一章 退魔師一族の汚点⑥

 儀式は本家の監督下で行われることもあり、もし参加した退魔師が使いものにならなくなれば、その後の人生を保障する仕組みが作られている。史朗たちはそれを狙っているのだろう。壱於の試験に同行した明彩が不運な事故で大怪我をし、退魔師になることができなくなった。そんなシナリオが頭に浮かんだ。

 本来ならば退魔師として表に出るべき明彩が働かない正当な理由にもなるし、本家から何かしらの保障を得ることができる。

 ──この人たちにとって私は、本当に何の価値もない存在なのね。

 驚くほどに心が凪いでいく。怒りすらわいてこなかった。散々に踏みにじられた心は、すでにずたぼろだ。一生この屋敷で飼い殺しにされ、朽ちていく自分の姿が目に浮かぶ。

「承知しました」

 逆らう気力すらない。たとえ嫌だと言ったところで、両親は納得しない。それどころか、せっかくの役目を断るなんてと言って、明彩を厳しく折檻するに決まっている。無理矢理に引きずられて同行させられるくらいなら、受け入れた方が気持ちが楽だ。

「出立は早朝だ。遅れぬように支度をしておけ」

「はい」

 明彩の返答に満足したのか、史朗と小百合はさっさと座敷から出ていった。ほっと息を吐き出しかけた明彩だったが、何故か壱於がまだその場に残っていることに気がつき、動きを止める。

「姉さんはさ、生きてて楽しい?」

 じっとりとした壱於の視線に身がすくむ。

「そうやって怯えて何でもはいはい返事してさ。いいね、簡単で」

「そんな……」

「だってそうじゃないか。父さんや母さんに言われて家の中でせこせこ働いて……ほんと惨めだよね」

「……」

「まあいいよ。僕がもっと認められれば、姉さんも少しは楽ができるかもしれないから、期待して見てればいいさ」

 それだけ言うと、壱於はさっと立ち上がり座敷を出ていってしまう。

 広い座敷に残された明彩は、深く長い息を吐きながら、にじむ涙がこぼれぬように唇を噛みしめていた。



 そして訪れた週末。

 怪異が出やすいという夕刻を選んで、杜に入ることになった。

 長く歩くことになるので、フード付きの上着とジーンズとスニーカーという出で立ちを選んだ。壱於もまた、明彩と同じように動きやすい服装だ。

 道中、明彩と会話をする気はないらしく耳にはイヤホンが挿さっていた。一瞬だけ視線がぶつかるが、すぐにそらされ背中を向けられてしまった。

 ──壱於、大丈夫かしら。

 強い力を持つことから、壱於は幼い頃から両親の期待を一身に背負っている。欲しいものは何でも与えられてはいたが、日常のほとんどを訓練に充てられていたのも事実だ。

 明彩とは違った意味で、友人を作ることも俗世に関わる時間もない。

 そのことが、少しだけ不憫だと明彩はいつも感じていた。今日の儀式だって、壱於にはまだ少し早いのではないか。

 そんな風に考えていると、後ろから穏やかな声がかけられる。

「明彩さん。今日はよろしくおねがいします」

「佐久間さん」

 振り返れば、そこには中年の男性が立っていた。品のいいスーツに身を包み、白いものが混じった髪を綺麗に撫でつけている。

 一見すれば普通の男性のようだが、彼は先輩として今回の儀式に付き添ってくれる退魔師だった。

「まさか明彩さんが立会人になるとは驚きました。壱於君が、お願いしたんですか?」

「いえ。両親が」

 明彩は慌てて首を振る。

「そうですか。慣れていないと山は大変かもしれません。なるべく私から離れないようにしてください。基本は細い一本道です」

「はい」

 わずかに皺の寄った目元を緩ませ、明彩を気遣う佐久間はとても落ち着いた雰囲気をまとっている。

 元々は本家の退魔師として活躍していた人材だそうだが、怪我が原因で第一線からは引退。若い退魔師の補佐や裏方として働くようになったという。

 そして二年ほど前、表の人々に退魔師を紹介する繋ぎ役として西須央に派遣されてきた。

 普段は、屋敷の外に住まいを構えており、依頼人を連れてくる以外では屋敷に来ることはない。明彩とは挨拶を交わすぐらいの間柄だ。

「佐久間さんも、お忙しいのにすみません」

「気になさらないでください。後進を育てるのも、私の仕事ですから」

 微笑みながら佐久間が壱於に視線を向けたのがわかる。

 本来ならばこの儀式は現役退魔師が引率すべきところを、史朗が無理を言って佐久間に同行させたと聞いている。

 本家と深い繋がりのある佐久間に、壱於の力を見せつけたいのだろう。そんなところには頭の回る史朗の狡猾さに、明彩は呆れながらも感心していた。

 ──でも、佐久間さんでよかった。

 いつも冷たい言葉を投げつけていく若い退魔師だったら、息が詰まっていたことだろう。佐久間は明彩の事情を知らぬこともあり、親切にしてくれる数少ない人だった。

 裏庭の勝手口を開け、杜の入り口へと向かう。

 佐久間の言葉通り、細い獣道が草むらを割るようにして山の奥へと続いていた。

『ここから先、私有地。立ち入り禁止』

 木製の古びた看板に、赤い文字で注意が書かれていた。

 間違って人が入ってきたときのために作られたものらしいが、なんとも不気味な雰囲気だ。

 ──ここが、選別の杜。

 足を踏み入れるのははじめてだった。何度かここまで来たことはあったが、退魔師としての力がない明彩は危険だからと、ずっと禁じられていたのだ。

 明るい日差しが照らす光景は、散策する人がいてもおかしくない。

 壱於と佐久間は慣れているのか、落ち葉が降り積もっている緩やかな斜面をためらいなく登っていく。

 明彩はごくりと唾を飲み込むと、置いていかれないようにとその後に続いた。



「どうなっているんだ!」

 苛立った壱於の声が山中にこだまする。

 山に入ってすでに二時間は経っただろうか。方々を歩き回り、三人は怪異の痕跡を探した。

「おかしいですね。普段ならば少し歩くだけで何かしらに遭遇するのに」

 佐久間も不思議そうに首を捻っていた。山には怪異が溢れ、奥に進めば進むほどに凶悪なものがうごめいていると聞かされていたのに、そんな雰囲気は欠片もなかった。

「強い結界を張りすぎているんじゃないのか!? 今日、僕がここに来ることは事前に通達していたはずだろう」

「ええそのはずですが……おかしいですね」

 盛大に舌打ちした壱於が、地面を蹴る。

「一度仕切り直しを……おや?」

 佐久間が動きを止め、壱於が蹴り上げた地面に目を向けた。その視線を追えば、壱於が蹴り上げた落ち葉の中から小さな毛玉が転がり出てきた。

「……!」

 それは先日、明彩が逃がした怪異だ。ふわふわとした毛玉は壱於と佐久間の圧に気がつき、ぶるぶると震えている。

「無害な雑魚、といったところでしょうか。壱於さんの力を感じて、隠れていたのでしょう」

「くだらない。こんな雑魚……ん? コイツ……」

 毛玉を無視しようとした壱於が動きを止め、その姿に見入っている。

 ──どうしよう。壱於があの子を覚えていたら。

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