「悩みを打ち明けて」
一時間ほど横になった大野は給仕がしてくれた化粧のおかげで別人のようになっていた。
「相手とは連絡を取っております。必要な荷物は運転手を派遣した上で引き取りますが」
「いいです」
「やっぱりそうですか、すみません形式的な質問なので」
監察官の通りいっぺんとしか言いようのない質問に首を縦に振りながら、目一杯の手荷物を抱え込む。飛び込みのような形で来た人間はたまに回収を頼む事もあるが、そうでない場合はほぼ100%ノーと言われる質問だった。
「とりあえず相手からのメッセージを受け取りますか」
「もう少し理性的になってから話しかけて下さいとお伝えください」
「かしこまりました」
この町に外部から男性が連絡するためには、監察官を通さねばならない。そうしなくて済むのは議員だけであり、ある意味十五階や産婦人科医以上の特権階級だった。もっとも監察官は一人ではなく五人いたからいわゆるガチャの面はあったが、今現在実質所長とでも言うべき彼女の選択はかなり重い。残る四人がイエスと言っても彼女がノーと言えばノーとなりそうなほどであり、誰もが彼女に気を使いながら過ごしていた。
「何か…」
「何もありませんけど」
良い意味で機械的で、決して仕事に手を抜かない。それでいてその事に不満をこぼす事もなく、定時が終わっても翌日への準備を怠らない。ホットラインそのものは二十四時間体制だから夜勤担当への手続きなどはあるが、それでも彼女は体力が無制限ならば本当に二十四時間働けそうなほどにエネルギッシュであり、彼女が三人いれば入町管理局は他に誰も要らないと陰で言う人間もいた。
そんな事など露知らずに安寧を楽しんでいた大野は、自分たちにあてがわれている建物を歩き回っていた。
自分たちの仲間が、あふれている。
男に虐げられた女たちが、あふれている。
「ここはシェルターであり、ノアの箱舟です。世界中の男に虐げられた女たちを救うための」
「いつかこれもなくなるんでしょうか」
「私たちは過渡期にいます。世界中がお互いを慮り、誰もお互いを傷つけなくなるようになるまで。男たちが、女の心を踏みにじる事がなくなるまで」
「ですが私の母と言う女性は私の心を踏み付けにしました、いやと言うか踏みにじられたと訴えた私の事をむしろ責めていました」
「残念ながらそのように教育された悲しみは消せません。その歪んだ人格を正すにはよほどのショックを与えねばなりませんが、こちらがそれを行使できないのは悲しい事です。男性的な醜さに気付かせようとすればするだけ、なぜか皆離れていくのです」
人間はなぜか、わざわざ危険な目に遭いたがる。自分たちがいくら危険だ、抑制すべきだと言いふらしても、むしろ耳目を集めてしまう。そして連中の反応はやっぱり危険だった、これが何か、なぜ抑制するんだよの三通りに分かれ、一番目以外はこちらを好意的に見なくなる。
監察官の言葉は極めて正しく、口調に淀みがない。文字通りの立て板に水であり、大野の心に流れ込む。あの時ぶち壊された心を誰も守ってくれないままここまで来た彼女にとり、監察官の言葉は金言だった。
自分は正しい。自分は救われた。もっとたくさんの人間を救いたい。
自分が十歳も二十歳も若返ったかのように足取りは軽く、生半なホテルよりも豪奢な建物を歩き回る。
そんな大野の目に飛び込んで来たのは、ひどく身体の重そうな女性だった。
「どうしたんです?」
「うっ…」
体重だけでなく心も軽くなり、口も軽くなる。元々人並みには社交的だった大野が蘇った訳であるが、相手の女性の心はちっとも軽くならなさそうだった。
「いや、あの…」
「あなたも外の世界で大変な目に遭ったんですよね」
「そんな事はありません!」
その早口だけで、心情を読み取るはたやす過ぎた。
こちらに来るな、今は放っておいてくれ。自分もそうだった。
「そんな事はないじゃないですよ!」
だから、大野は叫んだ。
「ほっといて下さい!」
「ほっとけません!八つ当たりでも何でもいいから全部話してください!」
「あっち行って下さい!」
「行きません!」
拒絶されても喰らいつき、さらに吠え掛かる。
必死に勇気を出して告白してみても、また聞き流されるかもしれない。いっそ怒鳴りつけてくれれば噛みつきようもあるが、嘲笑を込めているにせよいないにせよ穏やかに対応されるのが一番傷付く。自分があふれ出る感情をむき出しにして晴らしたいのにそれを封じ込まれるのは、なお一層不愉快でしかない。
相手の女性はついに涙目になり、救いを求めるように首を振るが誰もリアクションしない。
「わかりましたぁ!言います、言いますからぁ!」
「ではあなたの部屋へ案内してください!」
大野は、そうして彼女を強引に説き伏せたのである。
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