写実
@harukareno
写実
他人の空似という言葉がある。
どんなに無愛想でも、顔を見れただけで、生きているだけで再び会えた気になり、その偶然に感謝したくなる。違う人間だと理解してはいるのに、胸が詰まる。マスクをとった彼女は、死んだ娘にそっくりだった。
「奥さんには内緒できたんですか?」
どうやら私の左手の薬指を見たらしい。彼女は、にべもない表情だ。娘も生前、こんな顔を私にしていたことを思い出す。
「はい。妻は今入院中でして」
「あーそうなんですか。大変ですね」
コーヒーのマグカップを両手で持つ姿も娘と同じだ。
「ありがとうございます。こんなSNSを通じた出会いは初めてでして…何を話したらいいのかわからず…すみません」
「私も初めてです。友達から勧められて。コロナの影響でバイトのシフトが減ってしまったんです。奨学金も返さないとなのに。もう、大学辞めようかなとか思い始めてます。あ…すみません。自分の話ばかりして」
彼女は唇を噛みながら下を向いて、爪に触れている。そのネイルは、夏らしい水面のアートや貝殻のストーンがついている。
「大学生も大変ですね。ネイル…」
「え?」
「ネイル、その…きれいですね。素晴らしい。美しい海だ」
「あぁ、これは自分で塗ったものです。美大に行ってるので…これくらいは…え?私何か変なこと言いました?なんで…なんで泣いてるんですか?」
ハッとした。自分の顔に触れてみると、知らない間に涙が出ていたのだ。
「お金はもういいです。私、帰りますね。ごめんなさい」
彼女は、財布からコーヒーの料金を出しながら立ち上がった。
「待って!娘に、死んだ娘に君が似ているんだ」
私は、スマホを彼女に向けて娘が映った写真を見せた。彼女は、目を見開いた。
「娘はネイリストを目指す専門学生だった。でも、事故で半年前亡くなったんだ。私は娘に大学に行ってもらいたかった。でも今は、もっと話を聞いてあげればよかったとか、批判せずに責めずに励ましてやればよかったって、ありのままでよかったのにって。妻はショックで鬱病になってしまって、私がビールビンを投げたらその破片で自殺しようとして。もう家庭崩壊もいいところだ」
私は顔を覆って涙がでないようにした。けれど、まぶたを閉じても涙は溢れてくる。彼女はもう、いないかもしれない。こんなくたびれた、人前で泣くような中年男を見ているのも痛々しくて恥ずかしいだろう。
「私、自分の絵に自信がなかったんです。でも、小さいキャンパスなら描けた。ネイルアートの楽しさを感じていました。私のネイル、褒めてくださって、ありがとうございました」
既に居ないと思っていた彼女が頭を下げている。
「君も、自分じゃない誰かにもネイルをしてあげてみるといいんじゃないでしょうか。きっと喜ばれますよ」
「はい!」
彼女の笑顔は、パパと呼んでくれていた頃の娘の顔に似ていて、少しばかり許されたような気持ちになった。
娘に似た子に会ってしまったということは、娘が寂しさの沼に引き込まれるな、前を向いてと叱っているのかもしれない。
私は、彼女と別れた後、神社へ行ってお守りを買った。妻が入院している病院は、コロナの感染対策で見舞いは叶わないが、荷物の受け渡しは看護師を通じてできる。短い手紙と一緒にお守りを持って、病院へ向かった。
写実 @harukareno
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