十一話 犬神博士(いぬがみはかせ)登場!






 最近巷を騒がせていた怪異に、ハルの実母、夏奈さんが取りつかれて凶行に走らせたのはつい数時間前のこと。


 彼女の手によって、安倍家の屋敷は刹那にして血だまりに沈んだ。


 現場にいた見習い陰陽師、陰陽小属の安倍晴爛に話を聞いたところ、彼は危なげなく怪異を撃退。怪異に逃亡されたものの、母親を怪異と切り離すことには成功。


 その後、母親は病院に搬送。詳しい容態は不明だが、意識は戻っていないらしい。今回の事件における被害者の中で唯一の生存者となったが、依然として予断を許さぬ状況、と言ったところか。


 現場に駆け付けた複数の陰陽師のひとり、迦十は台所に立つと、床に散乱した大きな羽を一枚拾い上げて、それをしげしげと眺めやった。


「うーむ」


 それから、壁に中途半端に突き刺さった包丁の柄を、じっと見つめる。


「天帝少女。


 青鷺。


 鬼鳥。


 んん……」


 一通りの見聞を済ませた後、部屋の中央にどっしりと座り込んで、考え込む。


 悩まし気な様子の迦十に、遅れて駆けつけた同じく陰陽師の安藤が背中越しに話しかけた。


「酷い有様ですね。外からでも血の匂いが嗅げる」


「ああ」


「やはり鳥ですか」


「ああ、晴爛の御手柄だな」


「しかし、こんな羽一枚で、はたして本体を追跡できますかね」


 安藤の問いかけに、迦十は立った一言。


「それは博士次第だ」


 迦十は手に持った羽を放り投げ、羽は空気の間を滑るようにして地面に落ちる。


「あの連中はキチガイが多いけど、……今回のはとびっきりだからな。少々心配ではあるがな」








 

 迦十さんたち陰陽師が自宅を調査する一方で、ハルと楓さん、それから賀茂かものくんの三人は、邪魔にならないよう庭で待機させられていた。


 ハルは私たちの正面に植えられた、庭の大きな枝垂れ桜を徐に指さした。


「アレが新田さん」


 枝垂れ桜の、比較的大きな枝に喉を突きさされて吊るされている新田さん。


 ハルは指を少しだけ移動させる。


「その隣が志穂さん。その隣の人は名前知らねぇ。最近入ってきたお手伝いさんだし。全員、いい感じに血抜きされてるねぇ」


「早贄のつもりなのかな?」


「……」


 賀茂とハルが呑気に雑談しているのを傍目に、楓さんはじっと間抜けなハルの横顔を見つめていた。かと思ったら、矢庭に口を開いた。


「ねぇ」


「どれくらいで干からびるかなぁ。塩漬けもしてないし、あの大きさだからそーとー時間が」


「ねぇってば」


「なに?」


「大丈夫なの?アンタのお母さん」


 楓さんの問いかけに、ハルは逡巡の後。


「まあ、大丈夫ではない。死んでないけど、脳みそが一部食い破られてるらしい」


 ため息交じりにそう答え、ハルはよっこらせと腰を落として庭にしゃがみこんだ。それから、手入れの行き届いていない荒れた芝生を二、三本引っこ抜いて放り投げる。芝生は風に流されて、くるくると空気の渦に飲まれて虚空に溶けて、すぐに見えなくなってしまった。


「奇跡でも起きない限り、このまま脳死まで一直線」


「ヤケに落ち着いてるのね」


「ん、まあな」


「母親がこんなになってるのに」


「いやいや、夏奈さんがこうなったのは俺のせいじゃないだろ」


 慌てたように手をブンブンと振ったハルに、楓さんは顔を顰めさせた。


「別に、責任を問いてるわけじゃない」


 ぷいと、楓さんはそっぽを向いた。


「ただ、ちょっと薄情過ぎるんじゃないのって、思っただけ」


 それ以降、楓さんは漆で塗り固められた地蔵のように、ピクリとも反応しなくなってしまった。


 代わるようにして、賀茂くんが口を開く。


「ねぇ。君は、もしかしてだけど、育ての親が違うんじゃないのか?」


「というと?」


「この方とは別に、乳母のような人に育てられたのか、ってことさ」


「いや、生まれも育ちも夏奈さんだけど」


「そうか……」


 一呼吸おいてから、賀茂くんは虫歯の痛みでもこらえているかのような、そんなしかめっ面で話し始めた。


「僕は乳母のアカネさんに育てられたんだ。それに、実の母親とはあまり話さない。だから、母親に対して親愛の情はほとんどないと言っていい。多分、あの人が今すぐに亡くなったとしても、僕はきっと、今の君みたいに平然としていられる」


 賀茂くんの澄んだ瞳が、隣のハルにスッと向けられた。


「君もそうなんじゃないかと思ったんだ」


「ああ~、なるほど」


 ハルは後ろ手に頭をぽりぽりと掻いて、


「まあ、でも。確かに、それと似たようなもんかもな。俺と夏奈さんの関係って。俺も、夏奈さんが母親だって感じたことあんまりないしな」


 大きなあくびをした。


 やれやれ。ハルは徹頭徹尾で平常運転だった。


 にわかに、空が暗く沈んだ。


 夕日が、地平線の向こう側に勢いよく沈み込んだような気がした。









 にわか雨を喰ったアスファルトから、灰汁の効いた、湿った水臭い匂いがあたり一面に酷く薫っていた。また、真新しい水たまりに、夕空の赤色がじっとりと映り込む雨上がりの畦道。周囲の田畑から、微かに虫の鳴る。


 着物を着つけた幼子が、たった一人で歩き回っていた。可愛らしいおかっぱ頭に、赤の鼻緒の下駄を履いてカラカラ音を鳴らしながら。年端七、八の幼女といったところか。


 その女の子は背中をぐっと曲げて、それからまるでゴムのようなしなやかさで背筋を伸ばして宙に飛び上がった。そうやって地面に出来た水たまりを飛び越えている……のかと思いきや、どうやら、あらんかぎりの力をもって下駄で水たまりを踏みしめて、水を大きく遠く跳ね上がらせているようであった。


「イヤァ……ホゥーッ」


 それから、彼女は特別に素っ頓狂な声を立てて、


「ヨーッ」


 下駄を


 カラン コロン


 と打ち鳴らし始めたのであった。


「ホッ」


「ヨーッ、ホッ」


「ヨーーー……」


 それから赤い鼻緒の下駄を放り脱いで飛び上がり、両袖を担いでものの見事な三番叟を踊り始めた。


 女の子は興奮冷めやらぬ様子。大得意になって、人っ子一人いない畦道を力いっぱい白足袋で踏みつけて、色の醒めた振袖に夕風を孕ませながら舞い踊る。


「オオッ?」


 と、その時。


 地面を踏み外して、彼女はその小さな体を転ばせた。白髪の入り混じった髪がアスファルトに投げ出された。


 地面に倒れ伏した彼女の頭に、ぬらりと大きな影が落ちて、


「コラっ、君!」


 傍をたまたま通りかかった、警邏中だったらしい警官が話しかけてきた。


「ナンじゃ」


「こんなところを独りで、一体何をしてるんだい?親御さんは?」


 警官が周囲を見回しながら尋ねた。周りには熱気と湿気を放つ水田や堆肥の匂いが立ち込める畑がポツポツと見受けられるのみであった。


「親? ワガハイ、そんなこと知らんがナ」


「何ィ? 知らんとはいかないだろ、君。ちょっとこっちに来なさい」


 警官が手を引くと、女の子はあっさりとそのあとをついてくる。特に抵抗する素振りなどは見せない。


「なんや、なんかくれるんけェ」


 警官はそのまま、脇道に停めてあった大きなワゴン車に幼女を連れ込んだ。後部座席のドアを警官がスライドさせて開ける。


「親御さんと連絡が取れるまで、私が保護しよう。ほら、車に乗りなさい。子供がこんなところで、一人じゃ危ない」


「クルマ?」


 彼女は一瞬だけおかっぱ頭をキョトンと傾げさせたが、すぐさま、その場で腹を抱えて 


「ハハハハハ。ヒヒヒヒヒヒ」


 と、唐突に大笑いし始めて、それから一人で勝手に、大きなワゴン車に飛び乗った。その勢いの良さと言ったら、大きなワゴン車を目一杯結良さんばかりである。


「こらこら。あんまり暴れなさんなよ」


 警官は苦笑気味にそう諭した後、自分も車の前方に乗り込んだ。また、それと同時に後部座席のスライドドアがひとりでに動いてばたりと閉まったのだが、幼女は気にする素振りも見せず、まるでジャングルジムで鬼ごっこでもしているかのように、座席のシートに捕まって大暴れしていた。


「ん。何やコリャ」


 しばらくそうやって馬鹿にはしゃいでいたものの、ふと、彼女は後部座席にひとりポツンと置かれている、おおきな怪しい怪しいスーツケースがようやく目に入ったらしく、また、それが若干小刻みに揺れ動いているのにも気が付いた。彼女は興味津々。


 女の子はニコニコ笑いながら、警官に断わりも入れずにスーツケースを開けた。


「―…ッ―…ッ」


 スーツケースの中には、彼女と同じくらいの女の子が全裸で敷き詰められていた。手足はガムテープでぐるぐるに拘束されて、折り畳まれて収納されていて、口には猿轡を嚙まされている。また、目にはアイマスクが取り付けてあり、涙でぐしょぐしょに湿って濡れていた。


「ああ、その子もしたんだよ。その子もね、独りで寂しそーに歩いていたからね」


「フゥン」


「さ、君も」


 警官が、ぬらりと、


 後部座席に体を乗り出してくる。


「君も早く服を脱いで、スーツケースの中に入ろっか。君の分もちゃんと用意してるんだよ」


 手に、おおきなスーツケースを抱えながら。


「アイアイ。服脱ぐくらい何でもあらヘンわ。オヤジも脱ぐんかいナ」


「そーだよ? さ、お嬢ちゃんも早く」


 そう言いながら、カチャカチャと音が鳴って、それからベルトがシートの上にぼとりと落ちた。


「ウン。わかった」


 警官も服を脱ぎだしたのを見て納得したらしい彼女は、おかっぱをブンブンと頷かせて、


「ヨッ。……ホイッ」


 帯を解いて着物を脱いで、残った猿股の紐を抜いてすっぽりと来ているものを全て脱ぎ去った。


「……んっ」


 下半身丸出しの警官は、目の前であっさりと全裸になったおかっぱの、股間の部分を凝視した。


「んんっ!!? お嬢さんっ、いやお前は……っ!!」


 警官はそれから、彼女の臍に食いつかんばかりに顔を近づけて、股間を指さして、怒鳴った。


「男だったのかぁ!!?」


「アイ」


「こ、こんなもんをぶら下げおって!!」


「知らんのけェ、これチンコじゃがナ」


「全くもってけしからん!! ウーム……」


 警官はしばらく血管を膨らませて顔を真っ赤に怒っていたが、ふと、おかっぱの女、いや男の娘の全裸を、つま先から頭のてっぺんまで隈なく見渡した。


「……」


 股間の部分にさへ眼を瞑れば、目もくらむ美少女である。

 

 警官は一通り見回して、それから、うむと頷いた。


「だがヨシッ! むしろヨシッ!」


 そう叫んだ後、警官は半端に来ていた上着をすっぱり脱ぎ捨てた。


「イクゾッ! イヤッホゥーーッ」


 そのまま、警官は全裸でおかっぱ頭に向かって飛びついたのだった。












 おかっぱ頭は全裸で駆けだすと、畦道の脇に立って、じょぼじょぼと音を立てながら小便を垂れ流し始めた。


 先ほどまで乗り込んでいたワゴン車が、すぐそばにあり、警官は体をぼきぼきに折り畳まれて、車のタイヤとサスペンションの間に敷き詰められて死んでいた。


 一向に止まる気配のない尿の流れる様を、しばらくぼぅっと見やっていたおかっぱだったが、矢庭に目をカッと見開いて叫んだ。


「アッ、ホラ! コッチきてよくみぃ。こんにキレの悪い、どうにも止まらんションベンはナカナカ、ナカナカお目にかかれないでナ」


 そう叫んでおかっぱが振り返った先には、先ほどスーツケースに敷き詰められていた少女が、おかっぱと同じく全裸のままで傍に佇んでいた。


 少女はぼんやりとした顔で、おかっぱの股間を覗いて、


「ホントだ。全然キれないね」


「ホホホホ。そうやろ、そうやろ」


 滝のように流れる小便を、二人はいつまでも眺めていたのだった。


 夕日が沈むまで、ずっと。







 陰陽博士序列第二位の男、犬神博士がこの街にやってきた……やってきた……。



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