猫かっ!
ねむるこ
第1話 猫かっ!
「あ~……いいなあ。猫」
テレビに映し出される可愛らしい猫の映像に私はため息を吐いた。
今日が2月22日ということもあって猫の映像がたくさん放送されている。子猫がクッションにぎゅうっと抱き着く映像から目が離せない。ご飯3杯はいける。
それにしても……猫という生き物はどうしてこんなにもかわいいんだろうか。
ふわふわで丸っこいフォルムにビー玉のように綺麗な目。
クリームパン、いや餃子かな……のような、ちまっとした可愛らしい手。
みゃおんという鳴き声は魅惑の高音をしている。
神様がこの世の「かわいい」を詰め込んでつくった生き物が「猫」であると私は考えている。
生きてるだけで私の心をくすぐり、ほわほわと
はあ……なんて罪深い生き物なんだ。
「一緒に暮らせたらどんなに楽しいか」
私は一人暮らしのこじんまりとした部屋を見渡す。ほどよく片付いて、ほどよく散らかった部屋。
スーパーのお惣菜をお供に、炊飯器で炊いた白米を食べながらテレビを流す……。典型的なアラサーOLの光景である。
猫と暮らす日々を妄想しない日はない。
『あんたねえ……。ペット飼うと一生彼氏できないよ』
私の親友、
だよねえええ!ただでさえ彼氏いない年数を積み重ねてるってのに!きっと莉奈にも白い目で見られるだろうし。
「だめだめ。猫と暮らすのは妄想だけにしよう。うん」
私は猫から思いを断ち切るようにテレビの電源を切った。
🐈
リリリリリ……リリリリリ……。
スマホのアラームが鳴っている。
ああ。もう朝なのか……。
朝だと分かっていても、アラームが鳴っていると分かっていても、朝というのはすぐに起きれないものだ。
私は布団の中でしばらくアラーム音を聞いていた。
リリリミャ……ミャミャミャミャミャ……。
ちょっと待った。
アラームの音、何かおかしくない?私、こんな音に設定したっけ?
私は枕元に置いたスマホに手を伸ばす。
もふ、ふにゃっ。
「……?」
スマホとは思えない触感と共に音が止む。私は恐る恐るスマホに視線を移した。
枕元にあったのは一昨年に発売された型落ちのスマホではなかった。
「みゃおん」
猫だ。
スマホサイズの小さな真っ黒な猫が丸くなって座っていた。
確かに私のスマホの色は『ブラック』だったけどさ……。
「えっ?猫?」
猫は大あくびをするとぴょこっと布団から降りた。
ローテーブルの近くまで歩いて行くと、おもむろにテーブルの足に口元を擦りつけ始めたのだ。
布団をバサバサ叩いてみたり、枕をどかしたりしてスマホを探したけど、どこにも見当たらない。
「えっと……スマホが猫。……
私はひとりで呟いて首と手を振った。
「いやいや!有り得ない!有り得ないって!」
きっと私はまだ夢の中にいるのだ。うん。きっとそうだ。と……とりあえずいつものように顔を洗おう。そうすれば目が覚めるはず。
私は洗面所へ走った。洗顔フォームを泡立たせた時だ。
ん?なんだかこれって……『お尻を向けた猫』っぽくない?
そう見えてしまったら最後。
みるみるうちに泡がもふわっとした毛むくじゃらの生き物へと変化する。
「んみゃーおん」
私の手の中に収まっていた泡がたちまちでっぷりとした白猫へと
「うわあっ!」
驚いて思わず水をためていた洗面器に白猫を落としてしまった。
しまった!猫って水嫌いだよね?早く助けなきゃ……。
と思っていたら白猫は器用に犬かきをして優雅に洗面器の中を泳ぎまわっていた。どうやらこの子は水が平気な子のようだ。
「良かったあ……。いや、何も良くない!」
私は白猫が泳ぎを楽しむ洗面器をどかすと、水でバシャバシャと顔を洗う。その後でもう一度洗面器を見る……。
「夢じゃない……」
覚醒した頭になっても白猫が消えなかった。依然としてバシャバシャと音を立てながら洗面器の中を泳いでいる。ここが夢の世界ではないことが証明された。
そっとバスタオルを置いて洗面所を後にする。あの子には思い存分泳いでいてもらおう。
「やっぱり。身近なものが
私は昨日の夜作っておいた朝ご飯用のおにぎりを頬張りながら呟いた。おにぎりのお陰で頭が冴えわたっていく。
物が猫になるなんておかしい。現実ではあり得ない。異常事態である。
私はテーブルの四つ足にそれぞれ口元や頭を擦りつける黒猫を見てため息を吐いた。
「はあ……かわいい」
異常事態ではあるものの私は社会人。雨が降ろうと
「やばっ!猫ちゃん見てたらもうこんな時間。急がなきゃ……」
習慣というのは恐ろしいもので。何も考えずとも体が動き、身支度が整っていく。
「えーっと……あとはスマホ……スマホっ!」
まだテーブルの足に口元を擦りつけていた黒猫を捕まえるとコートのポケットに入れた。スマホは右のポケットに入れると私の中で決まっている。
「み゛ゃー」
🐈
「
「す……すみません
私は息も絶え絶えに自分の席に座る。根津部長のじっとりとした視線が辛い。
「もしかして~。昨夜は彼氏さんとご一緒だったとか~」
隣に座る後輩、
「違うよ~。ただの寝坊だよ~」
「ふふふ。そうなんですね~」
見えない火花が散る。浦木さんとは別に仲が悪いわけではないが、いいわけでもない。仕事場だけでの関係なのだ。
「そういえば~昨日って猫の日だったじゃないですか~」
「うん」
「私、よく『猫っぽいね』って言われるんですよ~。山根先輩はどう思います?」
そう言ってアイラインが強調された「猫目メイク」が施された小さな顔を傾ける。
「そうだね……浦木さんのは『猫に無理やり近づけてる』って感じかな?」……なんて言えるはずもなく。
「確かに!かわいいからね。猫っぽいかも」
「え~そうですか~?やっぱりそうなのかな~」
浦木さんが嬉しそうに頬を緩ませる。
……これは社会を平和に生き抜いていくための優しい嘘だ。本当は本物の猫の方が数千倍かわいい。人間など比べ物にならないのだ。
「猫っぽさで言えば田村君もかな……」
田村君とは私の斜め向かいの席に座っている同期の男性社員である。猫背だし、ひとりでのらりくらりしている感じが非常に猫っぽい。……まあかわいさはないけど。だから浦木さんはすぐに嫌そうな表情になった。
「えっ?」
「あ。やっぱ猫じゃないかも」
「ですよね~」
危ない危ない。浦木さんの機嫌を損ねるところだった……。仕事に支障がでるほどではなくて一安心。
「おはにゃうございます」
私の目が点になる。手にしていた書類がバサバサと床に滑り落ちていく。
だって……。
目の前に灰色の毛皮をした巨大な猫がいるんだもん。
ぴんっと立ったふたつの耳にしょぼしょぼした頼りなさげな目。
猫はのしのしと二足歩行で歩くと、田村君の席にどしっと座った。
「ね……。田村君ってあんなんだったっけ?」
「そ~ですけど?ていうか山根先輩、大丈夫ですか?資料ぶちまけて……」
浦木さんは文句を言いながら私の落とした資料を拾い集めてくれた。
「ごめん。ありがとう……」
どうやら他の人には猫に見えないらしい。
「自称猫系は猫化しないのか……」
「どうかしたんですか~?」
おっといけない。浦木さんに聞こえたら大変だ。私は温かな微笑みを浮かべてその場をやり過ごした。
🐈
今までに生きてきて、こんなに仕事が楽しいと思ったことは無い。
なぜなら……同じ職場で巨大な猫が働いているのだから!
「申し訳ございみゃせん」
みゃうみゃうと電話の前でぺこぺこする田村君がかわいい。私は必死になって笑いそうになるのを
あんまり変顔をすると根津課長と浦木さんに睨まれてしまう。気を付けないと……。
「山根先輩、ほんと大丈夫ですか~?」
あ。もう浦木さんに白い目で見られちゃった。
「大丈夫、大丈夫!」
大丈夫じゃない人の返事をして余計に怪しがられるも気にしない。仕方ないじゃないか。目の前に猫がいるんだから。
電話の相手が良くなかったのか。ふたつの耳がへし折れ外向きになっていた。
「イカ耳」と呼ばれる、猫が不安や恐怖を感じているサインだ。恐怖や不安を感じていても猫はかわいいのだからすごい。
他にも声を掛けられて驚いたら尻尾が
「はい。経理部の
「ありがとうございます」
午後三時。おやつ時にお菓子が回ってくるのはありがたい。私はお土産を手に取って声を上げてしまった。
「豆大福!」
だってこんなの……こんなのもう猫じゃん。
ブチ柄の猫にしか見えない、と思ったら手元がごそごそと動き始めた。私は慌てて包みを破る。
「みゃーう」
白い毛皮に黒ブチの猫がお尻を上げ、前足を伸ばしながら鳴いた。しっぽが短くてかわいい。
私は誰かに見られる前にコートの左ポケットにブチ猫を仕舞った。
そういえば、スマホ猫はどうしているだろうか。
私は脱いで椅子の背にかけたコートのポケットを覗く。
スマホ猫はポケットの中で丸くなって寝息を立てていた。
「んふふふ。寝てる。かわいい」
私は変な笑い声を立てながらそっとコートを元に戻す。
ちなみにスマホ猫は私が会社にいる間ずーっと丸くなって寝ていた。
🐈
「お疲れさまでしたっ!」
私は終業と共に会社を飛び出した。いつもなら力なく、死んだ目で会社を出るというのに。何名か会社の人に二度見をされた気がする。
「やっぱ彼氏か……」という浦木さんのひとり言が背中越しに聞こえた。そのまま大いに勘違いしてくれ!
私はこれから……猫のエサを買いに行くのだ。うちには既に三匹の猫がいるのだから。
「こういうの久しぶり。パッチのこと思い出すなあ……」
昔のことを思い出して少しだけ鼻の奥がツンっとした。
🐈
「ただいま!!!!」
普段は言わない「ただいま」を大声で言う。
コートのポケットから「豆大福猫」と「スマホ猫」が飛び出した。リビングから「泡猫」がトテトテと歩いてきて姿を現す。
「エサ買って来たよ!」
猫たちは目をまん丸くして私のことを見上げていた。
その後思い存分、猫の柔らかくて温かい体を撫でたり、紐でじゃらして遊んだりした。
夢のような一日が過ぎていく。
布団に入れば、三匹は私の足元、顔の近くに来てくれた。
「どこにも行かないでよ?急にお別れは嫌だからね……」
そんな私の気も知れず三匹はすやすやと寝息を立て始める。
朝が来たら猫はいなくなっている……そんな気がして私は寝たくなかった。たとえ人類に睡眠が必要不可欠だと言われていようとも。
幼い頃に飼っていた三毛猫、パッチ。
パッチは私が寝ていた時に死んでしまった。私の父と母は「年を取っていたから仕方ないよ」と言っていたけど、私は今も後悔してる。子供の頃、「なんで起こしてくれなかったの?」と大泣きしたものだ。
小さな私の側で母猫のようにずっと見守ってくれたパッチ。
時々私の髪を舐めて、毛並みを整えてくれた。ふわふわでかわいい私の家族……。
だから、絶対に寝たくない。寝たくなかったのだけれど……猫の温かさと毛皮の心地良さに負けて私は眠りについた。
🐈
リリリリリ……リリリリリ……。
聞き馴れたアラーム音に私は絶望する。
ああ、やっぱり……。
猫は居なくなったのだ。
私は猫から程遠い、硬く冷たいスマホを手にしてアラームを切った。布団の中をそっと覗くけど小さな猫たちはどこにもいない。
開けたばかりの猫のエサが目に入って深いため息を吐く。
猫のエサどうしよう。
深い喪失感と共に布団から立ち上がる。なんとかこの絶望を洗い流そうと洗面所に向かっていた時、玄関の方からガリガリという音を聞いた。
こんな最悪の気分の時に何?
私は嫌々ながらもそっとドアを開けた。
そのすぐあとでシュッと何かが僅かな隙間から入って来たのだ。
「……え?」
「みゃおーん」
それは本物の三毛猫だった。
この猫迷わず私は抱き上げる。パッチワークのようなカラフルで、ふわふわなその毛の波に顔を埋めた。
なぜか涙がとめどなく流れてきて、猫の毛皮を濡らしてしまう。それでも三毛猫は「構わないよ」というように、タオルハンカチのように大人しく私の涙を受け止めてくれた。
この瞬間、猫はこの地球上で最もかわいくて、最も尊い存在であると、私は強く確信した。
猫かっ! ねむるこ @kei87puow
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