獣人族の巫女
第1話
12月25日。
この地域にしては珍しく大雪が降り頻る。街は数年ぶりのホワイトクリスマスを楽しむ人々でいっそう賑わう。
そんな街の道路脇。サンタクロースの格好の初老の男がテーブルを広げて何かを始めた。
顔のシミが目立ち、髭は伸び放題でサンタのつけ髭は必要なさそうだ。
腰ほどの高さのテーブルの上には箱が置かれており、箱の中には簡素だが、丁寧に作り込まれた街の模型が入っている。男はその箱の中へ紐のついた人形を1体、上からおろし入れた。
「それは、ひどく寒いおおみそかの夜のことでした。」
人形劇だった。サンタの格好をした中年が、真冬の街で『マッチ売りの少女』の人形劇を始めたのだ。
街ゆく人には、そんな男に見向きもしない人がいれば、「楽しい日を邪魔するな」とばかりに怪訝な顔を向ける人もいる。
舞台装置はチープなものの、しかし男の語り口調は優れており次第に足を止める人が増えてきた。
カップル、家族連れ。
今日という日が少しだけ人の心を豊かにしたのか、彼の人形劇を見るために集まってきた。
少しばかりの人だかりができた頃合いで、男は人形を操る手とは逆の手で、首から下げた電子ピアノの鍵盤を叩く。
物悲しげなメロディーラインが見ている人を物語へとさらに深く引き込む。男は器用に人形を操りながら、糸を操り、鍵盤を叩き、物語を進める。
気がつけば男の周りには多くの人が集まっていた。
「また、新しい一年が始まりました。」
締めの一言とともに、箱の前面側の扉がゆっくりと閉じられる。閉じ切ったところで男は深く一礼。見ていた観客からパラパラと拍手が起こる、拍手は大きくなるかと思ったが、人々は口々に面白かったね、懐かしかったねと感想をこぼしながら、街に消えていく。
男は小さな箱を机の上に置いた。
「お気持ちだけでも頂けますと」
そう小さくこぼし、空を見上げる。雪の日特有の、重たい雲に覆われた灰色の空。
冷たい空気が肺を鋭く突き刺した。
男は思い出す。今まで人生を。
人を楽しませることだけを考えて生きてきた。大道芸から始まり、劇団に所属し、俳優をやり、脚本を書いた。自分の劇団を立ち上げ、全国を周り、ついには映画の原作を務めることまでできた。
男の夢は大きかった。
”100年後も1000年後にも残る物語を創る”ことそして”それを世界中に届けること”。先程まで読み上げていた、「マッチ売りの少女」だってそうだ。19世紀中頃に書かれたその物語は、200年近くたった今でも、世界中の子供たちに読み聞かせられている。
男はそんな物語を創りたいのだ。
トルストイ、紫式部、シェークスピア……きっと魔法学校の話や指輪の話だってもしかしたら1000年後も語り継がれるかもしれない。
それは決して自己の顕示欲や承認欲求からくるものではない。
彼は心の底から自分の物語が、そんな世界の名作の数々のように、時に人々を元気づけ、勇気づけ、生きる活力となり続けて欲しい。そう思っているのであった。
このためだけに男は表現を続けてきた。楽しい時はもちろん、辛い思いをしている時、泣いている時、苦しい時。
そんな時に少しでも必要とされるなら、と言葉を紡いできた。そして成功を収めた。
しかしそれは過去の話。仲間に裏切られ、金を持ち逃げされた。
多額の借金は彼を追い詰め、世間はセンセーショナルにそのことを取り扱った。彼が築いた様々な功績は忘れ去られ、そうこうしているうち、新しい話題に世間は食いつき、彼は過去の人となった。
ただ一つの信念に狂ったように取り憑かれた彼は、同時に「自分が辛い時」の対処の術を知らなかった。
誰かに頼ることもできず、誰からも見放された彼は、それでも自分の信念を貫くためにこうして街で言葉を紡ぎ、表現を続けていた。
(今日も野宿か……)
すでに観客の多くは人混みに消えた。何人かはお金を入れていってくれたので、箱には小銭が少しだけ残っている。
(今日の寒さは流石に死ぬかもな)
そんなことを考えていると、男の元に1人の少女が寄ってきた。暖かそうな猫耳のついたフードを被っている。その後ろ、少し向こう側には、少女の両親だろうか。幸せそうな笑みを浮かべながら男女2人組がこちら見ている。
「サンタさん!お話とっても面白かったよ!」
少女は恥ずかしげもなく満面の笑みでそう言ってくれた。
「この手袋くれたのもサンタさんなんでしょ?いっぱいありがとう言いたかったからここにいてくれてありがとう!」
少女は嬉しそうに両手を元気よく突き出す。男は屈んで目線を少女と合わせる。
「そうじゃよ。わしは君がそうやって笑ってくれるだけで嬉しいんじゃ。わしのほうこそありがとう」
男の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「それでね、これお父さんとお母さんから。みぃはこんな紙よりケーキの方がサンタさん喜ぶと思うんだけど」
そう言って少女はポケットから紙幣を取り出す。1が1つと0が4つ。普段では考えられないほどの大金である。
男は驚いて、奥の夫婦を感謝の眼差しで見やる。夫婦は気にしないでと言った様子で軽く会釈をしてくれる。
「ありがとう」
やっとの思いで絞り出した声は細く、震えてしまった。
「わしにとって、君は最高のサンタさんじゃよ」
少女は笑顔で大きく頷くと、足早に両親の元にかけていき、母親にしがみついた。
男は立ち上がり、夫婦が見えなくなるまでの間、深く頭を下げる。拳の中にはくしゃくしゃになった紙幣が握りしめられていた。
(まだ届けられる人がいる)
今まで男が歩んできた全てが報われた。男はそう感じてしまうほどに、今日という日を忘れない日にしようと誓った。
(まだやれる。俺なら大丈夫だ)
小さな奇跡が男に活力を与えた。半ば諦めていた心に再び火が灯る。
「久々の大金だ。寝床の確保も重要だけど、これを使えばまた新しい何かを創ることができるな。久しぶりに漫画喫茶でもいって本を書くか」
男は一人呟きながら、帰り支度を始める。
一人でも多くの人に楽しみを届けるために何ができるのかを考えながら。
悲鳴のように大きなクラクションが突如、街の喧騒を切り裂く。
男が立っていた歩道に一台のダンプが突っ込んだ。
宙を舞う赤。そして数舜の後、男の身体は激しく地面に叩きつけられた。
(何が起きたんだろう。身体中痛い。視界がぼやける。あぁあのトラックか。運転手が駆け寄ってくるな。でももう無理みたいだ。沢山の人が寄ってくる。カメラを向ける人もいるな。さっきの人形劇の時に向けてくれよ、全く。他に怪我人は……見える範囲ではいなさそうだ。今でよかった。もう少し早かったら、きっとあの子もこうして。それどころから俺が人を集めたせいで多くの人が巻き込まれるところだった)
視界がぼやける。
(あぁ。よかった。きっと死ぬのは俺だけですむ。もう少し生きいと思ったところだったが、俺にしてはいい最後なんじゃないか。最後に人の暖かさにまた触れることができた)
徐々に意識がなくなる。
(最後まで俺は幸せだった)
そこで男の意識は途絶えた。
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