ヴァレンティヌスの夢
朝霧 巡
プローグ
此処に一冊の本がある。
この王国の歴史を著した本であり『王国志』と呼ばれる本だ。これは建国から近代にいたるまで連綿と書き連ねているが、その時代時代の人物を中心にしてその人物の事績を時系列に書いていく『紀伝体』で書かれており、ゆうに300巻は越えている。
読書を趣味とするワタシにはとてもありがたい話で、ぜひ読破したいと思うのだが、一つ問題があって、なかなか先に進めない。
それは文体や、今では使わない言い回しや単語だ。
創世記の巻は、文体が古く、今を生きるワタシには非常に読みにくい内容になっていて、解釈に苦労していたが、最近になってそれを解説してくれる知己を得た。
この地では春の時期に咲く桜のような長い髪と大きなリボンが特徴的な女の子で、一学年下のクラスだ。それも学年主席だというから驚きだ。
ワタシはあまり……いやまるで……下級生には、興味は無かったのだけれど『図書館の魔女』という薄気味悪い生徒の噂は耳にしていた。
何でもずっとこの大図書館に居座り、司書の職員以上にこの場所の蔵書を把握しているらしく、それも『平民』だという。それを耳にした時は驚いたものだし、実際本人を目の前にすれば『魔女』というよりは『妖精』に見えた。
可愛さでは、我が妹サンにも匹敵するとは思う。姉のフーディエは綺麗だと思うが、姉上に『可愛い』なんて上から目線で言ったら、命がいくつあっても足りないので黙っておく。
それはともかく、ワタシは彼女が一緒にいる『とある
ワタシとてシェリル嬢同様、学年主席だ。
まぁ、高く上がった天狗の鼻を圧し折られてショックをうけてしまったのだろう。
それが縁で、フロラ殿とは話す機会が増えた。
おっと話が逸れてしまった!
ともあれ、ワタシはフロラ嬢を通じて、シェリル嬢に『王国志』を1巻から解説してもらった。彼女の声は小さく、途切れ途切れで話す癖があるが、よく澄んだ声で聞き取りやすいし、教え方も上手なのでありがたかった。
古典研究の授業は、オボメカシー教師が担当しているのだが、彼は教師というより研究者だ。簡単な事を難しく話すのが得意なタイプであり、難しいことを簡単に纏めるシェリル嬢の方が余程教師に向いているのではないかと思う位だ。
そもそも、古文書解析は魔術の高みを目指すものとしては、乗り越えなければならないことであり、そのためにワタシはこの学院に通っている。
卒業後は魔術省に入って魔術の大全を作るか、どこかの工房に弟子入りして魔道具の研究開発をしようか、はたまた魔剣士となって、近衛騎士隊に入隊するのもありだ。
えっ? 家督を継がないのかって?
無理を言わないで欲しい。ワタシはハイパーソン家の第六子だ。それに長男クランプは、ハイパーソン家の執政だ。父フェイが高齢となり政務に支障をきたすようになってからは、補佐役という肩書の『執政』を名乗り代行している。
しっかり者の兄上のことだ。
このまま家督を相続していくのは既定路線であり、六番目の子であるワタシは、将来的にはこの家を出て独立していくことになるのだろう。
だからこそ、しっかりとした道を歩み、分家とはいえ『ハイパーソン』の名に恥じぬ生き方をしたいと思うのだ。
そして今は8巻目を読んでいる。
シェリル嬢からは「判らない所があれば……聞いてください……遠慮無用……」とは言われているが、そろそろ自力で解読したいのでギリギリまで頑張っている。
そしてワタシの隣には『彼女』が座っている。いつもの
が、この8巻目を読み進めていくと興味深い人物の話が載っているのだ。
「聖ヴァレンティヌス……『ソノ者ノイルフェール福神ユノ信仰セシメ
聖人ヴァレンティヌスは今から1500年ほど前のノイルフェール教の司祭でありイオタ島の教会で司祭として、島民に教えを説いていたという。
やがて王国暦269年に侵略してきた南方公国連邦とバイヤール王国の軍勢に支配され、傀儡政権から、兵士となる者の恋愛や結婚を禁止する布令が出されると、彼は、その布令に反して多くの若者の婚姻の儀式を司り、火刑に処せられたと記されている。
そんな間抜けな布令をよくも下したものだ。
国の活力や戦力を維持するために必要なのは、国を豊かにすることだ。経済力を高め、優秀な武器兵器を整え、それを有効活用する戦略と兵站こそ大事なものだ。
そのためには人手が必要なのだ。人口の減少は国力の低下を意味する。ある物を総動員するのは、今は良くても、その後の国の経済は間違いなく破綻する。
もしくはイオタ島の住人をまるごと消すつもりだったのか……?
ワタシの考えをシェリル嬢に聞いてみたが、彼女にも明確な答えは出せなかった。
「わたしではなく……スライに訊いてみては……どうでしょう?」
シェリル嬢の想い人『シルヴェスター・シェフィールド』……他人はどう思うかは知らないが、ワタシには後輩でありながら、どこか全てを超越するような圧倒的な力を感じてしまう存在だ。
それに彼には聞いてみたいこともある。
それがワタシ『クロウリー・ダエグ・ハイパーソン』……魔術をこよなく愛し、行使する者……が味わった冒険の記録の始まりだ。
信じる信じないは、好きにして貰って良い。
それでもワタシは、ワタシに起こった出来事を余すことなく書き記していこうと思うのだ。
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