土に還る

藤田桜


 僕が生まれて、人類最後の女が産褥に死んだとき、種の滅びが決まった。生まれたのが娘であれば、三つ年上の兄と番にすることもできただろうに。

 父はひどく嘆いた。


 ──お前は、あいつと二人っきりで老いていって、たった一人で死んでいくのだ。


 十二になる頃には、それも悪くないと思い始めた。

 この美しい兄が側にいてくれさえすれば、他に欲しいものなどさしてない。また、兄が死んだら、自分も後を追うようにすぐ死ねるだろうと、そう信じていた。

 だってこんなに愛しているのだ。僕は、二人の魂が見えない紐で結び合わされているさまを、彼と触れ合うたびに思い描いた。


 兄に焦がれるようになったのは、いつからだろうか。十だったか、九だったか。とにかくそれは月夜の晩だった。

 その頃僕ら兄弟は幾つもの秘密を交わしていて、よく、つまらない昔話ばかり聞かせたがる父から逃げ出して遊んだものだ。僕らを探しに来た父の、怒鳴り声と荒い足音が聞こえても、草陰に身を寄せ合って笑っていた。


 あの夜も、僕らは二人で森を抜け出して、かつて無数の人間が暮らしていたという「街」に出かけた。それは砂ばかりの廃墟。角ばった石の家が、月の光をしらじらと浴びて輝いている。ひどく静かで、眩しかった。僕らの他に誰もいない。


「おいで、イツィ」


 兄は身軽に壁をよじのぼると、まだもたついている僕に向かって腕を差し伸べてくれた。繋いだ手の温もりに、胸のあたりがせわしく脈打つ。窪みにかけた足を離して上に跳んだら、勢い余って押し倒してしまった。胸いっぱいに彼の体温を感じるのが気恥ずかしくって、慌てたように起き上がる。

「変なイツィ。最近ずっとそんなだぞ」

 兄は、僕の影の中でくしゃりと顔をほころばせた。それがいつにないほど美しく見えたから、ああ、もっと、彼のすべてが欲しいと思ったのだ。


「サク」

 僕は、兄の名前を呼んだ。「大好き」

 そっと彼を抱きしめた。驚いたのか、わずかに体がこわばったのが分かる。兄の心臓の音が聞こえる。僕と同じくらい速かった。息継ぎをするように口づける。必死に彼を求めるうちに、頭を撫でられているのに気が付いた。細い指が髪を梳く心地よさに目を細める。


 兄は何も答えなかった。ただ、拒まれなかったことが嬉しかった。


 やがて僕らは互いを求め合うようになった。──なんだ、僕らは男同士でも番になれるのだ。子の成し方は知らなかったけれど、それでも良かった。それで良かった。父と母がそうしたように、恋人を子に明け渡す気にはなれなかったから。


 父が死んだとき、共に僕らの秘密も葬り去られた。僕らは誰に憚ることなく睦み合った。それは前よりずっと穏やかで、柔らかな時間だった。指を重ねて、微笑み合って、まるで幼い獣がそうするように身を寄せ合った。


 森の中、僕らはゆるやかに歳を取っていく。細かった兄の体にはしなやかな肉がついた。その腕で石を投げれば、まるで流れ星のように遠く飛ばすことができるほど。僕を抱きしめる力もずいぶん強くなった。


 木の実を摘み、小さな獣を狩り、魚を掬って、僕らは暮らした。いずれ来る終わりを思いながら、年を数えるのもやめて、無限にも思える時間の中を。

 ──暮らしていたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る