【新月】朔──Re Start──3
※視点がコロコロ切り替わります(客→地の文→客)。
「…は?」
俺は思わず手に持ったカードをガン見した。ゲームに出て来る雑魚キャラの様な
幾ら何でも不吉過ぎるわ!
「おや、"死神"とはラッキーじゃない!」
「何処が!どう見ても終了のお知らせですよ本当にありがとうございました!」
カウンターから覗き込んだ自称・魔女のお姐さんに半ば八つ当たりの様に言い返した。やさぐれた物言いに苦笑しつつ、お姐さんは宥める様に俺の肩をポンポンと叩く。
「あのねぇ。…ヒトもカードも見た目だけで判断するものじゃないよ」
このカード自体が直接"死"を予告する事は
「このカード一枚での意味は"終焉"、簡単に言えば"リセット"よ」
──物語も
「ほら、よく言うでしょう?"引導を渡す"って」
ちょっと待て。俺はアンデッドかよ?
「或る意味其れに近いよ。いい事?お客さんがしがみついている思い出にもね、賞味期限ってものがあるの」
──昇華しないままだと心を蝕む"
不本意な大学生活の中で、仄暗い思考のループから抜け出せず高校時代の残滓を引き摺っていた。大切だったはずの思い出が呪縛に変質した事に気付かないふりをしながら暮らしていた。
「思い出はね、良いものも悪いものも心の宝石箱にそっとしまっておくものよ」
そしたら何時か、キラキラした結晶みたいになるかも知れない。そう言いながら夜が明けゆく窓の外にお姐さんは目をやった。
その横顔に何処か寂しさを湛えて、まるで何かを噛み締めるかの様な姿が強く印象に残った。
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「──さて。もうちょっと愚痴を聞いてあげたいけど、そろそろ看板の時間なの。ごめんなさいね」
湿っぽい空気を振り払う様に手を叩いた店主の声で若者は慌てて窓の外を見た。瞑色の空からは星明かりが消え東の地平は白みつつある。知らない内に一晩、この店に居座ってしまっていたらしい。
長居した事を詫びつつ席を立った若者を呼び止め、店主は預かっていたスマホを手渡した。何時の間に修理したのやら、戻って来たスマホはきちんと充電されて動作も心なしか軽かった。
訝しげな顔をした若者に店主は笑って「ちゃんと直すって言ったでしょう?」と言いながら小さな紙袋を差し出した。
「どうやら、お客さんとは縁があるみたいだからね。ちょっとしたお土産とお得意様用カードだよ」
困った時はまたおいで──そう言って見送る店主を背にドアノブを掴んだ筈、だった。
ふと気が付けば、若者は少し散らかった自室のベッドに腰掛けていた。手には充電されたスマホと先程の『お土産』が入った紙袋。バイトで疲れ果てて見た悪夢と割り切るには些か無理があった。
あの店は一体何だったのか。店主は何者なのか。不可思議な一夜に自分の中で合理的な答えを出そうと屁理屈を捏ね回してはみたものの、どうやっても納得の行く答えを見付ける事は出来なかった。
見ればスマホには友人から不在着信が何件か入っていた。それを見ると若者は気持ちを切り替えるかの様に紙袋を適当に放り出すと、シャワーを浴びて着替えを始めた。小さなリビングに射し込む陽射しの強さが、梅雨明けがそう遠くない事を告げていた。
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アパートに帰ると、ベッドに放り出したままのあの店の紙袋がふと目に入った。
(『魔女のお土産』か…)
コンビニ飯をレンジで温めながら、俺は不可解な喫茶店で貰った紙袋を開けた。入っていたのは月の模様が描かれたカードとハーブの入った硝子の小瓶。ご丁寧にハーブティの美味しい淹れ方のメモも同封されている。
『今宵は新月、新しい一歩を踏み出すには一番良い夜よ。このお茶は新月に合わせた特製ブレンドだからね。星明かりだけの空の下でどうぞ』
弁当を頬張りながら俺はメモに目を通した。揶揄いを多分に含んだ
「星明かりだけの空の下で…か」
瓶の中身を温めたコーヒーサーバーに入れ沸かした湯を注ぐと、器の中でハーブが躍る様に開いていく。茶の色が青みを帯びた翠から淡い金色へと変わり、爽やかな香りが複雑に絡み合って部屋に漂う。
「えーっと。レモングラスにペパーミント、ローズマリー、ラベンダーにコモンマロウ…何だこれ?」
匂いの強いハーブを適当に混ぜただけじゃね?ラベンダーとかトイレの芳香剤みたいだし。
お姐さんには絶対言えない様な事を考えながら、俺は淹れたてのハーブティを啜った。マグから立ち上る湯気をぼんやり眺めていると懐かしい日々が陽炎の様に浮かび上がる。
木漏れ日の通学路、相合い傘の帰り道、青空に響くブラスバンド、徹夜した模擬店作り、机の中の"義理"チョコ…。擦り切れるくらい何度も思い返して来た情景が揺らぎ、一つ一つ光の粒子になって夜空に登って行く。
──ああ、これが"
湯気と共に消えて行く幻を目で追いながら、俺はお姐さんの言葉の意味が唐突に腑に落ちた。
懐かしむのと縋り付くのでは違う。かけがえのない記憶に囚われたまま歩みを止めるのでなく、前に進む力に変える。
此処からが「大学生」としての俺の
あの頃描いた夢とは違っても
『そしたら何時か、キラキラした結晶みたいになるかも知れない』
お姐さんがブレンドした魔法仕掛けのハーブティは、重荷になりつつあった高校時代の思い出を文字通り『人生の宝物』に変えてしまった。マグの中に残っていた最後の一滴を飲み干した頃には、ずっと胸中に巣食っていた仄暗い蟠りも消えていった。
こんな風に綺麗な形での"門出"なら『死神』のカードも悪くない。夜中には絶対に会いたくないけどな。そんな事を呟きながら、俺は夜が更けるまで星明かりだけの空を眺め続けた。
【新月】朔──Re Start──了
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