何百万人の海藤拓海

「いずれは主要人物、歴史の証人として彼女の名前を載せねばならない。彼女の名前を」

「彼女を」

「海藤拓海をだ」




 海藤拓海。



 外の世界で暮らしていた、一人の幼気な少女。




 そんな彼女の運命が狂ったのは、小学校一年生の時だった。


 一人で裏道を通って登校していた彼女は、いきなり一人の男に拘束されてしまう。

 その男はこの上なく気持ち悪い———キモいとか言う安っぽい言葉では片付かないほどの———笑顔を浮かべながら、生きた人形として扱った。

 殴る蹴るの暴行を始め尊厳破壊に余念がなく、部屋に多数置かれていた少女マンガと言うか男に媚を売るような女たちが並ぶようなマンガと、それらに登場するようなキャラのフィギュア。そして現実の世界にいないはずの彼女らの服装を模して造られたたくさんの衣装。


 この上なく業腹な事に、その男は彼女を監禁してから仕事がかなり順調に進むようになった。逮捕があとひと月遅れていたら、昇進まであったと言う。

 その男は、たった十年後に釈放され、自分勝手に死んだ。

 海藤拓海と言う成績優秀なはずの存在が、高校にも行けずに働くしかなくなったと言うのにだ。


「もしこの時我々がより強く諫言していたら、それこそあの輩は死刑になっていたかもしれぬ」

「死刑になっていれば海藤拓海の溜飲が下がっていたのでしょうか」

「間違いない。あの手の輩こそ、もっともこの世で忌むべき存在にして人類の恥、いや猿にも劣る生き物の恥さらし。わずか十年の刑期で出て来て、まともな体力もないはずなのにわずか五年で金を払って逃げた…………」


 それこそまともに体も鍛えずにいたような男が、拓海の両親から民事訴訟で請求された賠償金をわずか五年で払い終えた。それも、全ては逮捕されてから十五年間自前のコレクションたちに会うためだけに。

 もし家族が賠償金の糧として捨て値で売り飛ばしていなければ、今でも醜く生きてさらに犠牲者を増やしていたかもしれない。


 勝ち逃げではないか、死ぬまでこき使い一生涯をかけて被害者への償いをさせるべきだ。

 そう百恵はその輩の家族を責め立て、さらに拓海への補償金を払わせようとした。だが向こうは手切れ金としてあの輩の追うべき金を払ったからと言って逃げ回り、外の世界の裁判所とやらももうこれ以上は無理だと言ってその輩を追及しなかった。

「だから私は動いた。その卑劣な輩を破滅させるべく」

「素晴らしい事です。しかし外の世界の甘さと来たら……一人の女性の運命をここまで狂わせておいて、一体何なんでしょうね」


 家族の個人情報をハッキングし、あちこちへとばら撒く。親類縁者に最悪の輩がいる事を知らせ、その責任から逃げ回る最悪の存在であると言いふらした。結果、その輩の兄弟は皆社会的地位を失い……とはならなかった。

 あの輩の両親はその時既に亡く、責任者となったあの輩の伯父も既に隠居人で失うべき地位はほとんどなかった。それでも彼の歪んだ趣味趣向を咎めなかったとか言う理屈をつけて非難したが、結果肝心要の海藤拓海の家族がなぜかひるんでしまい、情報を伝播した存在を突き止め賠償金を逆に払わせると言い出したのだ。

 来るなら来いと言わんばかりに対峙してやろうと思っていた九条だったが、やがてどこからか責任者と言うか九条たちがこの町の住人である事が露見すると急に世間の態度が軟化。この町のやり方が死人に鞭打つ非道として語られてしまった挙句それでも止めなかったのが悪いと開き直った結果、ああなってしまったのだ。


「それでももし私たちの町に来ていたらと思うと今でも悔やまれてなりません。何を血迷ったのか彼女の親たちも女性だけの町の存在を徹底的に秘匿し続け、彼女はどうやらついにこの町の存在を知らないまま亡くなってしまったようです。あんな最悪の肩書と共に……」


 

 第一の女性だけの町へと入り込んだのも、わずかに情報を聞き入れた偶然に過ぎない。

 そしてそこで出会った黄川田達子と言う存在により議員秘書となった彼女は、自分たちをようやく理解してくれた存在である達子のために第一の女性だけの町の電波塔を占拠し、自分の願望を思うがままにぶつけようとした。



 家族や友人などは皆、甘ったるい事ばかり言う。



 憎しみは何の意味もない。


 むしろ憎しみに囚われている方があの輩の思う壺。


 自分の人生を生きろ。


 復讐と言うのはあんなのなんかよりもずっと幸福になる事。



 そんな言葉ばかり投げ付ければ投げ付けられるだけ、海藤拓海は孤独になった。

 そして誰も自分の心の憎しみを理解しようとしないまま、事件から四半世紀の時が経った。



 そこでようやく見つけた女性だけの町と言う名の新たなる世界に希望を抱き、自分の憎しみを共感してくれる存在を得んと欲した。

 だがそこは第二次産業従事者と言う名の男性的存在が支配者階級となっている町でしかなく、彼女はすぐに失望。そして第二の女性だけの町の存在を知る事もないまま、選挙と言う名の合法的な戦いに挑み惨敗。


 そしてその戦いの結果に納得が行かず、自分の気持ちに正直になるため。



 男たちへの怒りを世界中にぶつけるため。



 テロリストとして動き、死刑囚としてこの世を去ったのだ。

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