十一章 未堂棟青人の罠

 自身番に来て、そうそうだった。

「お願いしたいのは、ほかでもありません。死体の再確認です。大村昌村さんの心臓部の傷口と風呂敷にはいっていた小刀の刃先、ふたつの断面部分をくらべて欲しいのです」

 未堂棟は、はきはきと云った。

「それと菊太郎さんの死体です。首まわりに、なにか付着していないか、調べてください。風呂敷にはいっていた組紐と一致するのかどうかを調べて欲しいのです」

 未堂棟のたのみにすぐ動いたのは、自身番にいた同心と検屍医だった。


 無冤録述には、夏場に十日以上すぎると、死体の色はかわりはじめ、徐々に全身が腫れていくと書いてあった。まだ、死後、数日だ。

 おおきな死後の変化はあらわれていないはずだった。

「結論から云いましょう」

 ふたつの死体の確認は四半刻もかからなかった。

「まず菊太郎の首元ですが、索状の跡が風呂敷にあった組紐よりも、太いことがわかりました。おおよそ、ふたつ分ですね」

「先生は組紐をかさねて、殺したとお思いですか?」

「……どうでしょうか。彼の裂けた傷口のなかに、わらがはいっていました。組紐とはことなる材料です。この事実がなにを意味しているのか、わたしどもには判断できません」

 未堂棟は、検屍医の情報を嚥下するように首を上下させた。

「わかりました。もうひとつの昌村さんの死体はどうでした?」


「こちらにも、おかしな点がありました」

 町医者は作業衣を脱ぎながら答えた。

「はっきり云って、被害者が風呂敷にはいっていた凶器……」机のうえの証拠を見た。

「きのう、回収された小刀によって、殺された可能性は低いでしょう。わたしの目が正しければ、ですが……」

「構いません。くわしく教えてくれますか?」

「まず、われわれは死体の傷口を避けるように、皮膚をひらきました」

 検屍医は両手の指の表面を合わせ、ゆっくりと離した。

 手の形で、ていねいに説明をした。

「心臓部には丸い円のような傷がありました。ただし、心臓部の裏側にまでは達していませんでした」

 親指と人差し指のさきを合わせた。

「もしも小刀が凶器だったら、心臓部の傷口は半円になります。脇差しの先端と同じように三日月から半円になるのです」

「よく見る刀傷ですね」

「ええ。しかし、ひらいてみたら、彼の傷口は丸い円だったのです」

「それはおかしい」

 未堂棟が答えた。

「はい。ですので、凶器と思われる小刀と被害者の傷口の断面は一致しない。そういう結論にいたりました」

 検屍医のとなりにいる助手の同心もうなずいていた。

「被害者を殺した凶器が小刀ではなかった場合、先生はどういう凶器だと思います?」

「そうですね」

 じっと考えこんだ。

 思いあたり、顔をあげた。


「家大工や指物師の喧嘩で、よく起きる殺傷痕に似ていますね。傷口の形が揉みギリで刺し殺したときとそっくりです。胸にあてて、ぐっと手首をひねると、するっと骨のあいだをとおるのです」

 キリはちいさな穴をあける道具だ。先端はとがっている。持ち手の部分は広くなっており、半径のおおきい軸面をまわすことで、てこのように強い力を加えることができた。堅い木材に穴をあけるための形状だった。

 ……凶器が小刀ではなかったら、なんなのか。

 別府は、いままでの話をきいても、まるで見当がつかなかった。

 自身番のすみにいた九兵衛に耳打ちをした。

「下屋敷の残骸を片づけるとき、小刀のかわりになりそうなものを見なかったか? べつの凶器だ」

 彼は首を横にふるのだった。九兵衛も理解の外にいた。小声で答えた。

「家屋の残骸はありましたが、キリのような大工道具は見つかりませんでした。周囲は泥水ばかりでしたからね。もしも凶器があったとしても、見つけるのはむずかしいでしょう」

「ふたりともおかしいことを云うね」

 未堂棟はふり向いた。あたりまえのように答えた。

「下手人が蛇崩池を氾濫させ、敷地内を泥水でみたしたんだ。だからこそ、なにが凶器か、すぐに思いつけるんじゃないか?」

 別府と九兵衛は同時に、首をかたむけた。

 未堂棟は軽い足取りで自身番から出た。細い身を翻した。

「九兵衛、作間藤三郎さんの調査していた変死体の件は調べ終わっている?」

 名指しされ、あわてて答えた。

「は、はい。変死体の出る場所で目撃されていた者のことですね」

  覚え書きを出した。

「複数の人物から同じ証言がとれました。東区画から弧を描くように覆面の男が目撃されていたようです。春終わりの事件だったので、ききこみには苦労しましたが、けさになってようやく、その覆面の男と接触した人物が見つかったのです」

「だれと会っていたの?」

「隠居した青物問屋の主人です。長屋住みでしたが、問屋のころのたくわえもあり、悠々自適な生活をしていたと評判の男でした」

「懐の温かい者が狙われていたという噂はほんとうのようだね。どうして、彼は変死体にならなかったのか。あたらしい手掛かりがえられるかもしれない」

「いまから話をききに行くところですが、いっしょに来ますか?」

 未堂棟は返事をせずに歩き出した。

 九兵衛と別府は、急いで、その薄い背中を追うのだった。

 九兵衛は懐から紙切れを一枚、とり出した。未堂棟にわたした。絵図である。現代で云うところの地図だ。未堂棟は四つ折りの絵図をひらいた。

 自身番の反対側に墨で目印が記入されている。未堂棟は顔のまえで絵図をもった。右手で道順を確認していた。


 自身番の正面の道をまっすぐ進むと、蛇崩町の大門に出る。そのまま、東地区の方角に行くと、表店のあいだに裏路地がつづいていた。ただし、路地と呼ぶには、あまりにも狭かった。

 未堂棟は身体の向きを横にした。どぶ板のうえを歩いていった。犬猫のとおり道のような十字路を三つこえた。火除けの空き地のようにひらけた場所に出た。

 忍びがえしのついた竹の木戸をくぐる。左側に稲荷が置いてあった。総後架と呼ばれる共通の便所も見えた。問屋の元主人が住んでいる長屋はこのさきのようだった。

 用水路の両脇には、蕎麦屋の行列のように、棟割長屋がつらなっていた。

 未堂棟は物干し竿にぶつからないように中腰になった。遠目に割長屋が数軒、見えている。もっともおおきい割長屋のまえに男が立っていた。

 絵図と見くらべた。目印の場所だった。

「青物問屋の元主人ですか?」

「はい。このへんでは共平と呼ばれています」

「共平さん、貴方が覆面の男に声をかけられていたという話をききました。まちがいないですか?」

「はい。ですが、ここではちょっと……」

  一目を気にしていた。

「道沿いで、同心様たちと話していると、みなに噂されてします。どうぞ、なかに……」

 三人は案内されるままに割長屋にはいった。

 割長屋のなかは土間と六畳間が隣接していた。あがりまちに履き物を置いた。室内の壁面には梯子がかけられている。荷物を置ける二階もあるようだった。割長屋は商売をやっている者が倉庫として借りることもあった。家業を譲った人間が倉庫を整理し、あたらしく住みはじめることも珍しくなかった。

 三人は畳みのうえにすわった。彼は両手を差し出した。

「こちらでございます」

 両手のしたには薬包紙があった。

「なんですか、これは?」

 九兵衛が目を丸くした。きいた。

「覆面の男が買うように勧めてきたものです。唐薬と云われました」

 唐薬とは大陸渡来の薬のことである。

「なにも書かれていませんね」

 当時は薬包紙の正面に屋号や名前を書き、効能や用法がわかるようにしていた。大陸の薬でも、たくさんの人に売るために説明書きをつけるものだ。

 しかし、目のまえの薬包紙は無記入だった。

「値段はいくらでしたか?」

「一両でございます。心身を楽にすると云われました」

 江戸時代後期や幕末の換算だと、一両は数万円ほどである。

 長屋暮らしの者には手出しのむずかしい金額だった。

「使わなかったのですか?」

「ええ、すっかり忘れていたのです。何回か覆面の男たちが来て、薬が足りなくなったか、ききに来ました。ただ、水無月のころには見なくなりましたね」

「ちょっと待ってください」

 未堂棟は口をはさんだ。

「男たちと云いましたか。ひとりではなかったのですか?」

「ええ。ふたりいました」

 あたらしい情報だった。いままでの話だと覆面の男はひとりだった。殺された藤三郎もつかめなかった新事実である。共平はぽつりと云った。

「ただ、この薬包紙をもってきたのはひとりでしたね」

「ふたりの男はいっしょには、いなかったわけですね」

「ええ。わたしは隠居したとはいえ、問屋です。商売柄、本道に出て、お客の背中が見えなくなるまで見送るのが癖になっていました。ゆえに、彼が出たあと、うしろからついていったのです」

 未堂棟は黙ってきいていた。

「すると、裏長屋の木戸に、同じような格好の者がいたのです。人目を気にしているようでした。薬を売っていた男に、待っていた男が頭をさげていました」

「……待っていたほうが長屋を案内していたのかもしれませんね。土地勘のある人間だった。……薬包紙をひらいていいでしょうか?」

「はい。構いません」

 未堂棟は慎重に中身を確認した。粉末がはいっていた。未堂棟は粉末に鼻孔をちかづけた。くんくんと嗅いだ。首をかしげる。こんどは手のひらにのせた。

 しばらく経ってから、薬包紙にもどした。

「だいじょうぶか?」別府はきいた。

「毒性はない。かぶれも出ない。ほとんどにおいもしない。流通しているものじゃないね」

「正体はなんなのだ」

「これだけではわからない。ただ、見当はついているよ」

「なんだと?」

 未堂棟は淡々と語り出した。

「日の本では長らく鎖国をしている。でも、でも国外の出来事をまったく知らないわけではない。おおきな出来事なら伝わっている」


 鎖国と云っても、すべての港をとじていたわけではない。貿易船にのり、往来する者もいた。他国の時事を解説する瓦版も出ていた。南蛮人の来る藩もあった。人の口に戸は立てられない。

「男たちはこの粉末を秘密裏に売ろうとしていた。覆面をしていたのは正体を知られたくなかったからだ。つまり、この取り引きが罪に問われるかもしれないと知っていたことになる」

 粉末は気付け薬として売られていた。

 だが、気付け薬の値段としては高い。


「危険を承知で売っていたのは、莫大な収入を生むと確信していたからだ。彼らは、どうして売れると確信したと思う?」

「過去に同じものを売って、儲けた事例があるからではないか?」

 未堂棟はうなずいた。

「そこまで考えると、正体はなんなのか。町民に売りながら、なにをたしかめようとしていたのか。だれが粉末を手にいれられたのか、おのずとわかってくる」


 別府は未堂棟の示唆をきいても、薬包紙の粉末と国外の出来事の繋がりがわからなかった。

 未堂棟はすぐにわかるよと微笑んだ。


「この粉末の発見で、すべての証拠はそろったのだからね」

 目線を正面にもどした。

「共平さん、この薬包紙を預かってもいいですか?」

「差し出します。役人様がききに来るまで忘れていたものです。顔を隠した者が売っていた薬など、信用できかねます。使うこともないでしょう」

「ご協力に感謝します」


 三人は自身番のまえにもどった。

 太陽は頭上で輝いている。正午を少しまわっていた。

「さて、さっそくですが、九兵衛にたのみがあります。いまから蛇崩町に広めて欲しい話があるのです」

「なんですか?」

「避難のおふれを出してください。蛇崩池の氾濫によって、付近の地盤がゆるんでいることを伝えて欲しいのです」

 未堂棟は下屋敷の奥のほうに右手を向けた。

「われわれ役人を含めて、全員を蛇崩町の北区画から待避させるという内容です。町民にもできるだけ、ちかづかせないようにしてください」

「わ、わかりました」


「きょうの日が落ちてから、あすの日が落ちるまでの避難です。周囲にのこった泥水を太陽で干すことにした。泥濘みから離れるように。そう指示すれば、町民たちも動いてくれるでしょう」

「そうですね。水分の含んだ土砂は滑りやすいものです。たしかに注意したほうがいいですね。気づきませんでした」

 未堂棟は走り出そうとする彼を制止した。


「九兵衛、待ってください。この話はうそですよ」

「うそ? どういうことですか?」

「下手人を誘い出すための罠です。じっさいには役人はいたままです。この話を広めておいて、日が落ちたあと、蛇崩池の周囲をかこんでください。部下を茂みに隠れさせておくのです」

「ちょっと待て、だったら、未堂棟。きょうの夜なのか?」

「ああ、捕り物になる。だれが下手人かは判明した。いままで調べた関係者のなかにいた。すべて、たったひとりの犯行だった」

 別府はすぐに云いかえした。

「わからない。どの人物も犯行は不可能だった!」

 頭を抱えた。共犯者がいるならば、まだわかる。

 ひとりという指摘は意外だった。


「いったいどうやって、三つの殺人をひとりで実行したんだ」

「すべてはきょうの夜にあきらかになる。卯吉は惜しいところまで。謎を解いていたんだ」

 未堂棟はとおくの空を見上げていた。

「いちばんの手掛かりは、蛇崩町に来た最初の瞬間だった」


 別府は眉のあいだにしわをつくった。

 衝撃的な殺人事件がつづいたあとだ。

 最初の瞬間を想起することも困難だった。


「ほら、到着した直後に、おおきな出来事があったじゃないか。これだけ指摘すれば、もうわかるでしょう?」

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