生涯で一番時給が高かったバイトの話

とみき ウィズ

第1話

「生涯で一番時給が高かったバイトの話」




            とみき ウィズ




1980年頃、俺はまだ二十歳前の専門学校生だった。

世の中にはスマホどころかガラケーも姿を見せず、インターネットの普及なんてSFの世界の出来事だった。

いまでは考えられないところなんだろうけど、皆大っぴらにタバコを吸い歩き、酒酔い運転もそんな大それた犯罪とみなされてなくて…まぁ昭和って時代だったな。

そんな時代にふとした事がきっかけで俺はとんでもなく時給が高いバイトをする事になった。

結局短期で終わったけど時給は優に1万円を超えていたな。

お金以外でもらった物も含めると時給3万円以上だったと思う。

なんの特殊技能を持つわけでもないひよっこの学生としては結構な額だと思う。

これからその話を思い出せる限り書こうと思う。

だけど、俺にとっては時給が高かった以上にその時に出会った人たちがずっとずっと、たぶん一生忘れられない…人生の財産なのかも知れない…なんて、ふと思う晩もある。



第零日目


「ソノダくん、ごめんね~、これ、給料の残り。

 多少色をつけておいたから…」


 けたたましく電話の音が鳴り響く中で慌てふためく社員達が書類や事務用具の片付けに追われている事務所の片隅、小太りで血色が良いくせに生活に疲れきった雰囲気をかもし出す作業服姿の中年男の係長がぺらっぺらの薄い封筒を俺に差し出すと手を合わせて何度も頭を下げた。

 頭を下げるたびに係長の禿げた頭皮が蛍光灯の光を反射してきらきらと光り、それが周りの状況にあまりにもそぐわなくて俺は笑いを抑えるのに必死で顔を引き締めていたんだけど、奴は俺が不機嫌になってると勘違いして、なおいっそうぺこぺこと頭を下げた。


(まったく笑う暇なんて無いのにな…)


 その日映像関係の専門学校に通いながら過酷な肉体労働のアルバイトで苦しい生活を送っていた俺にとって、とんでもない一大事な事が起きた。

 それまで時給830円で働いていた倉庫会社がいきなり倒産してしまったのだ。今から30年ほど前、俺は映像関係の専門学校に通う19歳の世間知らずの小僧だった。

 このころバブルと言う言葉がちらほら聞こえ始め、日本は景気がどんどん良くなり、国全体がうかれ始めた頃だった。

 それでも倒産する会社はあり、俺は運悪くそういう会社でアルバイトをしていたのだ。

 俺は事務所を出ると係長の手汗の滲みがついた封筒を空けて金額を確かめた。

 明細書にはなにやらいろいろと引かれて27416円と記してあって、少し色…ちっ…286円余計につまり27702円入っていた。

 俺は金を財布に入れて封筒と明細書をくしゃくしゃに丸めて投げ捨てると倉庫会社を後にした。

 これでは来月の家賃はおろか食費さえままならない。


 (さて、急いでどこかでまたバイト先を探さないとなぁ~)


  俺は倉庫会社があった下落合の入り組んだ狭い路地を歩いて新宿百人町にある俺が通っている専門学校まで来た。

 10月も半ばを過ぎて時折今の俺の懐具合にそっくりな薄ら寒い風が吹いていた。

 もう少し足を伸ばせば新宿歌舞伎町。

 俺が通う専門学校がある新宿百人町のとなり町、そう、日本で一番の歓楽街だ。


(今度は力仕事じゃなくて接客かなんかのバイトがよいなぁ…)


 汗にまみれて力仕事をするのに少し飽きていた俺がそう考えながら歌舞伎町の外れを歩いていると電柱に手書きの怪しい貼り紙があるのを見つけた。


 『急募!男子ウェイター!1名!体格の良い人歓迎、未経験可学生可日払い可 !時給1800円!』


 その紙にはぶっとい黒マジックでいささかやけくそのような殴り書きでそう書かれていた。


(…ななな何だとぉ!時給が1800円ですとぉ!マジかマジかマジかマジか…)


 俺は電柱から紙を引き剥がしてまじまじと見た。

 確かにぶっとい黒マジックでやけくそのような殴り書きで時給が1800円と書いてあった。

 俺は目をこすってもう一度紙を見た。

 今から30年前で時給が1800円のアルバイトなんてまず無かったのだ。

この時から2年前高校生の時に初めてアルバイトしたのが埼玉県川口市民ならみんな知ってるキンカドーというスーパーでその時の時給が420円、その後すかいらーくというファミレスで日本で一番売り上げが高かった支店でアルバイトした時の時給が680円だった。

 高校を卒業して専門学校に通うようになって倉庫会社でアルバイトをした時にやっと時給830円という俺にとって、時給1800円というのはとてつもなく高額極まりない時給だ。

 俺は金額を確かめると募集が1名というところに目が付き、ライバルを減らすために辺りをくまなく歩いて、同じ募集の紙を次々と剥がしてくしゃくしゃに丸めると、自動販売機横のゴミ箱に放り込んだ。

 そして、慌てて近くのコンビニに飛び込んで履歴書を買い、喫茶店に入り一番安いコーヒーを頼むと履歴書を大急ぎで書いて封筒に入れると募集の紙の隅に描かれた地図に書いてあった店に走っていった。

 募集の紙には電話番号が書いてなかったからだ。

 店は区役所通りにある風林会館の裏手にひっそりとあった。

 店の前には小さな蛍光灯入りの看板が置いてある。


 喫茶クラウン


 店名の下に小さく100円と書かれたプラスチックのプレートが付いていた。


(100円?なんだこれ?)


 俺はちょっと疑問に思ったけどあまり深く考えず、入り口前に立った。

 自動ドアが開かない。

 休みかな?と思ったけど看板の電気は付いている。


(怪しい…なんて怪しい雰囲気なんだ…)


 確かに非常に怪しい雰囲気だが時給1800円で日払い可で未経験者可で学生可でなんといっても今現在俺は無職で急いで次のバイトを探さなきゃいけないしなんと言っても時給1800円なんだ。

 両手にロレックスをはめてギンギラの指輪をいくつもはめたアルバイトの神が両腕にゴージャスな美女を抱えて俺の頭の中に現れると『やれよ~!やってみろよ~!』と親指を立てて微笑んだ。

 覚悟を決めた俺は入り口横のブザーを押した。

 暫らくすると自動ドアが人力で少し開いて人相がすんごく悪い白いシャツに蝶ネクタイをした小柄でパンチパーマの男が顔を出して俺を頭の先からつま先までじろじろと見た。


「お客さん、初めて?」

「あの~、アルバイト募集の貼り紙見たのですが…」


 途端に男はくしゃくしゃの人懐っこい笑顔になった。


「なんだぁ~!そうか、ま、入って入って」


 男はそう言うと俺に手招きをして店の中に入れた。

 店の中には喫茶店によくあるテーブル型のゲーム機が店の奥に向かって三列に並んで、客がこっちに背中を向けてゲームをしていた。

 壁一面になにやら張り紙があってゲーム機の画面を写したポラロイド写真がべたべたと貼られている。

 俺は店内のむちゃくちゃ怪しい雰囲気に圧倒されながらも男について狭い控室に入った。

 男に薦められてソファに腰を下ろすと笑顔で尋ねられた。


「何飲む?何でも良いよ」

「じゃ、コーラを頂きます」


 男が店内にコーラ!と叫ぶといかつい感じの若い男がコーラを持ってきた。

 そして俺が履歴書を渡すと男は履歴書の封も開けずにテーブルに置くと俺をじっと見た。


「兄貴、ガタイが良いねぇ!

 身長どれくらいあるの?」


 どうやら兄貴とは俺のことを言っているようだ。


「え…183センチです」

「いいねぇ!スポーツ何かやってる?」

「…ラグビーと柔道と…古武術を少しやってました」

「いいねぇ! いつから来れる?」

「え?採用ですか?それなら明日からでも…」

「じゃあ、明日の午後5時から来てよ。何時まで出来る?」

「終電に間に合う時間までなら…立川に住んでいるので」

「多少残業するかも知れないけど立川辺りならタクシー代出すからさ…午前1時までやってくれるかな?あと、今日黒いズボンと白いワイシャツと黒い蝶ネクタイ買っといてよ、お金渡しとくからこれにサインして…お釣り要らないからね」


 俺が差し出された出金伝票にサインすると、男は尻のポケットから財布を出すとなんと3万円を出して俺の手に握らせた。

 俺にお金を握らせた男の左手の小指は第2関節から先が無かった。

 男は俺がサインした伝票の項目に制服代と書いて「¥40000」と金額を書き込んだ。

 そして、さらに5千円札を一枚出して俺に渡した。


「これ、今日の交通費」

「こんなに貰っちゃって良いんですか?」


 少し心配になった俺に、男はいかついパンチパーマの顔に不似合いな笑顔でウインクをした。


「いいからいいから、明日簡単な仕事の説明するから、30分くらい早めに来てくれる?

 簡単だからすぐ覚えられるよ」

「はい、わかりました。

 宜しくお願い致します。

 あの、ちょっと聞いて良いですか?」

「ん、なに?」

「給料は何日締めの何日払いですか?」

「ん、あっははは、兄貴が来た時が給料日だよ」


 男は俺を指さして言った。

 どうやら兄貴とは間違いなく俺のことを言っているようだ


「毎日帰るときにその日の分あげるから…あ、兄貴は名前なんだっけ?」

「ソノダです」

「俺はマエダ、じゃあ明日から頼むぜ」

「はい、がんばりますので宜しくお願い致します」

「おう、宜しくな」


 俺は何か釈然としないものを感じながらも店を出ると、大金(およそ30年前は35000円は大金だった)を貰って少し興奮しながら新宿でズボンとワイシャツとワンタッチで着けることができる黒い蝶ネクタイを買った。

 総額で1万円もしなかったので27000円も残ってしまった。

 一応領収書とおつりを封筒に入れて明日返そうと思い、カバンに入れるとその当時俺が住んでいた立川のアパートに電車で戻った。

 立川駅からアパートに帰る俺に冷たい風が吹いていたが懐具合が暖かくなった俺はちっとも寒くなかった。

 アルバイト先が倒産してお先真っ暗になったその日に自給が倍以上の新しいアルバイト先が決まってしかも制服代や高額な交通費までもらった俺は新しい勤め先の店やマエダと名乗る男の怪しい感じや小指の先が無い事など大して気にならなかった。

 俺はまだまだ世間知らずで怖いもの知らずの小僧だった。





第一日目



 翌日、授業が午後2時に終わって学校の近所の喫茶店で時間をつぶした俺は午後4時半に店に行った。

 やはり開かない自動ドアの前に立ちブザーを押すと若いやはり人相が悪い男が出てきて、やはり俺の頭の先からつま先までじろじろと見た。


「お客さん、初めて?」

「あの~、ソノダと言います。

 今日からこちらでお世話になります。

 宜しくお願いします」

「ああ、そう、入って入って」


 若い男は笑顔で手招きした。

 中に入ると控室にマエダがいた。


「よう、ちゃんと来たな」

「宜しくお願いします」

「おう、着替えな」


 俺が白シャツの黒ズボン、蝶ネクタイ姿に着替えると先ほどの男の人がコーラを出してくれ、俺とマエダは控室に向かい合って座った。


「兄貴、なかなかその恰好似合うじゃないか。

 さて、簡単に説明するとだな。

 薄々判っているとは思うが…ここははっきりいって、賭博場だ。

 …違法のな」

「え?」


(うわぁ、やっぱり!)


 マエダは俺に何も言わせないかのように早口で説明を始めた。


「ソノダの時給は2000円、勤務時間は午後5時から深夜1時まで、この店は23時間営業で三組で8時間ずつシフトでやっている。

 午前8時から9時までは機械の締めとか会計とか掃除とかがあるから店を閉める。

 売上によって毎日5000円から50000円の間で大入り手当が出る。

 ソノダは立川だったよな?」

「は、はい」

「じゃあ、交通費は一日10000円だ。

 仕事は簡単だ、初めての客が来たら店の説明をして、飲み物を聞いて出してやる。

 うちは客も従業員も飲み物と煙草とキャンデーは無料だ。

 客が金を出すと機械に点数を入れてやる。

 うちは一点が100円だ。

 客がアウトと言ったら機械の点数を落して現ナマを渡す。

 もう知ってると思うが、自動ドアは開かないからブザーがなったら入口についてるカメラで客を確認して、ドアを開けて客を入れてやる。

 まぁ、鉄火場だから、中には熱くなる客もいる。

 負けが込んできたりしたら暴れる奴もいる。

 その辺は俺が注意して客によっては点数をサービスしてやったりするが、それでも暴れるようなら、ぶん殴ろうが何しようがかまわねぇから黙らせろ。

 すぐケツモチが来て後の面倒は見るからとりあえずほかの客に迷惑かけないようにしてくれればいい。

 ただし…殺しちまうなよ、後々面倒だからよ」


 ここまで早口で一気にしゃべり終えたマエダはタバコに火をつけて煙をブハァ~!と吐き出すと、どうだ!文句あるか!という感じで俺を見た。

 笑顔だが俺をみつめる目は全く笑っていなかった。

 俺はマエダの説明を聞いているうちに眩暈がしてきた。


「…あの~」

「ん?」

「それって…警察とかに捕まったりしないですか?」

「あはははは、大丈夫大丈夫!

 サツの手入れの情報は事前に入るんだよ。

 うちはモグリのゲーム屋じゃねぇからな。

 警察のガサ入れ情報とか内緒で流してくれるんだ。

 だから、やばい時は臨時休業する時もある。

 その時は休業手当で一日当たり15000円出るから心配するな。

 休業する日は店の向かいの喫茶店にいるから、出て来た時に店に本日休業と看板が出てたらそこに行け。

 そしたら店の誰かがいるから金もらって帰れ。

 今日は初めてだから客の飲み物と灰皿と洗い物をしてくれ。

 もちろん、熱い奴が暴れたりしたら出番があるかもしれないから、その辺の覚悟はしておいてくれよ。

 まぁ、兄貴は強そうだから大丈夫だよなぁ~?

 アハハハ」


 俺は屈託なく笑うマエダの顔を見てちょっと頭痛がしてきた。

 一瞬、やっぱり辞めますと言おうと思いましたが、今ここでそれを言っては、きっと拉致されてどこかの山中に連れて行かれて死ぬほうがましな拷問をされた後で埋められるの決まってる。


(秘密を知った人間をヤクザが生かしておくはずが無いよ小説で読んだから間違い無いね絶対間違い無いねきっとあの手この手のものすごい拷問をされて命よりも大切なオチンコとかも切り取られた挙句に見るも無残な死体になって埋められるんだきっとそうだきっとそうだきっとそうだだって小説に書いてあったもんね映画でもやってたもんね「バラキ」なんかでオチンコ切り取られてすげえ痛そうだったもんねここはおとなしく従っていないと命が危ないよ…)


 俺は黙っていた。


「それじゃ細かい説明するから店に出ようか。

 おっと、店じゃなるべく怖い顔しててくれな。

 兄貴は見た目迫力あるから店の隅にいて客を睨みつけてればいい」


 俺はマエダについて店に出ていった。

 本物のヤクザから迫力あると言われてもちっとも嬉しくない。

 俺の足がかすかに震えていたのを覚えている。









 続く

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