第10話 長谷川優希という人間(4)
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落ちていく。
重力に逆らえず、ただただ落ちていく。
徐々に深く暗い底へと沈んでいく。
息が出来なくて苦しい。
だけど身体は鉛のように重く、手を伸ばすことも踠くことも出来ない。
ブクブクと上へ上がっていく気泡は、自分の口から吐き出された二酸化炭素だと分かってもどうすることも出来ない。
(………嗚呼、此処で人生終わりか)
まだまだやりたいことがあって名残惜しいけど、仕方ない。
最後に良いことをした。
誰も褒めてくれなくても、自分で自分を褒めてあげよう。
(綺麗だ)
差し込む光は白銀。
そして、青色と水色の世界。
視界は霞んでいるはずなのに不思議なもので、光の屈折とゆらゆらと揺らぐ水が相まって同じものにはならずに見えて、万華鏡のようだと思った。
脳に酸素が行き渡らなくて、おれが見たのは幻影だったかもしれない。
(あー、ダブハー全クリ出来なかったなぁ……。攻略サイトを見ながらルイーザが出て来るルートをちょいちょいやってただけだから、もしかしたら見落としてたイベントにルイーザが破滅しない道を発見出来たかもしれないのに……。ダブハーのゲームソフトは女友だちから買い取ったから、貸し借りがないのが幸いか……)
もっと今までの人生を振り返ることは沢山あるはずなのに。
頭に過るのはルイーザのこと。
ルイーザ。おれ、君が破滅しないエンドを見たかった。
ルイーザ。おれ、お姉さま方が描く二次創作でも良いから君のハッピーエンドを見たかったよ。
公式とごちゃ混ぜになっちゃうから、ダブハーを全クリするまでは二次創作は見ないって決めたのが仇になっちゃったなぁ……。
そう無念を抱きながら、おれの意識は闇に落ちていった。
長谷川優希。
おそらく享年17。
死因は溺死(救助死)
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「………」
長谷川優希の人生を振り返ってみると、可もなく不可もない人生だった。
家庭環境は普通だったし、友だちにも恵まれて孤独ではなかった。
友だちと一緒に高校を卒業出来なかったこと、親より先に死んでしまったこと。
心残りがないと言ったら、嘘になる。
「おれ、死んじゃったんだなぁ……」
もしもあの時、レスキュアの手を掴めたら。
もしもあの時、高波が来なかったら。
もしもあの時、……子どもを助けに遊泳禁止エリアへ飛び込まなかったら。
そしたら、長谷川優希が死ぬことなんてなかったのかな。
「……いや、行動しないであのまま子どもを見殺しにしてたら一生後悔してただろうな」
悪いのはあの父親で、子どもは父親がオッケーしたから遊泳禁止エリアで遊んでただけ。
誰かのせいにしたって、長谷川優希は死んだまま。
「ごめん、爺ちゃん……。おれ、助けられなかった……」
子どもはライフセーバーによって助けられた。
だけどおれは、―――自分を助けられなかった。
海に沈んでいった子どもを助けたとしても、地上に戻って来て初めて救助を完遂したことになるんだ。
おれは最後まで出来なかった。
『優希!』
『ハセユウ!』
おれを呼んでくれた友だち。
その中には物心ついた頃から一緒にいた奴もいた。
靄がかかったように顔も名前も思い出せないけど、あいつは一人だけおれを『ハセユウ』じゃなくて『優希』って呼んでたな。
「うわぁ、おれの馬鹿……」
おれ、友だちの前で高波に飲まれて消えたのか。
そして、そのまま死んだのか。
その後、おれの遺体は発見されたのかな。
もしかしたら、行方不明のままなのかな。
それを確かめる術はない。
「悔しいなぁ……。あぁ、そっか……」
おれ、子どもを助けに行ったことは後悔してないけど、悔しいんだ。
爺ちゃんから教えてもらったことを活かせなかったことも、生きて友だちの元へ戻れなかったことも、全部“悔しい”なんだ。
だけど、
「ねぇ、父さん、母さん……おれ、ちゃんと“優希”だったよ」
優希はおれの名前。
『優しい子になってね』
『困ってる人がいたら助けてあげるんだぞ』
優希とは両親がつけてくれた名前。
褒められる最期ではなかったけど、おれは名前の由来の通りの息子だったでしょ?
「ごめんなさい……」
おれに『馬鹿息子!』って怒ることはもう出来ないね。
おれは『馬鹿息子!』って怒られることももうないんだね。
「うわぁ……やばっ、なんだこれ……止まんねぇ……」
ボタボタと涙が頬を伝って、次から次に流れて来る。
拭っても拭っても、止まらない。
(今のおれは4歳くらいだもんな……。情緒不安定なのは仕方ないよな……)
おれは今、ノア・ファフェイスだ。
何故、ノアになったかは分からないけど、おれはもう長谷川優希ではない。
(……意図的に長谷川優希のことを思い出すのはもう止めよう。これからのことを考えないとな)
完全に長谷川優希と決別はまだ出来ない。
だけど、おれはノア・ファフェイスとして生きていくことを決意するのだった。
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