第二章 「上流階級」

パティスリー・ビューティーレディー

「いらっしゃいませ」



 自動ドアが開き、客を出迎える声が鳴り響く。


 当然ながら、客は女性であり店員も女性。

 もちろん、店長も女性だった。


「弘美さん、ショートケーキを2つ」

「かしこまりました。保冷剤は必要ですか」

「いえ結構です」

「わかりました」


 パティスリー・ビューティーレディーのオーナーパティスリーである弘美は、トングを器用に持ちながら自家製のケーキを箱に放り込む。

 もっともこんな御大層な名前をしていても、店員はオーナーパティスリーである弘美ともう一人しかいない。


「大丈夫なの」

「大丈夫ですよ、何せ得意先がありますから」


 一営業日の売り上げで行けば三十個からせいぜい五十個しか売れていないようなこのケーキ屋が成り立つのは、営業日以外のそれが大きい。

 具体的に言えば、このパティスリー・ビューティーレディーは毎週二個の施設に二百個ずつのケーキを届けている。また売れ残りも別の場所にて捌けているため、赤字にはならない。

「本当弘美さんのケーキは優しくておいしいのよね」

「ありがとうございます」

 自分よりやや年上の女性に向かって頭を下げる弘美の顔に不安を感じるのは、かなり困難な作業だろう。それでもやろうと思えばできなくはないが、そんな事をしようとする人間などこの町には一人もいないのだ。


「いらっしゃいませ」


 その店に、また一人の客が入って来る。


「ガトーショコラをイートインで。飲み物はレモンティー」

「かしこまりました」


 緑色に囲まれた椅子に座る、一人の女性。数席ながらイートインスペースもあり、午後二時ぐらいになるといつも数人の女性が席に座って談笑し合う。それもまたこの町ではありふれた風景だった。


「そう言えば弘美さん…」

「ええ。古来よりこの手の代物は女性の専売特許でした。だと言うのに男女平等と言う名の下に男たちは侵入して来ました。それが厄介で仕方なくて」


 古来より甘味とは女性の専売特許であると決まっている、そのはずなのにいつの間にか男性が侵入し、女性の聖域をも脅かした。

「私は必死に耐えながら夢を叶えようとしましたが限界でした。女にすがろうにもまったく悪意もなく言う事を聞くべしと言う人間ばかりで……」

「辛い思いをしたのね……」


 常連客も皆まで聞こうとはしない。優雅なバイオリンの音色が流れる中で運ばれる紅茶はレモンの輝きを受けて透き通り、値段と紅茶の専門店ではと言う点を加味してもなお美味しそうと思わせるにふさわしい姿をしている。言うまでもなく入れたのは弘美であり、全くの独学だとは思えないほどに優れていた。

「それでこの町の噂を聞き付けて」

「ええ。今はもうありませんけど補助金もあったんで」

 この町に入居した住民、取り分け個人事業主には数年間町から補助金が送られる事になっている。店の規模その他により額は違うが、少なくとも初年度の弘美の収入で一番多かったのはその補助金だった。その補助金で売れない時代を凌ぎ、ようやく形になって来たのが施設との提携を結んでからだった。


「いい音楽ですね」

「もちろん女性が演奏したそれです。優雅で癒されますよね」


 BGMとして流れるのは、バイオリンの独奏。

 この町の楽団の花形奏者が演奏する曲は町中の住人達に親しまれており、売り上げも極めて好調である。


「これこそが私たちの求めていた物なんですよね」

「そうなんです。訳の分からない代物をごてごてと付けて、ケーキを食べさせるのではなくその代物を味合わせるとか、それこそ虚飾そのもの。そしてそんなのに皆引っかかり、大事な時間と金銭、いや人生そのものを浪費する。そんな下心満載の世界を作っていたのが紛れもない男たちです。その気になれば何でもやっちゃうんですから」



 この町にもケーキとは違う、スナック菓子はある。

 だがそのパッケージは極めてシンプルに商品を説明しているだけであり、全く関係のないキャラクターが乗っている事はない。時々「関係のある」キャラやお菓子メーカー自家製のキャラが乗っている事はあるが、前者はともかく後者はこの町においてはあまり歓迎されない。


「何でもかんでも美少女美少女。

 数年前、子どもの時から慣れ親しんでいたお菓子が美少女にされた時には胃がひっくり返りそうになり、そして二日ほど欠勤して」

「そのままこっちの町に来たんですよね」

「そうです。ですから下手にキャラとか作り出されると購買意欲が萎えてしまうと言うか……」

「わかりますわかります、本当に何がしたいのかわからないですよねああいうのって。キャラを売りたいのか商品を売りたいのか、あんな物に触れたら人間としてよくない所ばかりが発達します、文字通りの奇形の人間が出来上がります。ああいう風にね」


 ありえないほど大きな目。ありえないほど大きな胸。ありえないほどつややかな髪の毛。何から何まで自然の摂理を踏みにじるかのような産物。

 お菓子からさえもそんな存在を生み出すような男たちに、弘美もその客も愛想を尽かしたのである。

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