異世界のんびりキャンプ
長野文三郎
第1話 プロローグ 物語は不気味な駅から始まる
無人島に持っていけるものが一つだけあるとしたら、なにを選ぶか?
それは永遠の命題だ。
ある人はナイフを選ぶかもしれないし、ライターを選択する人だっているだろう。寂しさを紛らわすために分厚い本を持っていく、なんて主張も納得できる。
俺ならどうするかって? そうだなぁ……、乳が出るメスのヤギを連れていくなんてどうだろう?
ヤギ乳は栄養価が高いし、ペットがいれば寂しくない。だけどケガや病気だって心配だ。メディカルキットという選択肢も捨てがたいぞ。でも……。
まあ、本音を言えば持てるだけのキャンプ
美しい南の島で、美女と二人で悠々自適のキャンプ生活か……。いいな、それ……えへ……えへへ……。
ガタンッ! キイイイイイーッ!
不意に電車が大きくカーブして、俺の妄想は打ち砕かれた。空想のキャンプ生活を楽しんでいたのに、これではせっかくの現実逃避が台無しだ。おかげで忘れかけていた倦怠感がぶり返し、ため息をつくのすら億劫になってしまった。
人生最悪の四週間が過ぎようとしていた。二十四年間生きてきたけど、これほどひどい夏は初めてだ。同僚やパートさんが次々と感染病に侵され、俺は地獄の三十二連勤をこなしている最中だ。
明日、いや、もう日付が変わっているはずだから朝に出社すれば三十三連勤か……。気力でなんとか持ちこたえてきたけど、明日にも過労で倒れてしまいそうだ。
さっきから体は睡眠を欲しているけど、ここで眠るわけにはいかない。一度眠ってしまえば、きっと終着駅まで起きることはないだろう。
というわけで、今にもぶっ倒れそうな状態で俺は終電に揺られている。そろそろ降りる駅に到着するはずなのだが……。
眠気と闘いながら駅への到着を待っていたのだが、不意に俺は妙な違和感を覚えた。いつもなら五分くらいで次の駅に着くというのに、もうかれこれ二十分以上も電車は走り続けているのだ。
ぼんやりしていて違う電車に乗ってしまったのか? 窓から見える景色は暗く、この電車がどこを走っているのか見当もつかない。どういうわけか車内に路線案内も見当たらないのだ。
乗客は俺以外に三人いるけど、全員が青白い顔をして死んだように眠りこけている。わざわざ起こしてこの電車が何線かを尋ねるのも具合が悪かった。
いよいよ不安になって車掌を探そうかと思い始めたら、電車はだんだんとスピードを落としはじめた。するとカーブの向こうにぼんやりと虚ろに光る駅が見えてくるではないか。うん、やっぱり見たことがない駅だ。
あれ、なんだろう、この
そう、これはネットの記事で読んだ『きさらぎ駅』の状況にそっくりじゃないか! たしか、アレの投稿者はきさらぎ駅という実在しない駅に降りたまま行方不明になってしまったんだよな……。まさか、俺も不思議空間に迷い込んでしまったのか!?
車内アナウンスもないまま、電車は駅に停車した。ドキドキしながら俺はホームの看板を探す。もしここが『きさらぎ駅』だったら……。
『ざらき駅』
ちがった……。でも、ある意味ではこっちの方が不気味じゃないか? ザラキって、ドラゴンクエストってゲームの即死呪文だぞ! 気のせいかもしれないけど不吉な響きがするなあ……。
それにしても『ざらき』なんて聞いたこともない駅名だ。やっぱり疲労のせいで乗る電車を間違えてしまったに違いない。ホームに駅員の姿はなく、小さな駅舎があるだけの寂れた駅だった。
さて、俺はどうするべきだろう? もっと大きな駅に着くまで電車に乗り続けるか、それともここで降車するか……。大きな駅の近くなら一夜を明かすネットカフェなどが見つかるかもしれない。だけど、できることなら家に帰りたいんだよね。
このまま電車に乗り続ければ、家はどんどん遠ざかってしまうはずだ。ここで降りて折り返しの電車を待つ方がよさそうな気がする。懐には大打撃だけどタクシーに来てもらうという手だってある。……よしっ!
意を決してホームに降りると、その瞬間を待っていたように電車の扉は閉じた。嵌められた? 不吉な気配に後悔が後に立つ。もしかして俺、やっちまったか……? 不気味な軋みを響かせて電車は行ってしまった。この駅で降りたのは俺一人だ。
ホームで上り列車の時刻表を探したけど、どこにも見当たらなかった。仕方がないので、階段を上り、誰もいない改札口へと向かう。そして気がついた。誰もいないのは当然で、ここは無人駅だったのだ。
改札の横には小さな待合室がついていて、蛍光灯の灯りが寒々しく光を落としている。困ったことに待合室にも時刻表はない。タクシーはおろか、自動販売機すら見当たらない駅だった。
しばらく待ったが、電車が訪れる気配は微塵もなかった。どういうわけかスマートフォンは圏外になっていて路線図を調べることはおろか、地図アプリすら開けなかった。最終電車はもう行ってしまったと考えた方がよさそうだ。こうなったら電波の圏内まで歩くしかないか。
「なんでこんな目に遭わなきゃならないんだよっ!」
大声を上げたところで助けは来ない。どうしようもない虚無感を感じながら、俺は足を引きずるようにして『ざらき駅』を後にした。
駅前のロータリーから続く一本道を歩きながら、またもや自分の判断を後悔しだした。道の先はすぐ森になっていて、暗く、非常に不気味だったのだ。それでも俺は街灯もない暗闇をスマートフォンのか細い灯りだけを頼りに進んだ。
自分が特別怖がりだとは思わないけど、この森は反則過ぎる。どこまで歩けば幹線道路に出られるだろう? スマートフォンのアンテナもまだ圏外のままである。一日の仕事で体は疲れ切っているというのに、足は自然と速くなる。
始発まで駅のベンチで待つという考えも浮かんだけど、用事があって明日は早くに出社しなければならない。しかも必要な書類が家にあるのだ。泣き言は行っていられなかった。だがしかしだ、俺は目の前の光景に絶望する。
「こんな試練があっていいのか? それとも、これを乗り越えれば、その先にパラダイスが待っているとでもいうのかよ?」
現れたのは自動車がギリギリ一台通れそうなくらいの、細いトンネルだった。ランプは一つも灯ってなく、中は真っ暗で出口は見えず、不気味なことこの上ない。
今からでも駅に引き返そうか?
そんな考えが頭をよぎったけど、俺は腹を決めた。こうなったらとことんまでやってやる! このトンネルを抜けて俺は家に帰って寝るんだ!
バッテリーが37%になったスマートフォンをかざし、俺は軽い駆け足でトンネルに潜り込んだ。
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