【新月】朔──Re Start──1
※視点がコロコロ切り替わります(客→地の文→客)。
こんなはずじゃ無かった。
深夜の路地をとぼとぼと歩きながら、俺は溜息をついた。
第二志望の大学にギリギリ合格してして浪人落ちは免れたものの、専攻したかった分野は学べないし偏差値もずっと下だから就活でも不利だ。何よりプライドも傷付いた。同じ高校から受けた中で、
それでも親のスネかじりから脱却し、晴れて一人暮らしデビューを果たして不慣れなキャンパス生活を送っていたある日、
──知らない奴と一緒だった。
多分、サークルか合コンででも知り合ったんだろう。垢抜けた服に初々しいメイク、「#これから初デート」のハッシュタグを付けた幸福そうな写真に、何故かボディーブローを喰らった様な気分になった。
一方の俺は、学内の新歓イベや合コンに片っ端から参加しても結果は轟沈。勝ち組になった、かつての高校仲間の
俺は何の為に大学に入ったんだろう。何を目指していたんだろう。
受験生活を支えた筈の将来の夢はとうに萎み、惰性だけで講義に出て生活の為にバイトに明け暮れた。この春まで過ごしていた高校生活が酷く遠いものになった気がした。
喧しい蝉の声、放課後のクソ暑い教室、鬱陶しいくらい茂った並木道、ボールを打つ甲高い音、金管楽器の合奏、一緒に笑い合う悪友、はにかむ様に少し俯いた──。
バカバカしい。感傷を振り捨てる様に、俺は少し足早に夜道を歩き出そうとした。
──ドゴッ!
突然、目の前に現れた非常識な扉に顔面を打ち付けるまでは。
•*¨*•.¸¸☆*・゜•*¨*•.¸¸☆*・゜•*¨*•.¸¸☆*・゜
何かが扉にぶつかる音で、カウンターに居た女店主が振り返った。どうやらお客様が来たようだ。
「物好きも居たものね。ま、こんな処で店を開く私が言えた義理じゃないか」
自嘲気味な独り言を言いながらケトルを少し変わった形のIHヒーターに載せると、店主は三角に折ったバンダナで蒼い髪の大半を隠す様に覆った。そして、顔面を押さえながら乱暴に扉を開けた客を出迎える。
「いらっしゃい。随分と派手なご来店ね?」
まだ顔面を押さえたまま悪態をつきつつ店内をキョロキョロ眺め回している若者に、店主がサクリと嫌味を飛ばす。そして適当な席に水の入ったグラスとお絞りを置いた。
「まあ、取り敢えずは此方のお席へどうぞ?」
あまり口と接客態度のよろしくない店主に促され、若者は勧められた席に座った。持ち歩いていた肩掛け鞄は隣の椅子にそっと降ろす。冷えたお絞りで顔を拭うと、メントール系だろう涼し気な香りがふんわりと漂って来る。
「メニューはコレ」
店主から差し出されたメニューには店名とドリンク、軽食の一覧が可愛らしい挿絵付きで載せられていた。が、
「コーヒーは無いのか?」
メニューを見て青年が首を捻る。喫茶店には付き物のコーヒーが書かれていない。
「悪いけど、
タンポポの根っこで作った奴で良ければ出せるけど。女店主は悪びれもせずしれっとした態度で言った。若者が不満げに紅茶や中国茶、緑茶は有るじゃないかと問えば「お茶はハーブの一種」と言う返事が返って来た。解せぬ。
•*¨*•.¸¸☆*・゜•*¨*•.¸¸☆*・゜•*¨*•.¸¸☆*・゜
どうも、ヤバい店に迷い込んでしまったらしい。カウンター席に腰掛けながら、俺は内心マズい事になったと思った。
さり気なく店内を観察すると、板壁にはドライハーブが何種類も吊り下げられ角灯タイプのウォールライトが暖かな色の光を投げかけている。
カントリー調のインテリアは邪魔にならない程度に品良く配置され、広い出窓には深夜の街の景色が映っている。空調も効いていて、梅雨時特有のまとわりつく様な蒸し暑さが嘘のように快適だった。
「ご注文はお決まりで?」
三十路半ばくらいだろう、髪を蒼く染めた店主のオバさんに声をかけられ俺は慌ててメニューとにらめっこする。取り敢えず、何か適当な飲み物を一つ頼んで早めに退散しよう。そう思ったんだが。
このメニュー、値段が書かれていない。全部『店主の気紛れ(時価)』だけ。──
「ちょっと待ちな!誰もぼったくってなんかいないよ」
俺の考えている事などお見通しだったんだろうか。呆れた様に腕組みしながら店主のオバさんが言った。
「あと、私はまだまだ『オバさん』じゃあ無い。アンタとそんなに違わない」
こっちもバレていたらしい。オバさ…お姐さんがじろりと俺を睨んだ。
じゃあ、なんでメニューに値段が書いていないんだよ?まともな店なら消費税込みの、それも店内飲食とテイクアウトの値段がそれぞれ書かれているのが当たり前だ。俺が店主のオバ…お姐さんにそう問うと、肩を竦めてとんでもない発言を返して来た。
「この店の支払いはお金じゃない。此処に辿り着いたお客さんの悩み事が対価だよ」
飲み物一杯はお客さんの抱えている悩み事一つ、軽食なら一皿に付き悩み事二つって処だね。そう言ってお姐さんはカラカラと笑う。
そんな馬鹿な。それじゃ普通、採算取れないだろ?第一、税務署が黙っていないじゃないか。そう言いかけた時、お姐さんは更に爆弾を投下してきた。
「なんせ此処は普通のお店じゃないからね」
魔女が開いた「狭間の喫茶店『暁月』」へようこそ!お姐さんはそう言うとニヤリ…と笑った。
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