セブンデイズチャレンジ2

kou

海の鹿

 太陽が空に輝き、海面が輝いている。

 海原に浮かぶスポーツクルーザーは、波を切り裂きながら颯爽と進んでいた。

 船は穏やかな波の上を滑り、遠くに広がる青い海と空を背景に、自由と冒険の旅を象徴しているようだ。

 大学生・吉野よしの智久ともひさは大学の研究グループと共に、長崎から西にある五島へと向かっていた。

 地理学や歴史学の講義で古代航海の歴史に興味を持ち、江戸期の海洋地図の正確性を確認するためのフィールドワークだ。

 メンバーは3人。

 智久以外は、同級生の篠原しのはら愛奈まなと、クルーザーを手配してくれた先輩の小松崎こまつざき貴文たかふみだ。

 智久は、海洋地図についての講義を事前に受けていたが、海に出るのはこの日が初めてだった。

「地図の正確性を確認をしましょう」

 智久が切り出し、GPSを使ったナビとデジタルコンパスを使って、古地図が正確かどうかをチェックした。

 その結果、若干の誤差が生じているが非常に正確なことが判明した。

「衛星も無いのにな」

 貴文は感心する。

「ところで地図に描かれてる、この絵って何かな?」

 智久が言うと、愛奈が覗き込む。

 そこには鹿の様な生物が海に描かれていた。

「海の怪物でしょ。中世の海洋地図には怪物の絵が描いてあるでしょ。15世紀スウェーデンのオラウス・マグヌスは船乗りの伝承を聞いて、描き込んだって。実際、船乗りたちは、地図を見て怪物を恐れながら航海したそうよ」

「怪物なんて、居るわけ無いのにな」

 貴文は笑う。

 智久も、その意見に同意した。

 すると、愛奈が海を指し示した。

「……何、あれ」

 指差した先を見ると、船に並走する影が見えた。

 その影は徐々にクルーザーに近づき、その姿がはっきりと見えるようになった。面長な顔立ちは草食動物らしい形をしている。木の枝のような角を生やした頭が水面から出ており、赤い瞳をこちらに向けている。

 だが、そこに草食動物が持つ穏やかさは微塵も無かった。

「何だアイツは」

 貴久は船を操りながら、戸惑いの声を上げた。

 船はガクンと揺れた。

 その衝撃は凄まじく船が跳ね上がり、大きな揺れで愛奈は操舵室からスタンデッキに転がる。

「クソ!」

 貴文は何とかハンドルを掴み船体の揺れに耐える。

 その瞬間、何かが操舵室の正面から飛び込んで来たのを貴文は見た。

 智久は頭を振りながら辺りを見渡す。眼の前に、うめき声を上げている愛奈の姿があった。

「篠原さん!」

 智久は愛奈に寄った。

 愛奈は目を開けた。意識があることに智久は安心するが、彼女の目が大きく見開かれる。その視線の先を追う様に智久も、そちらを見る。

 そこには貴文と怪物が居た。

 怪物は、まるで悪夢の中から飛び出してきたかのようだった。

 2mを軽く超える体軀は人型でありながら海獣を思わせる。

 丸太のように太い腕と足には水掻きのようなものが生え、その手は鋭く尖った爪を持っていた。更には尾があり、その先は魚類を彷彿させる尾ヒレがあった。

 全身は海水に濡れた体表には疫病にかかったかのような斑点模様があり、ヌラヌラとした光沢を放っている。

 太い枝のような角は、自然と己が上位者であると誇示しているかのようだ。

 その顔は鹿に似ているが、鬼や悪魔を思わせる恐ろしいものがある。面長な顔には愛嬌と恐怖が共存していた。

 その怪物は牙をむき出し、貴文の頭に喰らいついていた。

 リンゴでも齧るように人間の頭蓋を砕くと、その中身を貪るように咀嚼する。何度喰らいついたのだろう、貴文の下顎から上は、見るも無残な姿に変わり身体は痙攣していた。

 吹き上がる血潮に顔面を濡らした怪物は、その赤黒い眼で次の獲物を物色し始める。

 その眼が愛奈に向き、口角が不気味に持ち上がったのを智久は見た。


海鹿うみしか

 鹿児島県の屋久島の伝承にある妖怪。

 漁師たちから大変恐れられた南海の人食いで、この怪物に出会ったら、ただちに逃げなければ、甲板に乗り上げて漁師を食い殺した。

 長崎県では幕末頃まで海鹿の目撃が頻繁にあった。


 海鹿は智久と愛奈に近づく。

「篠原さん。何かに捕まるんだ」

 智久は愛奈に必死に呼びかける。

「何をするの」

 愛奈の問に智久は答えない。

 智久は海鹿に――。

 いや、操舵室にあるハンドルに向かって走った。クルーザーは操舵手を失ったが速度は、そのままだ。彼はハンドルを掴むが、獲物が迫って来る好機を海鹿が逃すハズがなかった。

 海鹿は智久の肩と腕を掴む。

 巨大な手の感触に智久は身震いする。

 海鹿はそのまま智久に喰らいつこうとするが、彼はハンドルを急旋回させる。

 転覆でもするかのように傾く。

 智久は叫び声を上げながら、海鹿に組み付くように体を押しつける。

 そして、彼は海鹿と共に船外に投げ出された。

 愛奈は見た。

 海に落ちていく智久の姿が眼に映る。

 だが、その光景は、すぐに後方へと見えなくなった。

 愛奈の乗ったクルーザーは漂流した。

 海上保安庁に発見されたのは、2日後のことであり、救助された彼女は衰弱していたが、命に別状はなかった。

「海に、鹿がいるの……」

 彼女は、うわ言のように呟いた。

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