【恐い話】お坊さんの霊
自己責任系ではないが、非常に後味の悪い話だと思う。特に気にならない方だけ、読み進めてほしい。
30歳を超えると身体にガタが来るというのはよく言われる話で、漏れなく俺もそう感じた1人だった。
肩こりや手足の冷え、頭痛や眼精疲労のような眼の痛みや疲れが日常的に感じられた。もう若くはないんだな、とも思ったがまだまだ人生道半ばだし、できることはやろうと一念発起してジムに入会して軽い運動を始めた。
高校の部活以降全く運動をしてこなかったせいか、当初はひどい筋肉痛で翌日は歩くのも難儀だったが、次の日に筋肉痛が来るのは若い証拠!と自分を鼓舞してなんとか日々の習慣に落とし込むことができた。テレワークだったのも幸いしたかも。
でも、肩こりやなんかはあんまり改善されなかった。60分3,600円(税込)なんて掲げてるマッサージ店にも通ってみたし、接骨院にも行ってみた。同僚からの勧めでカイロプラティックなんてやつにも行ってみた。初めて施術してもらったときはまじでびびったよ。頭持たれてゴキッ!って捻られたり、腹筋の体勢で正面から首を持たれて背骨もパキパキパキッって丸められたり。自分でもビビるくらい、漫画とかドラマで見る感じで骨の音鳴らされて。骨の位置をずらされてるのが手に取るようにわかるのよ。アメリカでは結構当たり前の施術らしいけど。
まあ、やっぱりそのへんの治療も効果はなかった。なんでかというと、どうやら祟られていたっぽい。
当然そんなことは知る由もないから効果もない整体やらマッサージやらでは、何も改善せず症状は悪化していった。念のために内科にも通ったし、ストレスやら自律神経失調を疑って精神科とかも行ってみたんだよね。でも、全然だめ。起きてるときは全身が重くてだるいし、寒気もひどい。寝てるときは寝てるときで、変な夢を見るようになった。
変な夢っていうのは、あたり一面が真っ暗な場所にいて左右上下がわからない。わからないけど、ただかすかに何かが聞こえる。
「う…………………」
なんだろう、って耳を傾けると、目が覚める。それが最初の頃の夢。
あるときから、少しづつ、少しづつ夢の内容は変わっていった。何も見えないのは変わらないけど、聞こえるものが増えてくる。
「う…ば………ま…」
「う…ば………ま…」
「う…ば………ま…」
何度も聞こえるのだが、うまく聞き取れない。意識を集中して聞こうとすると、目が覚める。
そしてそのうち夢の中で段々と正面に気配を感じるようになっていった。
輪郭がはっきりしないけど、着物?のようなものを着て座っている人影のようなものが、在る。
「うツば……うま…」
「うツば……うま…」
「うツば……うま…」
「うツば……うま…」
人影を認識してから、それが音を発しているのだと分かった。
この頃には動くのも一苦労で、全身が皮膚一枚を隔てて鉛と入れ替わっているんじゃないかと感じるくらい重たい。コロナにかかって42.0℃の熱が出たときのような悪寒。重ねて数十個のまきびしを詰め込まれたみたいな頭痛。群発頭痛だったかな?自殺頭痛とも呼ばれるくらいしんどいやつ。経験はないから憶測だけど、それに勝るとも劣らないんじゃなかったと思う。
何をやっても改善の兆しが見られなかった俺は、藁をもすがる思いで近所の神社にお祈りに行くようになった。人間最後は神頼みしか頭に浮かばないもんだね。それはもう、手相も指紋もすり減ってなくなるくらいには祈った。まあ、それに至ったのは身体の不調より何より、段々と変化していく夢の内容に耐えきれなくなったことが原因かな。
その頃の夢は、もうくっきりとしていた。
眼前には、お坊さんが座っていた。
正確には、豪華絢爛な袈裟を着ている下卑た笑顔が張り付いているかのような表情の男性。それが漆黒の中に佇んでいた。なぜそんな表現をするかと言うと、所謂お坊さんにあるような尊さや清貧さ、にじみ出る人柄の良さや暖かな雰囲気が微塵も感じられなかったから(これはこれで、お坊さんとはかくあるべきという偏見かもしれないが)。直感で清い存在ではないと読み取った。
顔やその他の特徴は覚えてないけど、でっぷりと肥えているのは覚えている。
「うツば◯△うまン」
こいつが発する音も、最早くっきりと聞き取れていた。後述するがあまり縁起の良い言葉ではないので、一部だけ伏せておく。この言葉を聞くたびに、身体の輪郭がじわじわとじゅくじゅくと黒いしみに侵されていった。痛みはないけど、周りの漆黒に少しずつ身体を蝕まれて腐り落ちるような感じ。とにかく不快で、不快で、耳を塞いでも脳に響いてきて、塞ぐ手も耳もなくなってきて、ああ、もうおわりだなって。
「うツば◯△うまン」
絶望なのか諦観なのかそれらを混じり合わせたものなのか、とにかく生まれてきた感情がだんだんとここちよくなって。
「うツば◯△うまン」
気づいたらそいつと同じような笑顔をしていて、目が覚める。そのときに、ちゃんと自分の顔が残っているのかは分からないけど。
生憎大層な霊能者の知り合いも、霊感の強い知人もいない俺には、夢を見ては神社に通い、どうか助けてくださいと祈る他なかった。それが正しいのかもわからなかったが、他に何もできなかった。
ただ、よっぽど俺がひどい顔で毎日拝んでいたのが印象深かったのだろう、ある時神主さんから、なにか悩み事でもと話しかけてくれた。
夢の内容、体の不調などを相談すると、神主さんはきちんと応えてくれた。要約すると、「私達神主とは神道の儀式を取り扱うものであり、主に神様に感謝を告げる存在です。ですのでそれらの諸症状に対し、直接的に力になれることは少ないですが、私の知り合いの拝み屋さんに一度相談に行かれてはいかがでしょう」
願ってもないことだった。最早助けてもらえるなら拝み屋でも霊能者でも占い師でも寺生まれのTさんでもUさんでも誰でも良かった。
「私から話を通しておきますので、明日こちらの連絡先に電話してください」そういって携帯電話番号の書かれたメモをもらい、その日は帰路についた。
その晩も同じ夢を見た。
「うツば◯△うまン」
お坊さん、いや、そいつは相変わらずその音を繰り返す。
「うツば◯△うまン」
俺の全身の輪郭は黒く腐食し爛れていき、得体の知れない液状と化して辺りに漏れ出していく。
「うツば◯△うまン」
いつもと違うのは、俺の体の一部だった液体を、そいつが身を乗り出して旨そうにぺろぺろと舐めていることだった。
「うツば◯△うまン」
「…あぁ」
「うツば◯△うまン」
「…ありがとう」
「うツば◯△うまン」
「ああ、ありがとうございます」
またも恍惚感に取り込まれた中で自分の意志とは関係なく感謝の意を述べている最中、着信音で目が覚めた。
「朝早くからすみません。拝み屋を営んでおります、〇〇と申します。神主さんの方からお話は伺っておりますので、出来れば本日14:00に、こちらにお越しいただけますでしょうか」
脱線するけど、仕事の速いおじさんって安心するし信頼感があるよね。
二つ返事で了承し、動かない身体を無理矢理起こし頭痛と戦いながら準備を済ませ部屋を出た。指定された場所は少し遠かったが、30分前には到着できた。何か仰々しい建物なのかと思っていたが、ただの和風の一軒家だった。
呼び鈴を押す。ジーッ。古いタイプだった。
「はい」
「あ、すみません。14:00からお約束させていただいてるものです。少し予定より早めに着いてしまって」
「ああ、お待ちしておりました。少々お待ち下さいね」
声の感じは電話よりもかなり若い印象だった。
玄関からお迎えに来てくれた方も30代前半という印象だったので、応対もこの方がしてくれたのだろう。
ところが一瞬、まるで腐敗臭を嗅いだときのようにその方の表情がひどく歪んだ。
しかしすぐに表情を切り替え、
「〇〇の弟子を務めさせて頂いている、□□と申します、本日はどうぞよろしくお願いいたします」と仰ってくれた。なるほどお弟子さんなら、電話の声と違うことにも得心がいく。そのまま、家の見た目相応な和室に案内され、「師匠をお呼びいたしますので、今しばらくお待ち下さい。ついでにお茶をお出ししますね」お構いなく、といいながら少しの間部屋の中を見回した。
至って普通の和室だ。何か特別な祭壇があるわけでも、道具が飾ってあるわけでもなさそうだ。
お茶をいただく余裕もないほどに、押し寄せる頭痛と悪寒に堪え忍んでいると、作務衣をまとった齢70を超えるだろうご老人が部屋に入ってきた。
その老人も一瞥するなり一瞬ぐっと顔が強張ったのを見逃さなかった。
やめてくれよ、不安になるじゃん。脳のメモリが少ない中で少し苛立ちさえ覚えたが、すぐに老人は穏やかな表情になって、「この度は、大変な状況の中でお一人で耐えていらっしゃったそうで、心中お察しいたします。お身体も辛い中よくぞここまでおいでくださいましたね。」言葉が出なかった。この状況を理解してくれた上で優しい言葉をかけてもらうこと、どれほど嬉しかったか。
続けて、「私達拝み屋というのは、交通安全ですとか受験祈願、家内安全などのその人の悩みに合った祈祷を行い、お守りを作ったりするなど地味な仕事が大半です。しかし、時たまあなたのような霊的な症状に対して、魔祓いの祈祷をおこなうことがあります。なので、今回はそれを行い、退魔のお守りを作って差し上げましょう」
よろしくお願いいたします、という他なかった。最早縋る藁はこの人しかない。
「その前に一つ」神妙な面持ちに切り替わり、老人は続ける。
「ご自身で何か罰当たりなこと、例えば心霊スポットへ行ったとか、お寺で不躾な行為をしたなど心当たりはございますか?」
「…いえ、ありません。そもそも怖い話やホラー系のものは全般苦手でして、何もそのようなことはしていないと誓って言えます」
「………そうですか。それでは少しお待ち下さいね」
そういって部屋を後にした老人は、小一時間ほど戻らなかった。
時折、なぜかお弟子さんの怒声が聞こえる。
何揉めてんだよ。
不安と焦燥にかられて、すっかり冷えたお茶も口にすることなく、頭痛に苛まれ亀のように丸まって一人うずくまっていた。
ようやく老人とお弟子さんが戻ってきた。手に液体の入ったコップと、銅剣を携えた老人に対し、お弟子さんは何か腑に落ちない、不服そうな表情を隠すこともしていなかった。さっきの怒声といい、なにか言いたいことがあるなら言ってくれ。そう言いかける前に老人が口を開いた。
「このコップには御神酒が入っています。これの前に正座をしてください」
そう言われた俺は、のろのろとコップの前に正座する。
「今から祈祷を行います。あなたは特に何もしなくて構いません。拝みたかったら手を合わせていても構いませんし、目を瞑っていただくだけでも構いません」
そうして始まった祈祷は、想像よりも質素なものだった。老人と弟子はコップを真ん中に俺と向かい合う形で座り、手を合わせているだけだった。
衣装も先程から来ている作務衣のままだ。烏帽子でも被ったいかにもな衣装を着るわけでもなし、御神饌を供えているわけでもなし、何か祝詞のようなものを唱えるわけでもなし。
後から聞けば、拝むとは心の在りようであって、漫画のように大幣や祓串を振り回せばいいものではないと。
30分ほど経って、老人が立ち上がり俺の頭上で2回銅剣をシャッシャッと振った。丁度、バッテンを描くように。
そうして、老人はそのままコップを手にして御神酒をぐいっと飲み干した。
「はい、これにて祈祷は終了です。後ほど退魔のお守りをお作りしてお渡しいたしますので、一週間ほどは身につけておいてくださいね」
質素すぎる祈祷を眼の前にして、少し拍子抜けした俺だったが、不思議と身体が軽くなり、頭痛も悪寒も弱まっていた気がした。
「あの、ありがとうございました。少しだけですが、楽になっているような気がします。それで恐縮なのですが、祈祷料などお支払いの方はおいくらになるでしょうか」
「ああ、それでしたら後ほどで構いませんよ。祈祷の効果を実感して心身ともに元気になり、夢を見なくなったら。あなたの余裕ができたときで結構です。いずれにせよ、経過報告なども兼ねてまたご連絡をいただけますか」
「…あ、あの、それでよろしいのであれば一旦お言葉に甘えさせていただきます。」
お守りを受けとり家を後にする前に深々と2人に頭を下げた。しかし、お弟子さんの方は怒りと悲しみの入り混じったなんとも言えない表情でこちらを一瞥し、奥に消えていった。
その日の夜、俺は夢を見なかった。それどころか体の不調も全て消えていた。本当に祟られていたのだ、という実感と、またそれを退ける力を持つ人がいるんだな、としみじみと噛み締めた。
2,3日経っても変わりないことを確認し、早速老人に報告し、支払いをさせてもらおうとしたが、何故か電話に出ない。何度かかけても折り返しの1つもなかった。困ったな、直接お伺いしようか、と考えていたところ、見知らぬ番号からショートメッセージが入っていた。
「〇〇の弟子を務めさせて頂いております、□□です。先日は遠路はるばるお伺いいただき誠にありがとうございました。
早速ではありますが、〇〇からの言伝を預かっておりますので、以下ご拝読ください。
『先日はお越しいただきありがとうございました。その後お身体の調子はいかがでしょうか。簡単に、あなたに何が起こっていたのかを伝えさせていただきます。知っておいたほうが、今後の為にもなることがあるからです。
あなたに取り憑いて精神を蝕んでいたのは、とあるお坊さんの霊でした。
昔は村の飢饉や流行り病を鎮めるために僧侶自らを生贄とする即身仏という修行がありました。
私の読み取った限りでは、そのお坊さんは修行を途中で投げ出し逃げ出そうとしたのではないかと思います。
村や村人の命など投げ捨ててでも自分が生きたい、生にしがみつきたいと思いを翻してしまったのでしょう。しかし、その修行は途中で投げ出すことなど絶対に許されないようなものでした。
そのときにはすでに土中入定と云われる、深い土の下の石室で一人佇む段階でした。前段の木食修行にて身体の肉という肉はほぼ失われていたので、穴を掘って逃げ出す力など最早残っていないような状態です。
通気のための竹筒から助けを求めても、鉦をどれだけ鳴らそうとも、誰も助けてくれなかったのでしょう。
飢餓と絶望の籠もる深い石室で、この世の全てを恨み妬み亡くなった。そんな思いや思念を霊から感じ受けました。結果、あなたに取り憑いていた霊がこの世に生まれてしまったのです。そしてそれは生前の飢餓を癒やすため、霊を喰らい自分の糧にするようになったのです。
僧侶という身なりと霊力を用いて、あたかも極楽浄土に遣わしましょう、あなたを救ってさしあげましょうと仕向け、不浄霊を引き寄せていた。端的に言うと、幽霊を喰らう幽霊だった。身なりがでっぷりと肥えていたり、あなたから溶け出した液体を啜るという夢の内容は、そういうことからだと考えます。最早地縛霊や悪霊などという表現からはほど遠い、邪神や悪鬼羅刹の類と言ってもいい。
さて、ではなぜそれがあなたのもとに来てしまったのか。
それは、偶然です。
あなたとその怨霊とは何の因果も感じ取れませんでした。全く何もなかった。
あなたの先祖に坊さんが身を捧げた村のものがいるとか、坊さんの乱心を見て見ぬふりをした同じ宗派のものの血が混じっているだとか、そういった類の因縁は全くなかったのです。
お越しいただいた際にもお伺いした通り、あなた自身がその霊を怒らせるような行為もしていない。また縁の土地に行ったような痕跡もない。
つまりこれは、交通事故に遭ったようなものだとお考えください。
あなたは何も悪くないのです。ただただ運が悪かっただけだとお考えください。
どうかお気になさらず。
もしこの先祈祷をした私の身に何があっても、それはあなたの責任ではありませんし、気に病む必要もありません。
まあ万が一にもそのようなことはないと思いますが、一応念のため。
ただし、夢で聞いたというあの言葉は忘れるようにしてください。
頭の中でも反芻しないことをお勧めします。
あれは霊を集める呪詛のようなものですので、決して口には出さないように忠告をしておきます。
では、これからのあなた様の健やかな健康と今後のご発展をお祈りいたします。』
以上が言伝となります。
さて、ここからは〇〇の弟子としてではなく、一人の人間としてあなたと向き合いたいと思います。
〇〇はご逝去なされました。
あのときあなたに施した儀式は魔祓いではなく、〇〇自身にに霊を移し替えるというものでした。
〇〇は『あのままではあの方は確実に死ぬ。
あの霊は最早幽霊だけでは飽き足りず、あの方の生身の魂を喰らおうとしている。
もしあの霊を、私に移し替えることが出来たのならあの方は助かるだろう。私に霊を宿して共に死ねば、老い先短いこの命一つで事足りる。
何も云われのない不幸な若者を救えるのなら本望だ』と儀式前に仰っていました。
私は最後まで反対しました。
交通事故に遭った人の代わりに命を投げ出すなんて人が良いにも程がある。
そこまでする必要がありますか、あの人は死ぬ、そういう運命だったのです、と何度も説得したのですが聞き入れてくれませんでした。
この話は絶対に伝えるなと言われていましたが、弟子としてその言い付けは守ります。
しかし一人の人間として、師の命を落とす原因となったあんな禍々しいものを連れてきてしまったあなたが、何の報いも受けずにこれからのうのうと暮らしていくのには耐えられませんでした。
あなたの事故に巻き込まれて亡くなった方がいることを努々お忘れなきよう、心に釘が刺さり、しかと受け止めていただければと思います。
祈祷料は結構ですので、以降は連絡などは控えていただくようお願いいたします。
草々」
お弟子さんの言う通り、胸に言いようのないずどんとした重みがのしかかる中、ふと身に付けていた退魔のお守りに目をやると、
白い布で作られたお守りの縁が、黒くぐちゅぐちゅとした液体で滲んでいた。
私は、何に魅入られて、何のために他人を巻き込んだのだろうか。
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