3話 情報収集

 お腹も満たされ、ソファで寛ぐ。


「夕飯の準備するから遊んでてね」


 恵美が息子の姿の俺に満面の笑みを向けた。娘にこんなにまで優しくされた経験がないせいか、どうも対応に困ってしまう。気恥ずかしさで返事もしないまま、テーブルに置かれたリモコンに手を伸ばした。電源を入れると若いアナウンサーが最新グルメを紹介していた。話題のスイーツがいくつも紹介されるのを意識することなく眺める。


(いや、テレビなんて見ている暇なんてないだろ!)


 ホットケーキに惑わされ、本題が頭から抜け落ちてしまったことに気が付いた。


(もう4年の月日が過ぎているということは……この身体は確実に恵美の息子なのだろう。けど、なら俺がなんで娘の息子の身体になってしまったんだ?)


 自分の記憶は送別会の夜から止まってしまっている。


(思い出せ……あの夜の後のことを)


 懸命に頭を巡らせ考え込んでいると、恵美がこちらへと近寄ってきた。


「本当に今日は大人しいね。それにニュースなんて見てるの? 今なら颯太の好きな番組やってるんじゃないかな」


 恵美がリモコンをテレビに向けてチャンネルを変える。すると、子供がいかにも好きそうな教育番組が映し出された。着ぐるみが子供と楽しそうにダンスを繰り広げている。


「ほら、これ好きでしょ?」


 そう言い残し、恵美は再びキッチンへと戻っていった。


(好きって言われてもな……俺は子供じゃないんだ。こんなの見たってつまらなんに決まってる)


 かと言っても、恵美から見た俺は父親ではなく息子なのだ。そこに反論するつもりは毛頭ない。

 本当ならばニュース番組で何かヒントを得たかったが、娘に怪しまれる可能性を考え大人しく従った。


(今はニュースよりも俺に何があったかが重要なんだ)


 目を瞑り、自分の記憶を掘り返していく。しかし、送別会で部下たちと別れてからの記憶がどういう訳なのか思い出せない。


(これは記憶喪失というやつか? けど、それだとこの現象の意味が全く理解できない……俺の本体は一体どうなっているんだ?)


 考えても埒があかないと、目を開けて辺りを見渡す。何かヒントになるものや、俺の情報がどこかに散らばっていないかと目を部屋中に走らせた。だけど、目に見えるような情報はもうこの部屋にはなさそうだ。


(だったら調べるしかないか)


 恵美の目を盗み、そっと別室へと移動する。さっき寝ていた子供部屋。だが、そこには目ぼしいものはない。子供部屋なんだから当たり前かと、俺はまた考え込む。


「寝室……」


 俺はひらめいた。夫婦の寝室へ行けば何かしらの情報が転がっているはずだ。

 早速、その部屋を目指すことを決める。だが難点なことがひとつ。寝室へはキッチンを通り抜けなければならないようだ。横を通れば、恵美にはすぐ気付かれてしまうだろう。


「なんとか突破しないと」


 俺は躊躇いながらもキッチンを抜ける廊下を進む。案の定、恵美はすぐに俺に気が付いた。


「どうかしたの?」


「えっと」


 怪しまれずに突破する方法はひとつ。


「おしっこ! トイレ!」


 できるだけ笑顔を心掛け、子供を演じた。


「ママもついていこうか?」


 手伝うよっと、濡れた手をタオルで拭き出した恵美に俺は慌てて言い放つ。


「ひとりでできる!!」


 きっぱり断ったことによほど驚いたのか、恵美の目は丸く見開かれた。


「そ、そう」


「ついてこないで!」


「分かった。けど困ったらママを呼ぶんだよ?」


「わかった!」


 違和感があったに違いないだろうが、なんとか乗りきったようだ。

 ひとりでやりたい時期なのかなと呟きながら、恵美の手は洗い場へと戻される。


(よしよし、うまく誤魔化せた……しかしながら、この年で演技をする羽目になるとは思わなかった)


 隠れて溜め息を溢した。キッチンの前を堂々と通過し、磨りガラスの入ったドアを開ける。短い廊下の先には玄関が見えた。その手前にはトイレ、そして2階へと続く階段があった。


「2階か」


 俺はトイレを素通りして、迷わず階段の前に立つ。しかし、ここでまたもや試練が訪れる。

 中身は大人なのだが、体は3才の子供。普通なら難なく上れるのに、この体では少々厳しい戦いになるだろう。


(けど、迷ってる暇はない!)


 覚悟を決めて階段に手を置きながら、一段一段をよじ登る。子供にとったら、階段も山登りみたいなものだ。数段上がると、代謝のいい体は一瞬にして汗まみれ。前髪が汗で張り付いている。


(年を取ると汗をかく頻度も減ったが……階段だけでこんなになるとはな。だが、こんな汗もなかなか悪くない)


 それに、どんなに体を動かしてもどこも痛くないというのが素晴らしい。妙な爽快感を感じてしまう。

 もしかしたら体が子供のせいで思考も子供っぽくなっているのかもしれない。

 その考えがひとつの仮説を生む。


(そうか……体が子供ということは、脳もまだ発達段階。だとすると記憶力が大人並みではない……だから送別会の後のことが思い出せないのかもしれないな)


 それが正しければ早急に情報を集めなければならない。抜け落ちた4年の間に一体なにがあったのか、俺になにが起きたのか、一刻も早く把握しなければ解決策も立てられないということだ。


「よしっ! 上るぞ!」


 無我夢中で体を動かしていると、ようやくゴールが近付く。あと数段で2階の床に手が届くと思っていた矢先、後ろから大声が響いた。


「こらっ!! 颯太、なにしてるの!!」


 運悪く恵美に悟られてしまった。トイレには時間が掛かりすぎてしまったのが失敗の理由だろう。

 あと少しと悔しく思う。


(だが、仕方がない。潔さも必要だ……)


「ごめんなさい」


 俺は素直に謝った。


「2階に行きたかったの? でも、今は我慢しようね」


 俺がいる場所まで近寄ってきた恵美が軽々と俺を抱き上げる。


「おおっ!!!?」


 つい変な声が漏れた。


「ほら、お部屋に戻るよ」


 予想外の展開に思考が追い付かない。というか、恥ずかしくてどうにかなりそうだ。

 父親が娘に抱っこされるなんてこと誰も経験しないだろう。

 娘と距離のある生活をして来た俺にとっては、その経験は嬉しさよりも気まずさしか他なかった。

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