第4話 拒否

 授業後の黒板を綺麗にしたり。


 帰りのホームルームの後にゴミ出ししたり。


 他にもいくつか簡単な作業を行う。日直って体のいい雑用係だ。文句はないが不満はある。例えば本来二人体制のところ休んでくれた相方にであり代理なしでいいでしょと判断してくれやがった担任にも。


 特に日誌の受け取り拒否には温厚な俺も流石に疑義を呈したよね。


「え、なんでですか」


「ま、いいじゃないか。あとで職員室に持ってきてちょうだい。ね? よろしく」


「いやいや今、どうぞ」


「あとでね~」


 またね、じゃないが。


 俺が差し出すノートを受け取ることなく教室を出て行った担任教師に唖然としてしまった。


「拒否されてましたね」


 部活や帰宅に散っていくクラスメイトたちの一部は俺と担任の先生とのやり取りに気付いていたらしい。不思議そうに俺の顔と手元と教室の出入り口とを順繰り見回している。


「そうね。いじめかな」


「教育委員会の出番ですね」


 日誌の提出タイミングは日直の当番生徒によってまちまちではある。ホームルーム直後というのはたしかに少数派だろう。にしても受け取ってもらえないとか聞いたことないんだが。


「はぁ。……部活?」


「はい」


「頑張ってなー」


 納得いかない気持ちはあれどボイコットとはいくまい。とりあえずゴミ箱に向かって足を踏み出す。


 とっくに教室内には人の姿はない。俺の他には珍しく足の重いらしいクラスメイトだけ。頑張れと定型を送ったのだし早いとこ頑張りに行って欲しいものである。俺と違って部活に所属する人間にとってはこの時期、一分一秒だって惜しいはずだろう。


 軽くゴミ箱周りを掃いて袋を取り換えた頃にはいなくなっていたから、これでついに俺一人ということになる。


 作業の区切りにちょっと腰を伸ばす。窓の向こうは青々としている。差し込むのは太陽の光と活気ある声出し、楽器の音。俺はまだ一年という時間の感覚を掴みかねている。


 ましてや何か変わることだけは確定しているらしいから、一年後の自分などというのは全く全然想像もできないのだ。


「お疲れさま。……ちょっと時間いいかな?」


 貫崎原さんがもたらす変化が、大きいのか小さいのか、長いのか短いのか、不可逆なのか終われば元に戻るのか、まるでわからない。


 ただとりあえず、ゴミ捨てからの帰り際にこれだけは言っておきたい。


「先に手、洗っていい?」


「うん、もちろん」


 どうも、と会釈して逃げ込んだ男子トイレは一階だから、俺は自分の足元が上履きなのを少しだけ悔やんだ。あるいは校舎裏が土の地面じゃなければよかったのにと思う。


「お待たせしました。それで、なにかやってしまったりしました?」


「ん? どういうこと?」


 お手洗いからいくらか離れたところで待っていた貫崎原さんに単刀直入切り込んでいく。


「なんか、マズいことしたかなと、俺。なんかしたのなら謝るけど」


「えぇ!? なんでそんな話になるの。ないない、ないよ、別に何かしたとか……されたとかじゃないから」


「それならよかったですけど。じゃあどんな用ですか」


「とりあえずちょっと、歩かない? そうだ、教室戻るよね? 行こ行こ」


 言うなり歩き出し、少し先で振り返って手招きする貫崎原さんはなるほど可愛い。何かにつけていちいち笑みを零すのはペテン師か根っからの善人かのどちらかだ。


「なんでそんなにしかめっ面?」


「すみません生まれつきです」


 追いつく気はなかったけれど、貫崎原さんが調整するから肩を並べて教室までを歩く羽目になった。


「お邪魔しまーす。おお……私のクラスと変わんないなぁ」


 そりゃそうだろうという言葉を飲み込んだら、ぱっと浮かんだ疑問がするりと口を突いて出てしまった。


「貫崎原さんはうちのクラスに来たことなかったっけ」


 笑みを深めた貫崎原さんは偉ぶって指を立てた。


「そう、はじめて。来たことなかったな。……ところで、私のこと知ってるんだ?」


「知らないわけないでしょう」


「あはは……まぁ、ね。そうかもだけど」


 苦笑いで頬を掻き、次いで貫崎原さんが口にしたのは思いがけないことだった。


「私も知ってるけどね。向井君のこと」


 いや思いがけないことじゃないなと考え直す。何かは知らないが用があって声を掛けてきたのだろうし、知ってて当然まである。


「向井君のことっていうか、同じ学年の子は顔と名前くらいは全員覚えてて当然だけどね」


 いや当然じゃないけどね。素直に感心する。それとそろそろ一つわかってきたことがある。


 どうやら告白されるわけではないらしい。


 待って欲しい。決して俺の誇大妄想ではないと思うんだ。わけも分からないながら考えてみた結果、一つの可能性として、あくまでそういう可能性もゼロじゃない的なそういうあれで、もしかしたら貫崎原さんに告白されてしまうのではとそんなパターンも想定してみたりしちゃっていただけなのだ。だってなんか切実な感じだったから。俺の妄想強めの都合のいい解釈ってだけじゃないはずだろうきっとたぶん。


「それで、用……なんだけど」


 貫崎原さんも悪いと思う。今もそうだが、そう簡単になんらか葛藤と決意とを感じさせる顔をするものじゃないと思う。勘違いしちゃうから。俺みたいな人間関係経験値の乏しい青少年は易々と勘違いしてしまうから。


「向井君、昨日……駅前のゲームセンターにいたよね?」

「……はい」


 そんなこったろうとは思ってた。マジで。

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