彼と彼の番と私 ~竜人様の番は私……の猫だそうです~

さき

彼と彼の番と私

 


「会いたかった、俺の番……!」


 凛とした麗しさのある青年が、私を見つめて告げてくる。

 銀色の髪は日の光を受けて輝き、サファイアブルーの瞳は夏の海のように美しい。それでいて瞳の中にある縦長の黒い瞳孔は蠱惑的な魅力を見せる。目尻から頬に掛けて描かれているのは鱗を模した模様。

 遠目から見たシルエットは人間と同じだが、近付けば青年が人間ではない事は誰でも分かるだろう。


 竜人族。

 神通力という特殊な力を使う、人間ではない、獣人とも違う種族。

 そんな竜人族の青年はサファイアブルーの瞳を輝かせ「俺の番」と呟きながら足早に私に近付いてきた。


「え、わ、私……!?」

「会いたかった、俺の番。もう二度と放さないからな」


 青年が情熱的な言葉と共に腕を広げる。

 抱きしめられる! と咄嗟に目を瞑って体を強張らせた。


 ……が、何もない。


 チラと目を開ければ、青年はうっとりとした瞳で私の目の前に立っている。

 私の腕の中を見つめながら。

 私の腕の中で唸り声をあげる、私の愛猫ニャムちゃんの右前足を、まるで愛しい女性の手だと言いたげに両手でしっかりと握りながら。


「宝石のような瞳、ピンと張った立派な髭、可愛らしい耳。見つめているだけで愛が募る。ようやく会えたんだな、俺の番」

「あの……、うちの猫ですけど」

「程よい質感の肉球が俺に触れている、この手に触れる日をどれだけ夢見ていた事か」

「猫ですよ? 獣人でもなく、純度100%の猫オブ猫です」

「……すまない、俺も少し混乱してるから、もう少しだけ余韻に浸らせてくれ。今は深く考えたくないんだ」


 私が問えば、青年が一瞬だけ瞳を濁らせ低い声で答えた後、再びうっとりとした表情と声色で「俺の番」とニャムちゃんを褒めだした。

 これはいわゆる現実逃避というやつだろうか。ならばと私もしばらく待つことにした。



 リックと名乗った青年がようやく現実を受け止める覚悟を決めてニャムちゃんの手を放したのは、それから十五分後の事。

 ニャムちゃんはすっかりと眠ってしまっており、十五分ニャムちゃんを抱っこして棒立ちをしていた私もすっかりと疲れてしまい、ひとまず近くのカフェに行くことにした。




 竜人族や一部の獣人達は番と呼ばれる相手を持つ。

 人間で言う伴侶と似たようなものだが一つ大きな違いがあり、彼等にとって番とは本能的に求める抗えぬものであり、出会う前からその気配を感じ取るという。

 一目惚れどころではない。出会った事の無いどこにいるのかも分からない相手でも、一度気配を感じ取れば以降ずっと乞い求めてしまうらしい。


「竜人族は成人の議を終えるとその夜に番の気配を感じ取るんだ。だが俺は成人の儀を終えてしばらくしても番が分からずにいた」

「そうだったんですね」

「もしや俺には番がいないのかと不安になったし、竜人族として不出来なのかとも悩んだが、半年前、まるで天啓を受けるように番を感じ取ることができた」

「この子が半年前に生まれたので、ちょうどそのタイミングだったんですね。ほらニャムちゃん、待たせたことを謝って」


 腕の中でプスプス寝息を立てるニャムちゃんを揺らしてみる。

 だが微動だにしない。いつも通っているカフェだからかすっかりと安心しきって熟睡している。

 ならばと私が代わりに謝れば、リックと名乗った青年が謝罪の必要は無いと宥めてくれた。


「だがまさか猫だとは……、うっ、だけど焦がれてしまう……、少し撫でても良いだろうか」

「構いません。あ、でもお腹はやめてください。慣れてないひとにお腹を触られると嫌がるんです」

「分かった。では失礼して……」


 向かいに座っていたリックさんが立ちあがり、ニャムちゃんの頭にそっと手を添えた。

 手の甲にも美しい絵柄の模様が入っている。竜人族は体のあちこちに模様があると聞いたことがある。

 そんな手に撫でられてもニャムちゃんはぐっすりと眠っており、彼の指先が鼻を擽るとペロリとピンク色の舌を出した。

 ……その瞬間にリックさんが呻いたのは番を求める本能が刺激されたからだろうか。胸元を押さえるのはときめいたからか。


「あの、いくら竜人族様とはいえ、愛猫に性愛的なものを抱かれると困るんですけど……」


 可愛い、愛らしい、可愛がりたい、そういった感情なら大歓迎だ。

 だが彼等竜人族が番に求めるのはそういった愛ではない。一人の異性に対する恋愛感情、その先には性的に互いを求める性愛もある。人間が伴侶に求めるものと同じだ。

 だがいくら伴侶と同じとはいえ、愛猫にそういった生々しいものを抱かれるのは大問題である。

 思わずぎゅっとニャムちゃんを庇うように抱きしめれば、椅子に座り直したリックさんが胸元を押さえながら「大丈夫だ」と告げてきた。


「確かに番を求める本能で愛は募っているが、そういった感情は無い。俺の理性が『それはまずい』と止めている」

「本能と理性の鬩ぎ合い……」

「だが番を求める感情は止められない。すまないが、これからも俺の番に……、いや、きみの愛猫に会いに来ても良いだろうか」


 ときめきが止まらないのか胸を押さえながら許可を求めてくるリックさんに、私も了承の言葉と共に頷いて返した。

 性愛は困るが、かといって番の本能を否定するのも憚られる。彼の理性が働いている内は大丈夫だろう。


「それなら、これからよろしく頼む。竜人族のリック・ライワーだ」

「猫のニャムちゃんです。……それと、人間のメル・フィンシャーと申します」


 改めての挨拶。

 もちろんニャムちゃんは猫なので私が代わりに名乗っておく。そのついでに自分も名乗るのはなんだか不思議な気持ちだ。



 ◆◆◆



 城下街にある宿屋、三階の端、そこが私とニャムちゃんの住まいである。

 二部屋分の広さを一人暮らしように改装しており、必要最低限どころか十分な設備が備わっている。宿ゆえの騒々しさもあるが、宿の手伝いをすれば家賃が安くなる好条件だ。


「元々は店長さんの娘さんが住んでいたんですけど、結婚をして街を出て行って空き部屋になってたんです。そこを親戚の伝手で私が借りたんです」

「なるほど。最初にメルから宿屋に住んでいると聞いた時は不便だと思ったが、意外と快適そうだな」

「ひとの行き来が常にあるし、城下街でも家賃は安いし、私にとっては凄く良い条件でした。それに、ニャムちゃんに出会ったのもここに住んでいたからなんです。泊まりに来ていた旅行客の一人が猫を連れていて……」


 この宿はペット同伴可である。城下街には宿屋が複数あり、こういった条件で他の宿と違いをつけて客を取るのだ。おかげで新規客もリピーターも多い。

 そんな宿屋に住んでいたところ、旅行客の一人が連れていた猫が突然産気づき、子猫を五匹生んだ。


「あの時は大変でした。夜中だったけど食堂に必要なものを搔き集めて、他のお客さん達も協力して、生まれた時は皆でお祝いしたんです。その縁で一匹もらい受けたのがニャムちゃんなんです」

「生まれたての俺の番、見てみたかったな。……いや、今の発言は少しまずい気がするな、聞かなかったことにしてくれ」


 相変わらず本能と理性が鬩ぎ合っているようで、リックさんは度々自分の発言を訂正する事がある。

 私も慣れているので頷いて返すだけに止め、「懐かしいね、ニャムちゃん」とリックさんの膝の上で寝ていたニャムちゃんに話しかけた。ふっくらとしたニャムちゃんの口元がむにむにと動く。


 場所は私の部屋の、ローテーブルを挟んだソファ。

 片方にはリックさんがニャムちゃんを膝に抱えて座り、私はその向かいに座る。間にあるテーブルには二人分のマグカップ。


 最初の頃、彼と会うのは喫茶店をはじめとする屋外だった。天気の良い日は公園の時もあるし、時間が遅いと宿の食堂。

 番に会うために王都で働くことにした彼は、時間を見つけてはニャムちゃんに会いに来ている。本当ならば自分の番として一緒に生活したかっただろうが、それを耐えてくれたのだ。……その反動でかなりの頻度ではあるが。

 朝は窓越しに見つめ合い――ニャムちゃんの気分が乗らないときは私が抱っこして窓辺に立つ―ー、昼はカフェや宿の食堂でニャムちゃんを抱っこして昼食を取り、そして夜は彼の仕事後に食堂で会う。


 そんな生活が一年ほど続き、出会った時にはまだ子猫らしさのあったニャムちゃんもすっかりと成猫になった頃、彼に部屋に来ないかと声を掛けたのだ。あれは宿の食堂が改装のため二週間ほど閉じていた時だ。夜に会う場所をどうしようと考えていた時に私から提案した。

 正直に言えば、異性を、それも種族の違う竜人族を部屋に招くことに対しての緊張はあった。だがリックさんは相変わらずニャムちゃんを番と呼んで、ニャムちゃんをひたすらに愛でているので問題は無いかと判断したのだ。ちなみに、幸い彼の強い理性が働いていて性愛はまだ抱いていないらしい。


 そうして彼を部屋に招き、以降いつの間にか、夜の一時は私の部屋で過ごすようになっていた。

 もっとも、彼からしたら『メルの部屋』ではなく『自分の番の部屋』だろう。せいぜい『自分の番と人間の部屋』か。


「愛しい俺の番、子猫の頃のふわふわとした姿も愛らしかったが、大人になった姿も魅力的だ。……あぁ、起きたのか。なんて美しい瞳だ」


 ニャムちゃんが大きな瞳をゆっくりと開け、リックさんの膝の上で身を起こしてぐっと体を伸ばす。

 そうして彼の膝の上から降りると窓辺に置いてある水へと向かった。水分補給をして、その後は玩具で遊ぶ。

 リックさんはその姿をうっとりとした瞳で見つめていた。サファイアブルーの瞳、縦にはいった黒い瞳孔。竜人族らしさのある瞳が愛猫に釘付けなのは不思議な気分だ。

 そうしてニャムちゃんが室内遊びに飽きて夜の散歩に行きたいと扉を引っかき始めると、リックさんが立ちあがった。


「そろそろ俺も帰ろう。毎晩のことながら邪魔をしてすまなかった」

「いえ、何のお構いも無く。ニャムちゃん、玄関までお見送りしよう」


 私達が部屋を出る準備を始めると、理解したのだろうニャムちゃんが扉の前でちょこんと座る。

 そうして二人と一匹で部屋を出て、宿の玄関口まで彼を見送る。いつの間にかここまでが日課になっていた。



 ◆◆◆



「凄く言いにくいことなんですが、……もしかしたら言いにくいと考えることがいけない事かもしれないんですが、リックさんにお話があります」

「メル、どうしたんだ?」


 我ながら低い声を出してしまう私に、リックさんが不思議そうに尋ねてくる。

 場所は私の部屋。いつものソファ。向かいに腰掛け、ニャムちゃんはリックさんの隣で蹴りぐるみと遊んでいる。

 普段通りの夜の一時の中、私は意を決して話し出したのだ。


「実は、ずっと言ってなかったんですが……、ニャムちゃんはリックさんに会う前に去勢手術をしているんです」

「去勢手術……?」

「はい。つまり、子供が出来ないということです。動物を連れてこれる宿なので問題が起こる前にと処置をしました」


 処置をする前には随分と悩んだ。悩みに悩み、決断したのだ。

 あの頃はまだリックさんとは会っていなかったし、まさかニャムちゃんが彼の番だなんて思いもしなかった。


「せめてあと一ヵ月早ければ相談も出来たんですが……」

「手術……去勢、子供……。いや、大丈夫だ! 俺の理性が『そこに傷付くのはまずい』と本能的に傷付くのを止めてくれた! セーフだ!」


 良かった! とリックさんが己の理性の勝利を歓喜する。

 どうやらニャムちゃんの手術については傷付かなかったらしい。……傷付かれてもそれはそれで困るのだが。

 良かった、と私も安堵すれば、リックさんが今度は苦笑を浮かべた。


「メルが深刻な口調で話すから俺も傷付きそうになっただろ。あれで傷付いてたら、俺は傷付いたという事実に二重に傷付く羽目になってた」

「だって……、ニャムちゃんはリックさんの番だから、もしかしたら子供をと本能で考えるのかもしれないと思って。もし考えてたらそれはそれで困りますけど」

「安心してくれ、俺の理性が抗ってる。あと両親に話したところ、真顔で『猫の獣人相手なら良いけど、正真正銘の猫だと人面猫みたいなのが生まれそうで怖いから理性で留めろ』って言われてる」


 どうやらリックさんにその気は無いようだ。改めて安堵すれば彼が苦笑交じりに「心配かけてすまない」と謝罪してきた。


「話をするのに悩ませただろう、メルには迷惑ばかりかけてるな」

「そんな、大丈夫です。私も番のことを勉強して、どれだけ大事なのかは理解しましたし。だから出来るだけ協力したいと思ってるんです」

「メル……。ありがとう」


 嬉しそうに微笑んでリックさんがお礼を告げてくる。

 甘くて優しい微笑み。サファイアブルーの涼やかな色合いの瞳だが、確かな温かみを感じさせる。

 私の胸がトクリと高鳴り……、だがそれを押し隠すように、ニャムちゃんの名前を呼んで視線を移した。

 いつの間にか扉の前に移動していたニャムちゃんは外に行きたいとカリカリと扉を引っかいており、そんなニャムちゃんを見つめるリックさんの横顔は愛おしいと言いたげだった。



 ◆◆◆



 ニャムちゃんと出会って二年半、リックさんと出会って二年が過ぎた。

 朝昼晩を彼と一緒に過ごす日々が当然のものとなり、いつの間にか私は彼のことを「リック」と呼び敬語も使わなくなっていた。

 そんなある日……、


「番移しの許可が出た」


 深刻な声色で彼が告げてきた。

 番移し。私も以前に調べて知っている。文字通り『番』の認識を他者に移行させるのだ。

 だがこれは容易に行えるものではない。方法も詳細も判明しておらず、実践した正式な記録も無い。伝承の技法に過ぎないはずだ。


「竜人族は番をなにより重視する。だがそれと同時に、番に振り回されまいと対策を考えていたんだ」

「そうだったの……。でも、番移しって危ないんでしょう?」


 本で読んだ程度の知識しかないが、番移しにはリスクが伴うことは分かっている。どの本にも危険性が書かれていたのだ。

 番とは本能で求めるもの。それを捻じ曲げるのだから当然と言えば当然。

 リック曰く、下手をすると命に関わったり、本能を歪めるあまりに人格が変わってしまう恐れもあるのだという。仮にそのリスクを回避できたとしても、移した番の認識が誰に向けられるかは分からないらしい。


「族長が言うのは、また新たな番の気配を感じ取って探しに行くらしい」

「そんな……」

「あまり、というより誰がどう考えても良い方法ではないから、竜人族の中でも禁忌とされているんだ。だけど、族長が許可を出してくれた」


 本来ならば異性として求めるはずの番が猫。子を成すことはおろか異性として愛し合うことも出来ず、それどころか言葉を交わすことも出来ずに一生を捧げるしかない。

 家族愛ならばそれで十分だが、異性への愛、それも生涯一人と定められた相手ならばあんまりだ。

 竜人族の長もそう考えて許可を出したのだろう。


「番移し……。リックはどうしたいの?」


 不安が胸に湧く。

 どうか「このままでいい」と言って欲しい。

 だけど彼の気持ちが分からなくもない。誰だって、愛し愛されて結ばれたいと願うのだから。

 ……私だって。


「俺は、正直に言えば迷っている。今は俺の番を求めている気持ちが強いが、かといって一生このままという不安もあるし……」

「……リックはニャムちゃんを愛しているのよね」

「あぁ、そうだ。番への愛を抱いている。だけどそれは叶わないだろう」

「それなら、一生叶わないでいて」

「メル?」


 私の言葉に、リックが不思議そうに名前を呼んでくる。

 そんな彼を見上げて、私はもう一度彼に「一生叶わないでいて」とはっきりと告げた。

 涙が零れるのが分かる。だけど止まらない。


「私が貴方をずっと愛し続けるから、だからお願い、それで我慢をして」

「メル、それは……」

「番と愛し合えないのが辛いのは分かってる。でも私だって、貴方に愛してもらえないって分かって辛いの……。だからずっと、私と片思いをし続けて……」


 二人ずっと、このまま、愛し合えないと分かっていても一方的に愛し続ける。

 それが唯一、私がリックと一緒に居られる方法なのだ。番に振り回されて惨めだという自覚はある。


「こんな事を望んじゃ駄目なことも分かってる。でも、それでも……、リックと一緒に居たいの。……たとえ貴方の瞳が私に向けられなくても」


 だから、と縋るように彼の上着を掴む。

 ここで彼に抱き着けたら良かったのかもしれないけれど、私には彼が抱きしめ返してくれるなんて希望は欠片も無いのだ。

 だって私は彼の番じゃないから。

 彼の番はこんな状況でも長閑に窓辺で寝ころんでいて、丸い瞳で不思議そうに私達のやりとりを眺めていた。



 ◆◆◆



 緩やかに、穏やかに、時間が流れていく。

 今朝もニャムちゃんは寝ている私を無慈悲に起こし、朝食の催促をし、食べ終えるや外に行こうと扉を引っかき出した。

 朝の散歩は大事なルーティンの一つ。といっても宿の中を歩いて回るだけなのだが。


「二階に猫を連れたお客様が泊ってるらしいから、もしかしたら会えるかもね」


 私が声を掛ければ、隣を歩くニャムちゃんがこちらを見上げてゆっくりと一度目を閉じた。

 そんなニャムちゃんと共に宿の中を歩く。私が住み始めた時は一棟だけの宿だったが、今は三棟も並ぶ城下街でも一位二位を争う宿になっている。そこを各階くまなく回るのでなかなか良い散歩だ。

 更には宿泊客から朝の散歩のときにノックしてくれと頼まれるようになっており、希望者を記載したメモを片手に該当する部屋の扉を叩く。


「おはようございます、朝ですよ。朝食はぜひ食堂をご利用ください」


 一室の扉を叩き、声を掛ける。

 中から出てきたのは男性客だ。肩には大きめの鳥が乗っている。随分と派手な色合いで嘴も大きい。

 そのサイズと見た目から鳥と判断出来なかったのか、ニャコちゃんがちょっとびっくりしたように私の足元にそそくさと隠れた。


「おはよう、わざわざありがとう。良いサービスだね」

「ありがとうございます」

「起こしてもらえて助かった。あと三十分したらこいつが大騒ぎするんだよ、他の客に迷惑になるところだった」


 肩に乗った大きな鳥の背を撫でて客が笑う。

 そうして部屋に戻っていくのを見届け、扉が閉まると同時に、足元に隠れていたニャムちゃんと共に再び歩き出した



 三棟すべて、各階もれなくまわる。

 途中途中で宿泊客を起こし、食堂や受付では店員達と談笑を交わす。

 既に食堂は賑わっており、なかにはもう食事も準備も終えて出発する客もいる。たまたま居合わせた出発客を玄関まで見送れば、嬉しそうに「また来るよ」と言ってくれた。


 そうして最後に向かったのは、一番新しい棟の三階、端の部屋。私の部屋とちょうど向かいに位置する。

 この部屋は他の宿泊用の部屋と扉が違う。私の部屋と同じ、宿屋にありながらも居住用につくられた部屋だ。

 そんな扉を数度叩けば、待ってましたといわんばかりに扉が開いた。


「おはよう、リック」


 声を掛ければ、銀色の髪の青年が嬉しそうに微笑む。「おはよう」と返す声は穏やかで優しい。

 次いで彼は足元にいるニャムちゃんを抱き上げた。「おはよう、俺の番」と呼んで顔を寄せる。ニャムちゃんからの朝のキスは無いが、代わりに勢いよく額をぶつけられていた。


「メル、朝食はどうする?」

「私は食堂に行く予定。でもこの時間は混んでるから、もう少し部屋で過ごそうかな。リックは?」

「俺は自分の部屋で食べるよ。昨日の夜、城下街でパンを買っておいたんだ。多めに買っておいたから一緒にどうだ?」

「良いの? それならお邪魔しようかな。ねぇニャムちゃん」


 同意を求めてニャムちゃんに話しかけるも、リックの腕の中にいたニャムちゃんはぐねと体をみじろぎさせ、彼の腕からぴょんと降りてしまった。

 そのまますたすたと階下に繋がる階段へと向かう。

 どうやらリックの部屋に行く気はないらしい。


「行っちゃった……。それなら、私は自分の部屋に戻るわね」

「……いや、一緒に食べよう」

「でも、ニャムちゃんは行っちゃったから」

「一緒に過ごそう。メル」


 改めるように名前を呼ばれ、私の心臓がトクリと跳ねた。

 あの日から、想いを告げてから、どうか跳ねてくれるなと押さえつけていた心臓が。


「あの時、ちゃんと返事をしなくてすまなかった。それ以降もずっと答えずにメルを待たせ続けていた」

「……あれは、だって、私が一方的に話しただけだから貴方が謝る必要はないわ。それに、今こうやってニャムちゃんを番として居てくれるだけで十分だから」


 心臓が鼓動を速める。

 痛いのか苦しいのか分からない。

 あの時訴えた言葉が自分の頭の中に反芻される。今になって思えば随分と横暴な話ではないか。馬鹿なことをと笑われ怒られてももおかしくなかった。

 だけどリックは今ここにいる。それだけで私には十分だ。……十分だと思わなくては。


「俺の本能はまだ変わらず、きみの愛猫を番と認識して愛し続けている。それはきっと今後も変わらないだろう。……だけど、きみの事も愛している」

「リック……」

「メル、いつか必ず、きみに世界一愛していると伝えるから。だからどうか俺のそばに居てくれないだろうか」


 リックがじっと見つめて告げてくる。

 その言葉に私は返事をしようとし……、だけど声が出ず、頷いて返すしか出来なかった。


 彼の腕が私を抱きしめてくれる。

 彼の番のニャムちゃんではなく、私を。強く。


 彼の体越しに、階段前でちょこんと座るニャムちゃんの姿が見えた。


「私、ニャムちゃんが恋敵でも負けないから。絶対に、貴方に世界一愛してるって言わせてみせる」


 そう涙ながらに伝えれば、リックがより強く抱きしめてくれた。




 …end…


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