしゃぐしゃに乱れていた。

 繁華街の中をゆらゆらと歩く瞳。それを周りの人たちが奇異な目で眺めていた。

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