猫の魅惑

!~よたみてい書

第1話

「いらっしゃいませー」


 店員さんのどこか覇気がないあいさつで迎え入れられた。


 私は衣料品店の『むらしま』に足を踏み入れる。

むらしまは全国にチェーン展開されていて、私の家のすぐ近くにもあった。


 店内には比較的、女性客を多く見かけた。

決して男性衣料品が売られていないというわけではない。

しかし、女性向けの商品が多く陳列されているため、必然的に女性の来客が多くなっている気がする。

もちろん私もその一人だ。


 買いたい商品が特にあるわけではないので、適当に店内をぶらつく。

値札を確認しながら歩いていると、やはりむらしまの商品の安さがよく分かった。


 しばらく品定めを楽しんでいると、私の視線が吸い込まれてしまう。


 シャツがハンガーでぶら下げられているコーナーの前で私は足を止める。

たくさんのがらのシャツが陳列されていた。

その中にいくつか、シャツの正面の中心にでかでかと猫の顔がプリントされた物がある。

茶色い毛で覆われた顔。

黄色い瞳をしたまんまるお目目。

笑顔でもなく、悲しい顔でもない、無表情。

だとしても、それがいい。

それが可愛い。

猫の顔がプリントされた可愛いシャツが欲しい。

私の中で買いたい意欲で満たされると、経済事情を考えることなく猫の顔シャツに手を伸ばしていた。


 しかし最終決断するにはまだ早い。

この猫顔シャツが私に似合わなかったら諦めなければいけない。

いくら猫が好きで、可愛いからといって似合わない物で自分を着飾りたくはない。

指をさされ、陰で笑われるものを着たいとは思えない。


 猫顔シャツを持ったまま、私は鏡の前に移動する。

鏡には、猫シャツを持った女性が映し出されている。

猫の顔が描かれたヘアピン。

猫の姿が描かれた指輪。

猫の大きな顔が描かれたネックレス。

とても猫が好きそうな女性。

つまり私だ。


 手に持っている猫顔シャツを自分の胸部に当てて、まるで猫顔シャツを着ている風にしてみた。

似合わなかったらどうしようという不安は一瞬で吹き飛んでいった。

とても可愛かった。

猫好きをアピールできるだけでなく、可愛さも十分保たれている。

異性から注目を浴びるのはもちろん、同性からの嫉妬のまなざしは間違いなし。

勝った。

買った。


 私は高揚しながらレジカウンターに向かう。

店員さんはにこにこと笑顔を向けながら、私の猫顔シャツを受け取る。


「2222円になります」


 金額をつげられたら、ポケットからスマートフォンを取り出す。

黒い猫の顔と目が合った。

スマートフォンを裏返して、画面を指で押していく。

そして、支払いアプリケーションのニャオミャオを起動させ、女性店員にスマートフォンを近づけさせる。


 彼女はバーコードリーダーをスマートフォンにかざす。

しかし、支払い完了の音が聞こえない。


「あれ、お客様、残高が足りないようです」


 そんなことはない。

ここに来る前に、私は確かにチャージを済ませている。


 私はニャオミャオの画面を確認した。

そこに映しだされていた残高の数字は、0だった。


「お客様、いけませんねぇ」


 困惑していると、目の前の女性店員が低い声音で言ってきた。


「タダで商品もらっていこうとするなんて、許せませんよね。これはお仕置きが必要ですね」


 店員さんが不気味な笑みを浮かべると、店員さんの顔に動物の毛が生えてくる。

一体どうなっているんだろう。


 私は恐怖に押しつぶされた。

自分の身の安全を確保するため、すぐに出入り口に駆けていく。

逃げなければ。


 むらしまから出て、振り向いて状況を確認する。

するとむらしまの建物がガラガラと音をならしながら崩れていく。

そして瓦礫の中から、とても大きくて白い毛をした動物のようなものが姿を現した。


「泥棒はどこにいらっしゃいますかぁ?」


 その動物は、見覚えがある。

猫だ。

しかし、大きさが異常だ。


 体が逃げろと告げているので、全速力でその場を離れようとする。

苦しい。

息が吸えない。

そんなに走ってないのに、まともに空気が吸えない。


 ドシンドシンと後ろから足音を鳴らしながら大きな猫が迫ってきている。


 私は再び振り向き、大きな猫の様子を窺う。


 大きな猫はさっきよりも大きくなっていた。

それだけでなく、体毛も黒茶色に変化していて、威圧感が強まっている。


「逃がしませんよー」


 このままじゃやられる。

逃げなければ。

だけど苦しい。

思いっきり走りたいけど、力が出ない。

このままでは追いつかれてしまう。


 私の前方の地面が、大きな影で覆われていく。

視線を上に向けると、巨大な足が私に迫っていた。






 窓から差し込まれた朝日を浴びながら、さっきまで見ていた夢を思い出す。

あの巨大猫はもう迫っては来ていない。

たぶん。

 

 視界には見慣れた自室の天井。

いつもと変わらない日常の朝。

ちょっと違うことといったら、胸部に重みを感じる。

苦しい。


 顔を少し上げて、胸元を確認する。

モモが体を丸めて寝転がっていた。

私の体の上で。


 朝の準備をするために、モモを両手で抱えてベッドの隅に移動させる。

もちろん、モモの朝ごはんの準備もしなければ。

私はキャットフードの袋が置いてある場所に足を向かわせた。

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