苦労人と自由な相棒

辰栗 光

第1話 人間界はじめての夜

 ◆2月25日(満月) 午前0時35分



 部屋に足を踏み入れた瞬間、緊張の糸が切れた。


「疲れたー!」


 ソラは、床に座りこんだ。服ごしに、床の冷気が伝わる。早春の夜が冷えるのは、どこの世界も同じようだ。


(任務自体は、たいしたことなかったけど)


 人間の街は歩きにくい。夜だというのに明るすぎるし、人が多すぎる。それに、人間の服装にもまだ慣れていなかった。


 ソラは人間ではない。異界から、とある任務を帯びてやって来た、人間とは似て非なる存在だ。その任務内容は……説明するのが難しい。人間の言葉では「妖怪退治」というそうだ。


 なお、力を制御しているため、見た目はこの国の人間とかわらない。年齢的には「高校生」という属性になる。


 ため息をついたソラの背後で、相棒のユイがつぶやく。


「部屋がせまい」

「贅沢言うな」

「俺の部屋の半分だ」

「それ、自慢か?」


 人間界であたえられた住処すみかは、居間と寝室が一部屋ずつだ。隊の宿舎でほかの隊員と相部屋だったソラには広いくらいだが、隊長のユイは違うらしい。


 ソラは、眉根まゆねを寄せてユイを振り返った。

 ソラもユイも男で、年も背も同じくらいだが、ソラの髪が短いのに対して、ユイは襟足えりあしがやや長い。さらに、ソラの顔立ちが十人並みなのに対して、ユイの顔はむだに整っている。


「文句があるなら、外で寝ればいいだろ」

「文句ではない。事実だ」

「うわ。いらっとするんですけど」


 真顔で言うあたり、憎たらしさ三割増だ。しかし、こんなことでいちいち腹を立てていては、とてもユイとはやっていけない。ソラは、ユイと組んだ初日にそれを悟った。


(落ち着け、俺)


 一息ついて、ベッドに座ったユイの前に立つ。


「それで、これからのことなんだけど、まずは情報収集しなきゃだよな。長期の任務になるだろうから、もっとこの世界について知っておきたいし」

「ソラ」

「何だ? ユイはどう思う」


 ユイは、うつろな目をして言った。


「眠い」


 ああ、寝てしまえ。そして、二度と目覚めるな。


 一生懸命これからのことを考えているのに、隊長がこれだ。本当、どうにかしてほしい。今度こそ本気で異動願いを出そうか、とソラは思案した。


「まあ、いいや。これからのことは明日考えよう」


 今夜はもう寝ることにする。


 広さのせいか、予算のせいか、部屋にはベッドが一つしかない。一人は床に布団を敷いて寝ることになる。もとの世界では布団しかなかったので、ソラとしてはベッドで寝てみたいところだが。


(やっぱり、隊長より高いところで寝るのはだめかな)


 変なところでソラは律儀だ。


「ユイは布団とベッド、どっちがいい?」


 ソラの質問に、ユイはこくんとうなれた。


(いや、ここはうなずくとこじゃないんだけど)


 ソラが、あきれ顔で様子をうかがっていると、ユイのからだが次第にかたむいていく。上半身がベッドにつき、頭を枕にのせて、最後は毛布にもぐりこんだ。


「俺の意見は無視かよ」


 悪態をつきながらも、ソラはユイの肩まで毛布をかけてやった。


(俺ってお人よしすぎ)




 ◆2月25日 午前3時10分



 ソラは、ユイに向かって突風をたたきつけた。

 ユイの動きが一瞬止まる。


(今だ!)


 ソラは風の中を駆け抜け、刀を真横に振った。

 白刃が風を切り裂く。ユイは右腕に障壁しょうへきを展開して刀を防いだが、ソラは力づくで、障壁ごとユイのからだを吹っ飛ばした。


 ユイが地面に転がる。そのまましばらく動かない。


「勝っ……た。勝ったぞ!」


 ユイに勝った。


 常識がないくせに、その強さも桁外れで、むだに勘が鋭く、むだに顔が整っているユイを、ついにたたき伏せたのだ。ユイの部下になって早数年。この日をどれほど夢見たことか。


 ユイは起き上がり、両ひざを地面につけて、頭を下げた。あの泣く子もだまる隊長が、一隊員のソラに頭を下げている。


(なんて気分がいいんだ)


 ソラは、腕組みをしてユイを見下ろした。


「今まで、さんざん俺のこと振り回しやがって」


 悪態をつくと、ユイはさらにうつむく。

 完全にソラの勝ちだ、ということは。


「これからは、俺が隊長だ!」


 なんて清々すがすがしいのだろう。ソラは、天をあおいで高らかに笑った。


(でも、どうせこれは夢なんだ)


 ユイを倒す。そんなこと、できるわけない。


(どうせ俺は、この先ずっと、死ぬまでユイの面倒を見させられるんだ。そうに決まってる。そう思っておけ)


 夢なんて、見るだけむなしいだけだ。

 再三自分にいいきかせたのち、ソラは目が覚めた。


(せめて、いい気分のまま目覚めたかった)


 夢でも現実を直視してしまったことに、自嘲がもれた。そのとき、鳩尾みぞおちに衝撃が走った。口から内臓が出るのではないかと思ったが、さいわい口から出たのはうめき声だけだった。


 ソラの息の根を止めようとしたのは、ユイだ。ベッドから落ちて転がり、ひじがソラの腹に直撃した。まさか、ソラの夢に対する報復だろうか。

 当のユイは、何事もなかったかのように、ソラの隣で寝息を立てている。


(大層なご身分で)


 実際に大層なご身分なところが腹立たしいが。


 ソラは、ユイの下からはい出た。


よだれは垂らさないでくれよ)


 ユイを引きずって、ベッドにもどす。

 不意に、ソラは前のめりになった。


「へっ?」


 さっきまで自分がかぶっていた毛布に、足を取られたのだ。

 ソラは、ユイを道連れにして、ベッドに倒れこんだ。

 ユイはソラに押しつぶされながらも、スウスウと寝息を立てている。


(俺は、ユイのひじ打ちをくらってうめいたのに)


 なんだか悔しい。


 突然、ユイが目を開けた。


「ソラ……」


 幻覚か、ユイがにやりと笑ったような気がした。だが、たしかめる間もなく、ユイはふたたび眠りにつく。

 部屋の中、聞こえるのはユイの安らかな息づかいのみ。


 ソラは、目の前の寝顔を無性に殴りたくなった。その衝動をぐっと抑えて、かわりに胸の中で思いきり叫んだ。


 人間界に来てはじめての夜、ソラは数多あまたのもやもやを抱えながら朝を迎えた。

 窓辺に立って朝日を浴びたら、まぶしさのせいか涙が出そうになった。


(これから先が思いやられる)


 なお、次の夜からユイには布団で寝てもらうことになった。あとから聞いた話によると、ユイは寝相がものすごく悪いらしい。


(そういうのは、早く言ってくれ)


 たのむから。

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