遺品整理

広河長綺

第1話

実家の床を覆いつくす母の遺品に、手をつけられずにいる。


私は獣医学科に通っていて明日はテストなので本当は今夜中に、必要なモノとゴミに分別する必要があるのに。


テキパキ作業すべきとわかっていても、古い品を見るたびに思い出が蘇って、作業の手がとまってしまう。


母のお気に入りの化粧水。

数年前買ったが母が古風な人間なので使われることがなかった電気ケトル。

ボロい実家でのエアコン効率を上げるために買った断熱シート。

私が子どものときおままごとで使っていたオモチャの聴診器。


無数の遺品たちを実家の畳の上に無造作に広げたまま、整理が始まらない。


途方に暮れていると、妹の久美子の声が、私の耳に飛び込んできた。

「お姉ちゃん、1階の拭き掃除終わったから、そっちもゴミをゴミ袋に入れといてね」

一切の屈託がない言い方だ。


その声とともに、横から使用済みの雑巾が飛んできて、遺品の山の上に着地した。今朝は白かった雑巾もあちこち拭いた結果今や黒くなっており、遺品が雑巾由来の汁で汚れた。


顔を上げると1階の掃除を終え2階に上がってきた妹がこの部屋の入口に立っていた。自身が投げた雑巾で母の遺品が汚れることも、特に気にしていないようだった。


彼女はそういう子だ。


ウジウジして尻込みがちな私と違い、妹は要領がよく活発で、趣味もキャンプだったりする。


小さい頃からいつもそうだ。

家でお医者さんごっこした時だって、すぐに「私がお医者さんする!」と遠慮なく言い放つ。一方の私は病院の受付という余り物の役職をするのが常だった。


そんな妹が何も気にせず母の遺品をテキパキ捨てている時に、私だけ手をとめているのは姉としてカッコ悪すぎだろう。


私は「いやー、ゴミが多くて怠いよねぇ」とおどけた調子で言いながら、無造作に遺品をつかみゴミ袋に放り込んで見せた。


そんな私の様子をみて、妹は遺品廃棄の抵抗感がさらに減ったらしい。


「よしもっと断捨離してくるね!」と意気込んで1階に降りて行った。


その背中を見送りながら、私は先ほど反芻した思い出に、少し違和感を覚えた。


私たちが子どもの頃に、この家でお医者さんごっこをした時の記憶。

さっき思い出した通り、その時妹がお医者さん役で私が病院の受付役。そこまでは間違いない。


では、患者役は誰がやったのだろう?


そこまで考えた時、この家には、もう1人「彼女」がいることを思い出した。


見えない存在じゃない。ずっとずっとずっとのに、忘れていたのだ。


その瞬間、家の全ての電灯が消えた。私が「彼女」の存在に気づいたことが合図だったかのように。


停電?それともブレーカーが落ちた?

雷が鳴ってるわけでもないし、電化製品使っているわけでもないのに?

そして、突然明かりが消えたのに、1階にいる妹はなんで何も言わないの?


色々な不安が心の中に湧いてきて、「久美子?どこにいるの?」と尋ねるのに1分近くかかった。


まずは妹の無事を確かめるためにも、自分がアレコレ推測するよりとりあえず声をかける方が合理的なのに。


そうすべきだと、とっくに気づいていた。


でも、異変が起こっていることを確信したくなかったのだ。


気づかなければ、怯えなくて済む。


停電にも。妹の安否にも。そして、今、ギシギシと音をたてながら階段を登りこっちに近づいてくる「彼女」にも。


でも、もうすでに気づいてしまった。


階段を軋ませながら2階に向かうそれは確実に気のせいなどではなく、しっかりとした存在感があり、幼少期に私たちとお医者さんごっこしていたと同じ奴であることを直観できるほどだった。


子どものおままごとの相手をしてくれた存在なので、猛獣のような生物ではないのではないか。


そんな甘い期待が脳裏をよぎるが、その程度で安心できない。


私は母の遺品の中のノートを開き、窓から差し込む月明かりで読んだ。


すると「騰蛇とうだがいる。この家からは出ていけないみたいだけど。騰蛇がこの家からいなくなることはない」という記述を見つけた。


騰蛇とうだ


三国志の曹操も漢詩で詠んでいたほどに有名な神獣で、霧を泳ぐ蛇だと言う。獣医学科の教養科目で動物ので学んだことがある。


しかし、そんな中国の神獣が、こんな普通の日本の家にいるのだろうか?


疑問はつきないが、今の所手掛かりとなる情報はこれしかないのだから、騰蛇として対応するしかない。


こうしている間にも、何かが階段を登るギシギシという音が近づいているのだから。


私は妹がキャンプが趣味だからポータブル電源を持っているはずだと気づいた。その予想は的中しており、散らかった部屋の中の妹の私物があるところを探すとポータブル電源があった。


私は遺品の中から電気ケトルを取り出しポータブル電源につなぎ、その中に母の化粧水を入れた。母のことを思うと心が痛むが、部屋の中にある水分がこれしかないのでしょうがない。


ギシギシという音が近づくのを聞きながら待つこと十数秒。


ある程度の温度のお湯ができたので、私は隣の部屋に電気ケトルを持っていき中の熱湯を撒いた。


その後部屋に戻り、断熱シートを私の体にまきつけ、毛布の下にもぐった。


私の準備か完了した直後、「彼女」は2階に到着した。


大きな体を引きずりながら「彼女」は、私がいる部屋を素通りして、奥の部屋へむかっていく。


狙い通りだ。


――ピット器官。


蛇が持つ赤外線感知器官。体温を見る蛇なら断熱材の中に隠れた私より、熱した化粧水の方へ行ってしまうだろうと思ったのだ。予想通り「彼女」が奥の部屋に行ったタイミングで私は部屋を出て、階段を降り始めた。


この時、私は作戦が首尾よく行き過ぎて逆に焦っていたのだと思う。


被った布団をマントのように肩にかけた状態で、階段を駆け下りてしまった。


でも、結果オーライだった。


もし背中に布団がなかったら、いつのまにか背後にいた「彼女」が噛みついてきたとき私の背中がえぐれていただろうから。


毛布に阻まれた「彼女」の攻撃は、それでもなお十分な威力を持っていて、私は前につんのめるようにしてこけて、階段の下に落下したのだった。


階段の上で「彼女」はクスクス笑い、階段の下で私は少し泣いた。


右足を捻ったようで、立ち上がろうとすると、激痛が足首から膝までを刺し貫いた。でも痛がっている余裕はない。


私は自分でも意外に思うほどの根性を発揮して、左足で立ち上がり歩き始めた。


顔を上げると当然1階の廊下も真っ暗だったのだが、視界の右側が月明かりで少し明るくなっているように見えた。だから私は、に向かって歩き始めた。騰蛇からそんな簡単に逃げられるわけがない。裏をかいたのだ。


果たして、その選択は正しかった。


暗い廊下を光と反対方向に進んだ先に、大きなのれんのような何かがあったのだ。


横に並んで垂れ下がる3枚の布状の物体。白くて薄い。布というより紙に近い肌触り。


それが何かはわからない。だが3枚あるそれの隙間から、光が差し込んでいるのは確かだった。


彼女はそれを廊下に垂れ下げて、本物の月光を遮り家の内側から嘘の光を放っていたのだ。単純に明るい方へ歩いていたら行き止まりに誘導され彼女に捕まっていただろう。


見破れてホッとしたせいだろうか。私はここにきて、謎の布状物体を強くさわることへの嫌悪感を感じて、逃げる足を止めてしまった。


彼女にとってみれば、私を捕食する絶好のチャンス。


彼女はズルズルという音とともに階段を駆け下り、私の背後へと迫る。


「ねぇーおままごとしようよー」幼馴染に久しぶりに会ったような馴れ馴れしさで、彼女は声をかけてきた。


私は意を決して布状のそれを押して、くぐった。強く触ることで何かわかった。大蛇が脱皮したときの皮だ。


そんなどうでもいい分析をするほどに、私の頭は冷静だった。


私の体は、左足でピョンピョン跳ねるように無様に必死に走っていた。だがそれは意識的な行動というより、捕食者から草食動物が逃げるような本能的な衝動であり、頭は何もしていなかったのだ。


だから転がるようにして家から出ることに成功しても、私は油断せず、庭の大きい石を手に取った。


騰蛇は家から出れない。


母のその言葉が本当だったとして、「家」の範囲に庭も含む可能性がある。


案の定、しばらくすると「彼女」は玄関から出てきた。


だが「彼女」は妹の顔をして、ゴミ袋を持っていた。


当然私は騙されない。

大きな石を持ったまま「久美子、何してるの」と尋ねた。


妹の顔をしたそれは、「いや、やっぱり母さんの遺品を捨てるのは、悪いかなって」と答えた。


だから私は、偽の妹と判断して、持っていた石を妹の形をした顔面に叩きつけた。


本物の妹は、金のことしか考えない。母親への愛情を忘れている。

そんなクズ人間だから。


母の介護の役目を私に押し付けた妹が、クズ人間でなければ納得できない。

だから私は石を、顔に振り下ろし続けた。

何度も。

何度も。

何度も。

最終的に妹らしきモノは、顔の形を失い、倒れたまま動かなくなった。


死ねば蛇の姿に戻るかと思ったら、死体は妹の形のままだ。

朝になれば、今度こそ変化へんげがとけるのか。

それとも、私は本物の妹を殺してしまったのか。


どっちでもいいか石を振り下ろすの気持ちよかったし、と思いながら、私はとりあえず朝日を待っている。

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