「最終章 魅力」、「あとがき」

 JF党事件から二十数年の時を経てついこの前、発生したのが「正道党事件」である。

 選挙の敗北からのテロ行為と言う事で住民たちはJF党事件を思い出し、その流れで正道党事件を「第四次大戦」と呼ぶ向きもあるが、現状では約二時間で事件が解決した事もありその名は広まっていない。


 とにかく二十年に一度とは言え大規模テロ事件が起こってしまう以上女性だけの町はやはり問題が、と言う論旨を唱える人間はいた。

 もっともそれは外の世界でもその手の事件が発生している以上揚げ足取りでしかなく、その手の疑問の答えにはなりにくい。


 彼女たちはなぜそんな事をしたのか。

 この町を最大限に自分の都合の良い存在にせんとしたJF党、この町の成功を認めた上でその存在を一刻も早く拡大していくべきだとした正道党。

 両者が同根なのか否かは、女性だけの町の中でも議論が行われている。



 これは個人的見解であるが、両党は同根であると私は見ている。


 それは、「期待」と「裏切り」だ。



「女性だけの町」と言う言葉に、どれだけの魅力があるだろうか。著者は女性ではあるが、その事がよくわからない。

 町内でインタビューした事も幾度もあったが、この町を作ったある程度以上の年齢層の女性たちや「移住者」である女性たちは安全性を訴える一方でこの町に生まれて育ったネイティブとでも言うべき人間たちは特に何もと言う回答が多く、ありがちではあるが灯台下暗しと言う奴なのだろう。


「あの町はですね、時間がゆっくり流れるんですよ」


 そんな中女性だけの町に生まれ育ち、外の世界にやって来た一人の女性から聞かされた言葉は実に面白いそれだった。

 彼女は女性だけの町で名の知れた「俳優」であり、さらなるステップアップのために外の世界に出て来た。だが彼女の芸は全く通じず、大部屋俳優として通行人Aや取り巻きBとか言う端役を与えられるばかりで数年間で事実上廃業し、その際に出会った男性と婚姻、現在はエッセイストとして活動していた。

「古本屋と言う概念さえも、あの町にはありませんでした。あるとすれば、それこそ裏本を取り扱う闇の店だったのです」

 そう聞かされた時には目を開いたが、その裏本と言うのはあの町に存在する大学入試の過去問を記したいわゆる赤本や、第四章で述べたようなアングラ施設がネタとして用いるための同人誌の海賊版である。後者はまだともかく前者が裏本扱いされていたのには驚いたが、彼女曰く自分で考える力を奪い勉強しかできない似非エリートを産んでしまう危険性があると。女性だけの町の大学の入試問題は科目によっては一問だけと言う事も珍しくなく、その一問が流出すればそれこそ重大事件である事は想像に難くない。

 それはさておき、古本屋とか言っても数日前に発行された本もあれば三十年物のそれもある。古本屋と言うのはある意味タイムマシンであり、様々な時代のそれが詰まったなかなかにカオスな空間でもある。

 

 そう、数日前の本がすぐさま古本屋送りになるのが我々の世界だ。実際この本ももう飽きたとか言って古本屋に送られるかもしれないが、そんなのは筆者は先刻承知ゆえ気にしないでもらいたい。

 だが女性だけの町では極めて秩序立った、正確な生活が営まれている。インフラの整備と維持が最重要課題となっている以上そこに優秀な人材が注ぎ込まれ、決して腐敗する事はない。そしてそれゆえに変化は少なく、少なくとも衰退の二文字はない。取り分け目立ちやすいエンターテイメント部門がそうである事から顕著だが、この町は良い意味で時間が止まっているとも言えるのだ。




 長々と書いたが、今の「女性だけの町」はかつて男性たちから非難された種々の文句を解消するために動いた結果「第二次産業に従事する力強い女性」と言う名の「男性的存在」と、それに支えられる「女性的存在」によるコミュニティになっていると言える。

 それは結局の所「セックス的な女性」が集まった町であり「ジェンダー的な女性の町」ではない、それこそ「本当の女性」、「世間一般の苦しむ女性」たちだけが暮らせるような町でなければ意味がないとしてそのような町を求めて実情を知り結局「本当の女性だけの町」になっていないとして動いたのがJF党であり、この町の成功を踏まえた上で自分たちだけの殻に閉じこもり自己完結している現状に不満を抱いたのが正道党だった。

 どちらも、自分勝手に期待して自分勝手に裏切られたと思い、自分勝手に暴走しただけである。極めてはた迷惑な話だと言い切るのは簡単だが、結局のところ人類はまだこれ以上の「女性だけの町」を作る事は出来ていない。

 この原稿を執筆中に「第二の女性だけの町」ができたと言う話を聞いているが、その町が「第一の女性だけの町」と同じ形になるのか、それとも全く別のそれになるのか。筆者としてはじっと見守って行く所存である。











 最後の最後に余談ではあるが、女性だけの町が出来てから今までの間、外の世界にも大きな変化があった。


 最近、テレビなどの規制が緩くなっているのだ。


 原作至上主義と言う言葉を武器に、女性だけの町の端緒となった入浴シーンを始めとした露出や放尿、暴力行為などは「第一次大戦」の時並みに増え、既に原作者が亡くなった今でも大して改定されていない。さすがに関係ない所までと言うのは減ったようだが、それでも元からあったそれが減る事はない。

 それこそうるさ方が文句をつける事が減ったとか、その方が視聴率が稼げるとか、あくまでも原作第一であるとか様々な言説が飛び交っているが、もし一番目の理由だとしたらこの上ない皮肉であり、そしてある意味もっとも想像に難くない事態だったと言えるかもしれない。


 女性だけの町を作った人間たちがいわゆる「声だけ大きい少数派」であるかどうかについてはわからないが、もし彼女たちが視聴者やテレビ局の人間やスポンサー、あるいは出版社などにとって「邪魔者」だと言うのであったのならばこの結果はウィンウィンと言うより他なくなってしまう。実際その番組の視聴率などは第一次大戦の時とさほど変わっておらず、スポンサー企業も潤い続けている。もちろん他の番組などの需要を吸い上げているとも言えるが、それでも彼女たちが嫌ったそれは世の中にとって確実に必要とされていると言うのは、紛れもない事実なのだろう。


 とにかく一人でも多くの人が幸福でいられる事を願うばかりであると言う一般的な言葉を残して、私はこの本の著述を終える事としよう。




                                 谷川ネネ

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