第11話
鳴り物の音が止む。再び静謐に包まれる森。
「なんだあの女の子!
舞台の奥、小屋の裏側からヒルデの舞の行く末を見守っていた、ニコルの表情に焦りが見える。
(その上、こっちの獣人達が呆けてしまってる)
隣で太鼓や笛を鳴らしていた、獣人は奏でる手を止め、前に出てきた美しい少女をじっと見つめている。
舞台上のヒルデは想定外の事態にその舞を止めてしまっている。
「レヴィス。それにみんな。目を覚まして!そして」
真っ赤なドレスに身を包むその少女が悠然と舞台に向けて歩を進める。
「私だけを見て」
舞台と地面をつなぐ階段に足をかける。高く張り出したヒールが、音を鳴らす。
「そこにいる誰かさん。あなたも私の
舞台の後ろで隠れ見ていた獣人達を薄目で見下す少女。その表情は愉悦を感じているような色目化しさを持ち、世の男性性を持つもの全員が吸い込まれてしまいそうなほど、深い魅力があった。
(ファン……だって?)
こちらの世界ではないであろう言葉の類。その言葉の意味を知るものはきっとこの場に二人しかいない。
(いや……だめだ……ここで
動きを止めてしまっているヒルデが心配そうに目線をこっちに送る。
「ヒルデ!止まるな動き続けろ!」
一方で、この少女以外にはニコルが示す結末へ向けた物語に未だ入り込んでいるとすれば、動きを止めない限りは、それは続くのだろう。
「こっちの男どもは使い物にならないけど……そっちのみんなは違うよね?」
小首をかしげて可愛く、片目をつむる少女。
ニコルの周りの獣人達の男の様子がおかしい。頬が紅潮し、呼吸が粗くなる。生気を失ったように……いや、真逆。むしろ生気に満ち溢れたようにサクヤを仰ぎ見る。
「サクヤはーみんなのこと大好きだよー!みんなはサクヤのことどう思ってるかなー?」
彼女――サクヤと自分のことを呼ぶ少女はころころその表情を変化させる。先程の色気に満ちた目線。あどけなさが残る可憐な少女の笑顔。そしてこの世で自分が最もかわいいと思っていなければ出来ないほどのあざとさ。
(こいつは……)
ニコルはこれと似たような光景を過去に見たことがある。
ウズウズと身をよじる獣人達。耳がピンと伸び切り、尻尾はブンブン振り回される。女性獣人はそんな彼らに蔑むような視線を送る。
「どうなの?」
次は高圧的な低いトーンの疑問形。
「好きだー!!!」
堰を切ったように男性獣人が叫びを上げる。
(アイドルか!!!)
前世において、一大エンターテイメントとしてその地位を確立していた、「アイドル」。
この大自然あふれる森の中で、現代とは似ても似つかぬこの世界で、ひとりの女の子に男どもが熱を上げている様はまさしく”それ”だった。
先程までの精細さを欠きながらも、必死に身体を動かしていたヒルデであったが、その叫び声で動きを止める。
(まずい……!!)
ニコルはサクヤに群がろうとする獣人を飛び越えて舞台に降り立つ。
「あら、おかしいわね。男はここに上がることすら出来ないはずなんだけど」
サクヤにとっては意外なことなのか、少し目を見開く。
「お嬢さん。すまないけどここはまだ僕と彼女の舞台だ」
「となると……あなたが祝福持ち?瞳の色は青だけど」
祝福持ち、という言葉をより詳しく問いたい、ニコルはその気持をぐっと堪える。
「色々聞きたいことはあるが、せっかく壇上まで上がってきたんだ。その瞬間から君も演者さ」
ニコルはそう言うと、ぱっと両手を広げる。
「音が止む。しかし巫女はその動きを止めない」
ちらっとニコルはヒルデに視線を送る。ヒルデはその視線に気が付き、舞を続ける。
「男は少女に向けて言い放つ」
サクヤに向かうニコル。
「もうじき女神が降りてくる。そうすればここも大丈夫だ。君は戻る必要はない」
サクヤの手を取り、ささやくニコル。
「なによ!」
突然、見知らぬ男に手を取られ赤面しその手を払いのけるサクヤ。
「あぁ。僕は不幸だ。女神への供物として捧げられる僕を、見送る愛しき人よ。どうか、二度と出会えることのない悲しみを背をわず生きて欲しい」
ニコルは払いのけられた手をもう一度握りしめ、サクヤに顔を寄せる。無理矢理にでも物語を紡ぐために。
ニコルの行動に獣人族の男たちが喚き立つ。
「なんなのよあなた!」
サクヤは身を捩って、ニコルから離れようとする。そんあサクヤの腰のあたりをぐっと引き寄せるニコル。
「泣くな。愛しき人よ。もうじき夜明けだ。もう会えずとも僕は君の事を思い続ける」
「泣いてなんかいないし、勝手に話を進めないで!」
ニコルはそのままサクヤをお姫様を抱くように担ぎ上げる。
「や……めってって……ば……」
自然とニコルの顔が近くなる。元の世界にいたときから男性経験の乏しかったサクヤにとってニコルの一連の行動はいくら強がっていても刺激が強すぎるものであった。
そして同時に、気持ちが動くにも十分すぎるものだった。
(あれ……なにこれ?なんでこんなに顔が熱いの)
くっつきそうなほど近くにあるニコルの顔を見上げる。
(よく見たらこの人、顔面強いし。さっきから私に愛しいとか色々いってるし)
今にも爆発しそうなほどに顔を赤らめるサクヤ。
ニコルはサクヤを担いだまま、舞台から降り、そこでそっとサクヤを地面に降ろす。
「待って……」
物足りなさそうに手を伸ばすサクヤ。ニコルはそんなサクヤに背を向けて再び舞台に上がる。
「すまない。もう行かなくては。男はそう言って巫女の前にひざまずく」
ニコルは自分が紡いだ言葉の通りにヒルデでひざまずいた。そうして小声でヒルデに告げる。
「ほら、女神の言葉」
もうとにかく理由のわからない状態でひたすら同じ動きを繰り返していたヒルデは、そのニコルの言葉を聞いて、表情を戻す。
「獣人達の願いは届いた。女神の名において、ここに女神の庇護を授けることを誓おう」
事前に決めていた一節の台詞。ヒルデにとって初めての台詞。
『巫女の身体に女神の魂が降りた。愛する人と引き裂かれる悲劇に、さめざめと涙を流す少女を従者は無理やり引き連れる。そう。ここはもう既に神の土地。人が来てはいけない場所なのだ』
ニコルの瞳は輝きを放つ。
『泣くな。愛しき人よ。これは悲劇ではない。喜劇なのだから』
その金色の瞳を見てサクヤは悟った。この人こそが運命の人だと。見知らぬ土地にひとりさみしく生きる自分にとっての。
『そうして人々は”永遠に”この土地に近寄ることはなくなった』
立ち上がり、人間の一行に向けて言い放つ。
レヴィスをはじめとした騎士や冒険者は、禁を解かれたように動き出す。騎士の一人がサクヤを担ぎ上げてそそくさと馬車に放り込む。
サクヤは「待って!残る!」と叫んでいたが、そうはいかないようだった。
奉納は十分だったのだろうか。かなりの強制力が働いている。
(”永遠”がどこまで続くのか……ちょっとなんと言えないけど)
そうして一行は、一言も発することなく、来た道をそのまま引き返す。
サクヤが舞台から降りた辺りから、既に正気を取り戻していた獣人達もその様子を黙って見守る。先程までの喧騒とは打って変わって張り詰めるような緊張感。
彼らの持つランプの光が遠く森の闇に飲まれたところで、ニコルが叫ぶ。
「人族は去った!」
その言葉に、緊張感でパンパンに張り詰めた空気の膜が爆発した。
遠吠えや鳴き声を上げる獣人達。手を取り飛び跳ねる。
ドサッと崩れるようにその場に腰を降ろすヒルデ。
「なぁ……本当に大丈夫なの……?」
震える声で問いかける。
「あぁ。きっと。ヒルデもお疲れ。君のお陰でいい舞台になったよ」
へたり込むヒルデの頭をぽんぽんと叩くニコル。目をつむり撫でられる猫のように、ヒルデからもニコルの手のひらに頭を擦り付ける。
「って、やめろよ!子供みたいに」
自分がしていることがよほど恥ずかしかったのか、ニコルの手を払い除けぴょんと飛び上がり距離を取る。
「よく頑張った演者は称えてやるのが僕の主義なんだけどな」
行き場のなくなった手のひらをで頭をかくニコル。
「……あのさ」
ぼそっとヒルデがニコルに問う。
「ニコルがさっきの女に言ったこと本当のことか?」
「えっ……となんのこと?」
身に覚えのない質問に眉間にシワを寄せるニコル。
「だから……その……」
両手を合わせてモジモジさせる。
「いや、ちょっとわからない」
「あの女に愛してるとか、愛しいとか言ってただろ!あれは本心なのかって!」
毛は逆立ち、尻尾も耳もピンと立っている。
「あぁ……あれはただの……なんて言えばいいんだ?嘘……っていうわけでもないし……作り話だよ!作り話。僕は彼女の事、知らないからね」
なんのことを聞かれているのか漸くわかったニコルは、少し考えしれっと答える。
「ニコル。あんたって嘘つきなの?」
ジトッとした目でニコルを睨みつけるヒルデ。
「違う違う!嘘なんかつかないよ。だってほら」
舞台の上からあたりを見渡す。松明の明かりはまだ煌々と村を照らしている。獣人達が喜び飛び跳ねる。中には酒まで持ってくるものもいた。
「言った通り、みんなが笑顔でいられただろ」
ヒルデもそれ見て
「そうだね」
と返すのだった。
――「獣人村の巫女」終幕
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