第九話 紅恋華
迷宮の第1階層からの救難要請の信号をキャッチした大和は次いでギルドから自動要請された救難ミッションを受託。
足場にした十束剣をジェット噴射でかっ飛ばしながら、既に2階層まで位置を進めていた。
恐らくあと1分も経たずに現着するだろう。
「禊、まだシグナル出てる?」
『数は一。小刻みに動きながら出てるから生きてるね』
「了解。無駄足にはならなさそうだね」
ライバーズ達がいてはできない音声通信で禊とやり取りを交わしながら飛翔する剣の上で首を捻る。
「にしてもなんでAランクに潜るかなー」
『Lv.に応じて侵入エリアが解放されるから低レベル冒険者でも入ダンだけならできる。旨味がないからしないだけ』
「1階層だと……」
『Lv.20。ただ本当に入ダンが許可されてるだけでソロで潜るのは無謀』
「平均出現Lv.は30。パーティ前提で1階層ならギリ行けるか。犠牲者が出たかな?」
確か1階層はまだ出てくる敵も大人しめだったはず。それでも人類全体で考えると相当な上澄みでないと対抗は厳しいが。
『行けるだけ。レベリングもドロップも他所の適性ダンジョンの方が絶対美味しい』
不可解だと暗に示す禊。
そうやり取りする間に階段を翔け降りて1階層へ突入。だだっ広い雪原が広がるダンジョンの入り口とも言える空間に到着した。
『シグナルの位置をマップに表示する』
「了解。……はい、こっちでも確認。
視界の隅に映るマップ上のシグナルめがけて飛びつつ高度を上昇。雪原を見下ろし、真っ白な世界で黒々と浮かぶ救難対象の姿を猛禽に近い動体視力があっさりと捉える。
その背後に文字通り凍り付いた笑顔のまま迫る雪だるまの姿は中々にインパクトがあった。
『シュールだね』
「ホラーだよ」
呑気に言い交す二人の視線の先で黒のツインテールを翻しながら逃げる学生服の少女の悲鳴は中々に切羽詰まっている。あまり余裕はなさそうだ。
とはいえこの距離まで近づいたのなら最早悩むことはない。
「ま、この位置からなら3秒かな」
†《建速嵐》†
嵐を司るスキル、《建速嵐》ならば1階層の大気そのものを支配するのも容易い。
逃げ惑う少女にはそよ風ほどの衝撃も与えず、追い回す
ついでに騒ぎに引き寄せられていた数十体のモンスターもついでに殲滅。周囲に動くものは雪風のみとなった――”否”、
(モンスター……? この近距離で見逃がした? 僕が?)
視界の端に真っ白な体毛の獣型モンスターが駆け去っていく背中が見えた。
禊の霊眼程ではないが風を操る《建速嵐》もまたかなりの索敵精度を誇る。にも拘わらず見落とした。やや不自然なものを感じつつ、まずは救難ミッションを優先して少女の下へと急いだ。
「ひとまずこれで救難ミッションは達成……かな?」
『周囲に敵影なし。後はエスコートだけ』
少女はいきなり雪だるまが爆砕し、その一部を浴びて混乱した様子だが必要経費だろう。
救難対象の下へ翔けつけながら改めて視線の先の氷と泥でドロドロに汚れた学生服の少女をじっくりと眺めた。
するとこれまでは気が付かなかったある特徴が目に留まる。
「……髪、随分と長いね」
『というか、長すぎない? ちょっと異常なレベル』
学生服はまだ理解できる。迷宮専門高等学校、通称迷専の支給品はオモイカネ工業製。迷宮攻略の蛮用に耐える優秀な装備だ。
だが大和と禊が声を合わせて訝しむ程少女の髪は長かった。長すぎた。
『貞子みたいだね』
「それ絶対に本人には言わないでね? 何か事情があるかもしれないし」
禊の直球過ぎる心無い一言に釘を刺す大和。この姉はたまに、いや割と頻繁に空気を読めないことがあるのだ。
あの異様に長い黒髪……余程奇抜なファッションセンスの持ち主でなければ相応の理由があるのだろう。悪戯にそこへ触れる気はなかった。
『それと……』
「まだ何かある?」
『ん。なんでもない』
「そう。じゃあ、いい加減降りようか」
言いかけた言葉を咄嗟に飲み込む禊。
禊の霊眼が読み取った言葉にしがたい違和感。なんともあやふやな感覚を言葉にできなかったからだった。
そんな禊の様子に気付かず大和は十束剣を操作し、ゆっくりと降下し始めた。
「え? え、え?」
「大丈夫ですか?」
「……え?」
風とともに剣に乗って少女の前へ舞い降りる。大和jは軽やかに雪原に降り立つと、氷と泥に汚れて倒れたままの少女へ手を差し出した。
「冒険者です。あなたのことを助けに来ました――もう大丈夫ですよ」
「冒険者、様?」
「はい。この周辺は安全です。ゆっくり気を落ち着けてください」
虚脱して動かない少女を安心させるため、意識して柔らかく声をかける。
差し出した手も催促せずそのままでいると、少女は少しの間迷った後、ゆっくりと大和の手を握り返した。
「起こしますよ?」
「え? あ、はい!」
一声かけてから倒れた少女を引き起こす。髪に顔が隠れてはっきりとは分からないが彼女の目線は大和より下で、見かけ通りの軽さだった。
大和の中で少女の好感度が勝手に上がった。男が下がった。
「あ、ありがとうございます。
「いえいえ。ミッションですから」
迷宮での救難ミッションはトラブル防止のためかなり救助者有利に設定されている。そのため余程のピンチでなければ冒険者は救難信号を出したがらない。
救助費用はかなり高額だし、救難対象が損害を負っても基本救助者側に補償の義務はない。自己責任論が強い冒険者業界の風土が出た制度だ。
「いえ、Aランク迷宮で助けが来るなんて本当に幸運でした。どうかお礼を言わせてください」
そう言って淑やかに頭を下げて一礼する少女。厳しく躾けられたのだろう。所作の端々から育ちの良さが見て取れた。
失礼な言い方になるが見かけよりも大分まともなやり取りに大和は胸の内でこっそりと息を吐いた。
「申し遅れました。私、東京第一迷宮専門学校所属の2年生
そしてゆっくりと顔を上げると改めて胸に手を当て、ハキハキとした声で自己紹介した。
彼女が名乗った所属校が大和の中に引っかかり、つい問いかける。
「東京第一? もしかして僕と同じ学校ですか?」
「えっ、あっ……その制服は確かに」
しげしげと大和の服装を見て頷く少女。大和と少女の学生服は男女の違いこそあれ意匠は共通していた。
なおこれは正確には大和の装備をモデルに迷専の制服が作られている、と言った方が正しい。
「僕はサボってばかりの不良生徒ですけどねー」
「まあ」
週に6日はダンジョンに篭るダンジョンジャンキーの言い草に蓮華が上品な仕草で口元を手で押さえ、驚きの声をあげた。
(ものは言いよう)
(単なる事実ですー)
禊の皮肉に軽く言い返す。
週6日の使い道は配信が半分だがもう半分は治安上の実利……高ランクダンジョン潰しに使われている。
大和のネームバリューを求める学校側も中々口出しできず、9割方籍だけ置いてある状態だった。
「あっと、名乗りが遅れました。改めて僕は黒鉄大和といいます。よろしく」
「……え”っ」
折り目正しい少女の挨拶に大和も丁寧に応じる。が、その名乗りを聞いて少女がピシリ、と固まった。
助けられたという事実に安堵し、助けた相手の顔をはっきりと見ていなかったのだろう。それに自分を助けた相手が世界一有名な冒険者であることなど考えもしていなかったに違いない。
顔を隠す黒髪の奥から改めて大和の顔をまじまじと確認している気配があった。
「あ、ちなみに
「――――ええええええええええええぇぇぇっ!?!!?」
大和の営業トークを遮り、広大な雪原に少女の絶叫が響いた。
「え、……え? もしかして黒鉄大和様!?
「OK、理解しました。ちょっと落ち着きましょうか」
『なんという典型的なオタクの早口……』
「え。今の声もしかしてみそP様ですか!? わぁすっごい、生で聞くのは初めてです!」
思いがけぬ幸運に興奮し、テンション高めに喋る少女の声は少し鼻にかかったように高いスイートボイス。記憶に残る個性的な声だった。
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