上流階級になれるのは

「甲斐さん、道具はこうやって使うのです」

「はい……」


 甲斐と言う名のどう見ても還暦間近の女性が、作業服を着て動いている。

 幸いにと言うべきか曇り空であるが、それでも明らかに動きは鈍い。全くこの仕事に慣れていないと言うか、仕事自体をした経験すらなさそうに見える。

 佐藤と言う名札の付いた、彼女のたった一人の上司に指導をされる事となった彼女。


「他に仲間とか……」

「いませんよ、いたとしても他地区に配置されています…」

「そうですか…やっぱ気のせいじゃなかったんだ……」


 本来ならばもう少し気が強そうなはずの顔には生気がなく、それでいて動きだけは自分なりの最高速を出している。

 その下の鬱屈とした感情を抑え込むかのように、自分なりに目の前の仕事に精を注いでいるのだろう。



 なぜ、こんな年にもなって。なぜ、こんな所で。なぜ、一人ぼっちで。



 そして、なぜこんな仕事を。

 


 いくつものなぜが、彼女の頭を支配していた。

 その度に頭が熱くなるのをこらえ、目の前の作業に集中する。無論技量は伴っていないから速度も精度も佐藤と比べ推して知るべしだが、心がけだけは一流だった。




※※※※※※




 本来ならば、管制塔の仕事に研修など必要ない。

 管制塔の仕事とはそれこそある種の人海戦術であり、十五階であるにせよないにせよ多数の人間を突っ込んでフル回転させるのがやり方である。十五階についてAI技術を使えないか議論になった事もあったが、現状その方向には進んでいない。基本的に第二の女性だけの町に向かって来る男性性を持った生物を電磁波により駆逐するだけの単純なお仕事であり、慣れさえすればそれほど難しい訳ではない。ただ桁外れた集中力が要ると言うだけだ。

 そしてその下となるとなおさらである。それこそ徹底的にこの世界にとって

害毒になりそうな存在を発見しては諫言し、いくら嫌われようと決して手を抜かない。

 それだけでいい。無論そのためのテンプレート的な文は存在しそれを覚えるなどの作業は必要だが、あまり同じになりすぎると第二の女性だけの町から来たと読まれるので上層部はともかく現場ではそれほどこだわりはない。



 研修とか言っているが、その実は余りにも人が増えすぎたので電波塔のキャパシティーが一杯になっただけだった。

 実際十五階はともかくそれ以外の社員の仕事は電波塔の中でなくともできる仕事であり、何ならテレワークでも問題はなかった。無論勤怠管理などの問題はあり現状電波塔と言うか町が所有しているそれに入る事になるが、現状それ以外の差はなくなると言うかなくす事になっている。ただあくまでもなくす事に「なっている」なので、実際にできるかどうかはまだこれからと言わざるを得ないのも事実だった。




 そして、研修を受ける事さえできない人間もいた。




※※※※※※




「ハア、ハア……」


 水道工事のための資材を運ぶ、一人の女性。

 言うまでもなく作業着を身にまとった、その上に化粧っ気の全くない女性。

 見方によっては薄幸の美人とも取れなくもない彼女は、体中から汗を流しながら息を上げている。

「ごめんなさい、ごめんなさい、北原さん……」

「いいんです。あなたは自分にできる事をやってくれれば」

「でも私、その、えっと…外山さんって人の…」

「大丈夫ですから」

 北原と言う名の先輩に対し、野田と言う名札の付いた女性はひたすら平身低頭している。

 つい先ごろ仲間を失ったらしい彼女の心境がどれほどの物か計り知れないとわかっていても、突っ込んで行かない訳には行かない。


「あなた外から来たんでしょう?どうして?」

「誰も助けてくれなくて……それで…………」

「何でも言ってちょうだい。できるかわからないけど……」

「あの、私……いえ何でもないです!」



 野田もまた、甲斐と同じくのろのろとではあるが着実に動く。北原の心痛を塗り潰すかのように、決して声を荒げることなくそして休む事もしないで動く。


「道具の使い方とか教えますから」

「でも仕事が止まってしまうんじゃ」

「構いません。どうせ私達しかいないんですから」

 ほとんどワンオペと言って差し支えない北原の手を煩わせる事に罪悪感を露わにする野田だったが、北原は仕事ぶりを通行人に見られているくせにそんな事を言い出す。


 いや、通行人たちの誰も彼女らなど見ていない。


 外山と言う存在が死んだ事さえも、対外的に発表される「マイ・フレンズ」の存在を苦にしての自殺と言うそれで初めて知ったと言う住民さえ少なくなかった。岸の殺害と刈谷の死刑執行はヒットザターゲットを見送ってまで放送されたのにだ。


 この町における婚活にて、公務員を名乗る人間は地雷と言うのがある。

 水道工事・道路整備・ゴミ処理、みんな公務員だ。

 クビの心配はないが労働時間ばかり長く給料は安く、社会的地位も低い。

 それこそその気になればいつでも就けそうなほどになるのがたやすく、いわゆるでもしかと言われる職業であった。それこそ病気などで永らく職に就いていなかったり、受刑者の釈放後の職業としてあっせんされる事も多々あった。無論後者の場合余計に社会的地位は低く、それこそ底辺職の中の底辺職と言う扱いである。他には学校で使う人形に貼り付けるイラストを描かされるそれもあるが、いずれにせよ歓迎されるそれではない。最近では無駄に腕力を付けさせてしまうと言う事で肉体労働も好まれず、刑務所の中で聞こえるのはイラストを描く音だけだと言う話まである。実際死刑囚であった刈谷も、わずか二日の入牢の間に二枚ほどオトコの絵を描かされていたらしい。

 



 だが、野田は甲斐と言う、息子の嫁をいびりまくったせいで夫からも息子からも捨てられてこの町に追い込まれたような人間ではない。


 女性としての尊厳を最悪の形で奪われた、この町が本来守るべき存在だった。


 ちなみにその犯人は外の世界で十二年の刑を受けているが、そんな物が野田の心を癒すそれではない事は海藤拓海の一件からしても明らかだった。


 本当ならばさっそくキーボードを叩いてしかるべき、上流階級になれるはずの存在だった。

 それなのに無駄に汗を掻き、細い体をさらに細くさせている。それに一体何の意味があるのだろうか。

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