第4話 可愛いの相乗効果
誰かが俺の頬を叩いている。
ぺちぺちと、叩くというよりつつくような、やわらかい感触。
ああ、フィルが起こしにきてくれたのか。
おおかたの魔術師の例にもれず、俺は眠りが浅い方だ。明け方になれば勝手に目が覚めるから、わざわざ起こしてもらう必要もない。
だけど、城に来てからはフィルの手を借りて起床するようにしている。
ひとつには、フィルの介添えを断ると、あいつが「ぼくの仕事が……」と大げさに落ち込むからで、もうひとつは、誰かに起こしてもらえるということが俺にとってはなかなかに新鮮で、けっこう嬉しいものだからだ。
ぺちぺち。ぴたぴた。
うん、わかった、わかった。いま起きるから。
なんだか今日はやけにまぶたが重いんだよ。全身だるいし、頭も重い。もしかして風邪でもひいたんだろうか……
ぺちぺち――べろん。
「――うえっ!?」
頬に生温かいものを感じて、俺はぱっと目を開けた。
明るい視界に飛び込んできたのは、白くてむくむくした毛のかたまりと、茶色くてほわほわした――え、誰おまえ?
「あ、起きたあ」
ふわふわ髪の少年が、にこっと俺に笑いかける。その隣で舌を出しているのは白い大型犬。おまえのことは知ってるぞ、馬鹿犬。とりあえず重いからそこをどけ。
「あっ……」
唐突に、記憶がよみがえった。
とっさに身を起こそうとした俺だったが、左足に激痛が走ってあえなく寝台に撃沈する。
「だめだよ、お兄さん。あのねえ、あんせーにしてないとって、せんせーが言ってたんだよ」
そっかあ。ありがとねえ、坊や。でもおにーさん、ちょっと急いでてねえ。
「だから、ぼくとバルトでお兄さんを見張ってるの。ぜったい逃がしちゃだめなの」
愛らしい顔でわりと物騒な台詞を口にするこの少年、見たところ五つか六つといったところか。陽に透ける茶色い髪と、くりっとした若草色の瞳が印象的な男の子だ。
さわやかな朝の光のなか、いかにも純真そうな少年が白い犬の首を抱きながら笑っている光景は、どんな悪人も一発で改心してしまいそうな清らかさに満ちている。
可愛い幼子と可愛い――中身馬鹿だけどな――犬の取り合わせ。まさに可愛いの掛け算だ。
「あー……ぼうず」
とりあえず、俺は状況の整理にとりかかった。
俺が寝かされているのは、品の良い調度に囲まれた小部屋だった。日当たりも良く、少しだけ開いた窓から吹き込む風も心地よい。おまけにちっちゃな介護人までついている。療養にはまず文句のつけようのない環境だろう。
「おまえ、名前はなんてんだ?」
「エリック」
素直に答えたあとで、エリック少年は馬鹿犬を指さした。
「こっちはバルト」
うん、知ってる。でもありがとな。えーと俺は、
「お兄さんはノアでしょ?」
なんで知ってんの? と口にしかけて俺は片手で額を押さえた。
脳裏にまざまざとよみがえる、赤い髪と深い緑の瞳。
「……あのおじさんに聞いたかあ?」
「うん」
こくりとうなずいたエリックを前に、俺はひとしきり勝者の愉悦にひたった。
ふふん、俺は「お兄さん」で、てめーは「おじさん」だ。ざまあみやがれ、皇帝陛下!
「んじゃ、エリック」
バラーシュが聞いたら「いいですね、その程度で幸せになれる人は」とせせら笑うこと請け合いの思いに区切りをつけて、俺は少年への質問を再開する。
「今日が何日かわかるか?」
「麦まき月の三日」
ということは、俺があの皇帝にとっ捕まって丸一日がたっているわけか。思った以上に消耗していたんだな。一昼夜も意識がなかったのは、魔術師の“塔”での修業時代以来だ。
正直、ぞっとする。そんなにも長い間他人に好き放題される状況にあったかと思うと。
幸い、気を失う前と違っているところは、
「あのおじさん、何か言ってたか? なんで俺を助けたのかとか……」
俺の問いかけに、エリックはよくわからないといったふうに首をかしげた。
「お兄さん、怪我してるんでしょう?」
そうだね。足ばっきり折れちゃってるね。これは当分歩けそうにないね。
「だったら、助けないとだめじゃない?」
そうだよねえええっ! ごめんな、お兄さんの心汚れてて。
あーなんか泣けてくるわ。フィルもちっさい頃はこんなだったのかなあ。おまえらはそのまま大きくなるんだぞ。お兄さんからのお願いだ。
「じゃあさ、エリック。あのおじさん、おまえの何なのかな」
おそらく、この少年はあの皇帝の身内なのだろう。エリックの身なりは、華美ではないが庶民のそれとは比べ物にならないほど上質だし、そもそも「あのおじさん」で通じるくらいだから、それなりに近しい間柄と思って間違いない。
もしかして親子とか? でも、だったら「おじさん」じゃなくて「お父さん」だよなあ。
「おじさんはおじさんだよ?」
要領を得ない回答だが、エリック、おまえとは気が合いそうだ。
そうだな、おじさんはどこまでいってもおじさんだな。「お兄さん」との間には越えられない溝があるよなあ!
「――エリック」
だしぬけに、低い声がした。少し開いた扉から、夕陽のような赤毛がのぞく。
「叔父上!」
はずんだ声とともにエリックがそいつに飛びついた。
なんだよ。おじさんて、そっちか。
「あのね、ノア起きたよ」
「それはよかった」
茶色の髪をなでながら、その男――皇帝ギルベルトは俺に屈託のない笑みを向けた。
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