第40話 夜襲
フーッ、フーッ、と大勢の男達の押し殺した呼吸の音が闇に吸い込まれていく。10人に1人、辛うじて足元を照らすほどのかすかな灯りを持っている。それに続く男達は前を行く男に遅れないように、また躓かないように懸命に足元と前を見てついて行っている。
革鎧に身を固めた1個大隊の共和国兵だった。
イーシャのハチェット砦食糧倉庫襲撃は砦にこもる共和国軍に大きな痛手を負わせていた。砦に備蓄してあった食料の9割が失われたのだ。倉庫以外の所に置いてあった食料、個人や小隊、中隊単位で持っている食料、それに砦に逃げ込んできたフェリノザの住民が持ち込んだ食料を徴発してもあと40日は持たないと判定された。
補給を,と思ってもフェリノザにジェムシェンガ王国軍が居座っているために大規模な補給はできなかった。本国から援軍を送ってフェリノザの王国軍を排除しようとしても、ラベルニク神聖連合との間がきな臭くなっていて十分な戦力を整えることが難しかった。
もうすぐ冬だった。30日もすれば共和国の国境は雪に閉ざされる。そうすれば補給はさらに難しくなり、砦の共和国軍も動けなくなる。このままでは砦にこもっている2個兵団の共和国軍、3000人のフェリノザ市民が飢えに苦しむことになる。雪解けまで100日、おそらく砦の中は飢餓地獄になる。それを避けるにはジェムシェンガ王国に降伏するよりない。それは共和国軍司令部も砦の指揮官も望むところではなかった。
共和国軍司令部が下した判断は、ハチェット砦の戦力と、フェリノザの南に展開している戦力を合わせてフェリノザを取り戻すことだった。フェリノザが共和国に戻れば補給もたやすくなる。問題は砦の兵力を落としては、対峙しているジェムシェンガ王国軍に付け込まれる恐れがあることだった。
フェリノザ周辺は元々共和国の地だった。地誌に詳しい人間も多い。それを生かして奇襲できればフェリノザを少人数で取り戻すことは十分に可能と判定された。
「夜襲だ!!」
提案した参謀はそう叫んだという。
作戦としては、真夜中に砦から出撃する兵は二手に分かれ、間道を通ってフェリノザを東西から攻撃し、タイミングを合わせて南からも攻撃すると言うものだった。単純な作戦であるだけ、奇襲できるかどうかがその成否を左右するものだった。
ハチェット砦は最大の仮想敵国ジェムシェンガ王国との国境を固めるために設置されている。そのため駐留する国軍も精鋭が選ばれていた。彼らは魔素を視力に回して強化し、闇の中で懸命に動いていた。機動力を重視して鎧は軽い革鎧にしてある。動くときに立てる音も小さい。戦闘になったときには少し頼りないかもしれないが奇襲できることを優先したのだ。
奇襲するためには足元の悪い間道をいかに時間通りに踏破できるかにかかっていた。真夜中で、条件の悪い荒れた道ゆえに大人数では無理で、2つの攻撃部隊に1個大隊ずつが配分された。それでもついてこれない者は置いていくとあらかじめ言ってある。
何とか予定された時間内に指定された場所に行き着いて、指揮官はほっと息をついた。木の間越しにフェリノザの防壁が見える位置だった。防壁まで100尋弱だろう。フェリノザの防壁は東西に2カ所、戦闘時の物資と人員を集積するために広く作ってある箇所がある。その前だった。防壁の上に篝火がいくつか見える。
「どうだった?」
偵察に出した将校が帰ってきて指揮官の前に現れた。
「あちらも無事に着いています」
「そうか」
一番難しいと思っていた部分が何とか上手くいったようだ。予定の時間まであとすこし……。
南門のところで喚声が上がるのが聞こえた。南に布陣していた共和国軍は全力で南門を攻撃することになっていた。市の中が目立って騒がしくなる。ガチャガチャと鎧がこすれる音がここまで聞こえる気がした。敵の襲撃を報せる大声が聞こえた。南門への攻撃が始まってから八半時、ジェムシェンガ王国軍は南に関心が偏っているだろうと期待された。
「行くぞ!」
指揮官のかけ声で部隊は防壁めがけて走り始めた。壁の下にたどり着くとはしごをかける。壁の高さは分かっている。はしごの先端が壁の上にはみ出さないようにしなければならない。先端がはみ出していたらそこを押してはしごを倒されるからだ。10個もってきたはしごを登って次々に共和国兵が壁上にたどり着いた。
「展開しろ」
後から後から兵が登ってくる。指揮官の命令で、先に壁上に着いた兵達が中隊ごとに固まって展開していく。全員が登り終わって階段に向かって動こうとしたときだ。
突然共和国兵に矢の雨が降りそそいだ。悲鳴があちこちで上がる。
「これは!?」
指揮官は驚愕しながら周囲を見回した。遠い篝火でも前後に黒々と多数の人影が確認できる。隠れていたのか?槍の穂先が篝火を受けて光る。その後ろから矢が飛んでくる。
「待ち伏せされた?」
身軽さを重視して盾は持ってきてない。この暗さの中で劍で矢を払うなど、いくら強化された肉体を持つと言っても数回もできれば上出来だった。指揮官の周囲から絶え間ない悲鳴が上がり、気がつけば立っているのは指揮官だけだった。
「降伏を勧める」
王国軍から声がかかった。
「もはや勝敗は決した。ここまで来ただけでもだいしたものだ」
ガチャリと劍が落ちた。指揮官はあぐらをかいて座り込んだ。
「降伏する、部下の命は助けてくれるんだろうな」
まだ半分以上は息があるだろう。
「ハチェット砦一の猛者と言われるバージェスタ大尉に手当てをすることを約束しますよ」
「――私の名前まで知っているのか。我々が夜襲をかけることも知っていた……?」
「そうですね、我々の目と耳は性能が良いのですよ。準備万端を整えて待ったいました。あっちの方もそろそろ決着が付いている頃ですね」
共和国の指揮官が、顎でもう一方の夜襲隊が戦闘を行っている方を指しながら言った。
「まあ、夜襲の本隊がぽしゃってしまったら南門で騒いでいる寄せ集めさんたちも引き上げるでしょうし」
3000人も民間人を入れているのだ。目と耳にしたら簡単な仕事だろう。バージェスタ大尉はがっくりとうなだれた。ハチェット砦の運命が決まったのを悟ったのだ。
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