猫も興奮(全3話)
天野橋立
その1 鳥が大好きなボン・ボヤージ
ベランダの手すりに雀がやってくると、我が愛猫の「ボン・ボヤージ」は茶色の縞々が入った尻尾を立てて窓際へと近づいていく。そしてガラスにもたれかかるように両足だけで立ち上がり、透明でつるつるしたガラス面へと爪を立てようと試みる。残念ながらガリガリ、とやることは出来ず終いとなるわけだが、それでも彼は飽きもせずに雀をじっと見つめるのである。雀の側は、知らぬ顔。
窓を開けてやれば、あの小鳥をうまく仕留めて得意顔をするのだろうか。おそらく、そうはなるまい。残念ながら、御年十二歳を数える彼の最近における身のこなしは、若い同族のようにはいかなかった。近頃では、ソファーの座面に上がるのでさえ大儀そうで、時にはずるずるとカーペットの上に戻ってしまうこともある。立てた爪で、ソファーのファブリックが毛羽立ってしまうのも困りものだ。
運動も必要だろうと、彼らに人気だという触れ込みの「レーザーポインター」なるものを買ってはみたものの、壁に浮かぶ赤い光点に、ボン・ボヤージは不思議なくらい何の反応も示さなかった。というか、どうも彼の青い瞳には、光点が見えていないらしい。光の波長の関係だろうかと、その寄り目がちな両の目をのぞきこんでみたが、にゃんとも言わずに澄ました顔をするばかり。考えてみると彼は、テレビの画面にも全く反応を示したことがないわけで、人工の光に興味を持たない質なのかもしれない。
そういうわけで、彼はベランダに次々と現れる鳥たちに心惹かれながら、その人生をのんびりと過ごしていた。自分以外の同族に逢ったなら、また違った反応をするのかも知れないけれど、何せこの部屋は地上百十メートルの場所にあるものだから、鳥くらいしかやって来ないのである。他に窓から見えるものと言えば、空と雲を除けば飛行機やヘリコプターくらい。じゃあその辺りのグループについての彼の見解はというと、やっぱり多少興味があるようで、フライト高度が低いボンバルディアQ400なんかが割と近くを横切っていくと、窓に近づいてじっと見ていたりする。タワーマンションでの暮らしというのも、何だか不思議なものだ。
鳥や、鳥的な人工物以外がやって来た時以外で、彼が激しく反応することが、まれにあった。地震である。近くを大きな地震が襲ったときなど、彼は揺れがやってくる前から、部屋を走り回ってにゃあにゃあと叫び続けたものだ。この辺りでは震度は小さめで収まったのだが、何せ高層階だけに揺れは激しく、しかしいざ揺れ始めるとボン・ボヤージは案外おとなしくなって、私の膝の上で抱かれていた。大丈夫だよ、落ち着けと騒ぐ私のほうが、よっぽど取り乱していたくらいである。
だから数日前の夜、彼が突然天井を見上げて、例のにゃあにゃあをやり始めた時は、肝を冷やした。しかし、地震は起きなかった。飛行機が落ちてきたわけでもなかった。鳥さえもやって来なかった。
何事も起きなかった――数日後まで、私はすっかりそう思い込んでいたのである。
星空なんか、普段はわざわざ見ない。だから、それが話題になっていることも、新聞を見て初めて知ったのだった。
いて座から約十度の辺りに、明るい星が突如出現したのだという。超新星爆発、という言葉は知っていたが、銀河系の中心方向とやらで、その爆発が起きたらしかった。それは、星の一生の終わりを意味するそうだ。
起きた、と言っても実際に星が爆発したのは、数万年も前の話で、その際に放たれた光が、それこそ数万光年の距離を越えてようやく今になってこの地球にまで届き、我々人類の目に触れることになった、そういうことらしかった。
記事を読んでへえ、と思った私は、ふと数日前のことを思い出した。ボン・ボヤージがにゃあにゃあをやっていた日、超新星が現れというのは、ちょうどその夜のはずである。
新聞を傍らに置いて、私は改めて絨毯の上で伸びている彼の姿に目を遣った。部屋から、星が見えたはずはない。なのにこいつは、それに気づいたらしい。すごいじゃないかと、私はその丸い頭を撫でてやった。齢十二年、お前もそろそろ宇宙スケールかい。当の本人は、面倒そうな顔のまま、微動だにしなかった。
(その2「訪問、MIBっぽい黒服おじさんたち」に続く)
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