第3話

 眼の前に微かだが何者かの気配を感じる。


「僕の使命はもう終わった。この世界に僕のような人間はもういらないんだ」


 その声はとても淋しげでどうも、全てを諦めてしまった、そんな声だった。


(誰だ)

 

 男は考える。知らない声。先程の女神の声でもない。少し若い男性の声。


「すこし疲れてしまったんだ。この身体は君の好きにすればいい」


(待て。勝手に話を進めるな)


「僕は少し眠るよ」

 

 声の主の気配は、その言葉を最後に消えてしまった。

 



(なんだ、熱い)


 足元がチリチリと焼かれる感覚。


(身動きも取れない)


 激しく固いもの同士がぶつかり合う音。何かを叩いているのだろうか。

 青年の記憶にあるのは、真っ白な空間での女神と名乗る怪しい女との会話。

 あの時には身体の感覚はなかったが、今はちゃんとある。腕や足を動かそうと思っても何かにキツく縛られているようで動けないだけだ。

 意を決して、恐る恐る目を開ける。

 青年の目に飛び込んできたのは薄闇の中、炎に照されて、見た目はまるで人間だが、猫や犬の耳を生やし尻尾まである、二足歩行の何かだった。

 数十といるそんな何かが、鼓を叩き、木の棒を振り回し、地面に叩きつけ自分を囲ってぐるぐる回る。薄汚れ上衣を羽織って、腰のあたりを帯で結ぶ。足首まで固定できる革製のサンダルを履いている。

 そして、そんな非現実的な光景を眺める、自分は大きな丸太に縛り付けられており、足元には炎が広がっている。


「あの女神!何が女神の祝福を、だ。早速死にそうじゃねぇか!!」


 青年は思わず叫んでしまう。

 まだ、炎は小さいものの、立ち上り少しずつ迫ってくる。

 身体を捩り少しでも上に行こうとするも、足首と肩の部分がしっかりと丸太に巻きつけられてしまっているため、動くことができない。

 青年が目を覚ましたことに気がついたのか、獣耳達が雄叫びを上げた。太鼓の音が強くなる。振り回す棒が青年の顔の横を掠めさる。


「危ねーよ!!!あんたらなんなんだよ!僕は何にもしてないだろ!」


 僕?と自分の一人称が変わっていることを少し不思議に思いつつ、今はそんなことを気にしている余裕はない。この状況をなんとか脱しない事には折角の新しい人生も始まって早々クライマックスだ。

 鼓の音がより一層早くなる。

 何人かの獣耳達が大きな葉っぱで炎を煽ぐ。炎はさらにその勢いを増して、青年に迫る。


「おいおいおい。洒落になってないって!なぁあんた達、ちょっとは話を聞いてくれないか?」


 獣耳達は青年の声を全く意に介さず、ただ地面を鳴らし続ける。


(何が悲しんでいる人達がいるだ、言葉も通じない危ない奴らばっかじゃないか)


「どうにかしてくれよ!女神の祝福があるんだろ!!」


 炎がまさに丸太に達するその瞬間。世界が止まる。


「もう、こんな状態なんですか、あなたは」


 やれやれと言った様子であの女神が、あまりにも自然に目の前に現れる。


「あんた、僕を騙したのか?こんな状況聞いてないぞ」


「いえいえ、そんなこと。そもそもこの青年……言い方がややこしいですね。貴方の魂と居を共にしている、その青年こそ、まず貴方が救うべき者そのものですよー」


「は?」



「まぁ細かなことはゆくゆくわかっていくはずだから。いずれにしてもその身体の元の魂は貴方の魂が入ると同時に眠ちゃったみたいだから、その身体が持ってる本来の力は使えないみたいね。これはちょっと予想外」


「勝手に話を進めるなって」


「それではそんな貴方に女神の祝福を差し上げましょう」


「まだ貰えてなかったのか……」


 男は項垂れてながら呟く。


「この力をあなたがどう使うのかは貴方に任せます。貴方が思うまま、願うままにあなたの物語を紡いでください」


「どういうことだ」


「そのままの意味ですよ。今回はサービスしときますよ」


 女神は軽い口調で手をひらひらとさせる。


「それでは、改めてあなたの旅路に女神の祝福があらんことを」


 そうして、世界は再び動き出す。

 


 耳に突き刺さる太鼓の音。しかし先ほどと異なるのは、青年の表情。


「なんというか……あの女神、無茶苦茶だな」


 女神の祝福。世界の因果を変えるその力の使い方を、青年は既に知っている。ついさっきまで紺碧の色をしていた青年の瞳は金色の輝きを放つ。


『聞け獣の民よ。と火刑に処せられる青年は言い放つ』


 青年が言葉を紡ぐ。始まりの一節を。自身の物語の序章を。

 その声色は青年の本来の声と、先ほどの女神の声が被さったような不思議な声だった。

 紡がれた言葉は金色の文字列となって青年の目の前に記される。日本語ではない。英語でも、人類が使う言語体系でもない。どこかファンタジー映画や漫画見たような文様。

 記されたと思った次の瞬間にはそれらの文字は光の粒子となり消えていく。

 先ほどまで荒ぶっていた獣耳達がその言葉と共にピタッと動きを止める。静寂の中、丸太が爆ぜるパチパチという音だけが響く。


『静まりかえった獣達は青年を見やる。青年は一言、降ろせと命じる』


 言葉を聞いた獣耳達は慌てて、燃え盛る炎をも超え、我よ我よと青年に群がり丸太ごと担ぎ上げ炎から降ろす。


『丸太から外された青年は、距離を取り獣達と相対す』


「そして、獣に告げるのだった。まずは話をしよう」


 言葉の途中で金色の瞳の色が戻り、声色も元の青年の声に変わっていく。


「これだけか!サービス悪いな」


 青年は顔を歪める。一瞬前の出来事を忘却してしまったように呆けている獣耳達と目が合う。他の獣耳達も何が起こったのかわからない様子で顔も見合わせている。


「何をしている!そいつを逃すな!」


(何を言っているのかわかる!)


 獣耳達の中でも目に見えて高齢で大きな狼の耳の長いひげを蓄えた男が叫ぶ。叫び声を聞いて我を取り戻した先頭集団が身を屈めて青年にゆっくりとにじりよる。


 月の光に照らされて、鋭利な爪が鈍く光る。ジャリジャリと砂利を足で擦る音。距離を詰めてくる獣達に合わせて青年は後ずさることしかできない。


 青年はわかっている。この状況を切り抜けるためには再び、あれを使うしか他ないと。そしてそのために必要なことも。


 そうして青年は――舞った。

 鳥がその羽を伸ばすように、両手を大きく広げ、羽ばたかせる。

 急な動きに、飛び退く獣耳達。青年はその動きに目もくれず、舞を続ける。

 舞い。古来より神への奉納として存在する、演芸のひとつ。手足をめいいっぱい伸ばし、現世の記憶を頼りに身体を動かす。

 伝統的な舞いというよりは、現代的な動きに近しいがそれでも、舞いに違いはない。

 神への奉納としては十分だった。

 男の目の前に文字が現れる。


 ――奉納が完了しました。女神の祝福を行使できます。行使しますか?


(あの女神……何考えてんだ)


 男は舞いながら頭でそんなことを考える。


(そういうことならせめて、楽しくいこうか)


 突如、よくわからない動きを始めた青年に怯んでいた獣耳たちが、正気を取り戻し、今にも飛びかかろうとした時。


「女神の祝福を行使する!」


 青年の叫びと同時に、青年の瞳が金色に輝き出す。



 ――女神の祝福“天織言”を行使します。


 眼の前に再び文字が表示される。


『聞け。青年は言う。』


 男の紡いだ言葉に合わせて、再び獣耳の動きが止まる。


『私は貴公らに1つ、お願いがある。青年は続ける』


『今宵を最高な夜にしようではないか。青年の声を聞くと獣たちは一様に太鼓を叩き、大地を踏み鳴らす』


 青年の言葉に合わせて、獣耳達が操られる様に彼の言葉通り、太鼓を叩き、それに合わせて足を踏み鳴らす。


『獣達は知る。太鼓の刻む律動に合わせて、昂った感情のままに身体を動かす事の楽しさを』


 獣耳達は飛び跳ねたり、棒を地面に叩きつけたり思い思いに身体を動かす。一見すると暴徒の様である。


『輪になれ。叩け。吼えろ。踏み鳴らせ。踊れ。貴公らが手に取るは、暴力ではない。大地を、世界を震わせろ』


 青年はそう言うと、大きく跳ね上がり、両足で強く大地を踏み抜いた。硬い地面はもちろん気持ちのいい音を鳴らすわけがない。ダンとくぐもった音。しかし、確かにその場所、その空間に振動が駆け巡った。

 静まり返る獣たち。


『今宵は宴だ。始まりの。青年の声とともに獣耳たちは一斉に雄叫びを上げる。そしてこの喧騒は朝まで続くのだった』


 青年がそこまで言葉を紡いだどころで、両目の輝きは失せた。青年自身もそれを感じ取った。


(ここから先は賭けだな)


 青年は腕を組み仁王立ちであたりを見やる。

 呆ける獣耳たち。どうしたらいいかわからないのか、お互いに目配せをする。

 青年が組んでいた腕をほどいて、手のひらで身体をひとつ叩く。警戒しながらぐるりと当たりを見渡し、またひとつ。次は逆の手のひらで。続けて手のひらを同士を強く打ち付ける。パンっと場に似つかわしくない、小気味のいい音が響く。テンポよく左右の足で2回だけ足踏み。

 さらに足元に転がっている棒切れを起用に、爪先で蹴り上げて手に取ると、思い切り地面に叩きつける。

 足で地面を踏み鳴らしたときよりも大きな音が響く。

 青年の目の前にいる猫耳の少女がその音に目を丸くさせる。人間の歳でいうと10代なかばほどの見た目か。耳を覆う毛は赤茶色で右耳だけ、星型に白い毛が生えている。

 青年は足と棒でリズムを刻みながら少女に近づく。そして手にした棒切れを差し出した。


「使ってみなよ。武器じゃない」


 猫耳の少女は恐る恐る手を伸ばし木の棒を手にする。周囲を取り囲む他の獣耳たちも警戒をしているようだ。少女が木の棒を手にすると、青年は棒の先で地面を叩くような身振りをして見せる。

 見様見真似に少女が一度、地面を叩く。弱々しく木の棒の先端が地面に打ち付けられる。青年は首を横に振り、もっと強くと言わんばかりに、より大きく身振りする。少女はそれに合わせてさらに強く地面を叩きつけた。

 繰り返す。何度か続けいよいよ、少女もムキになって目一杯地面を叩いたところで、その打撃音のすぐ後に続けて、青年は手を叩いた。

 重たい音の後に続く軽い音。

 少女は先程よりも大きく目を見開く。大きく開かれた猫目が愛くるしい。青年の口角が上がる。もう一度と人差し指を立てる。

 少女が再び棒を打ち付け、青年が手を叩く。単調ではあるが、リズムが生まれた。

 他の獣たちも目を丸くする。秩序ある律動に。耳をピクピクさせながら目配せをする。その様子を見た青年は真似してみろと言わんばかりに彼らのもとに近づく。一瞬警戒するも、すでに彼らは律動の渦に巻き込まれている。青年の叩く手に合わせて、獣耳たちも手を叩く。

 リズムが崩れる。下手な者もいれば上手い者もいる。そんなことは気にするな、青年は次に足を踏み鳴らす。

 木の棒を持っている獣耳たちは少女と同じように棒で地面を叩く。

 狼のような耳と尻尾持つ者が遠吠えをする。それに合わせて、猫耳の誰かが高く飛び跳ね、空中で1回転。他の個体は松明を手に取り、棒術のように振り回す。見る人が見れば曲芸――サーカスのようにも見えるその光景。

 先程まで青年を火炙りにしようとしていた炎は演目を盛り上げる舞台装置の如く燦々と輝きを放ち、暴れ回る獣耳たちを照らしている。

 青年はもう何も言わずとも、彼ら、彼女らと腕を組み、肩を組み、輪になって炎を囲む。

 宴は朝まで続く。

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