第14話 宣戦布告

 灰本から、ビリビリと蓄電されて続けている電気が見えるのは気のせいではないだろう。

  触れてしまえば、物凄い量の電気が放電されてしまう気がする。触らない方がいいのだろうが、当の本人からはだんまりだ。嵐の前の静けさというやつかもしれない。このままそっとしておいた方がいい気するけれど、この状況。無理な話だろう。

 仕方ない。恐る恐る息を吐いた。


「あの……この状況から察するに、灰本さんが助けてくれたという認識で、よろしいでしょうか……?」

 爆発しないように、丁寧かつ、下手に聞いてみる。

「店から、松井がお前を担いで出てきた時にな」

 導線がショートしたみたいにもくもく、真っ黒い煙を放ちながら、不機嫌な説明が始まった。

 

「灰本が店の前で張り込み始め、一時間ほど経った頃。ぐったりとしたお前を担ぐようにして、松井が出てきた。松井とは、前日バイト先の居酒屋へ行ったときに、面識ができていたから、構わず店から出てきたところで声をかけた。一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに状況を把握したのだろう。聞いてもいないのに、勝手に弁解してきた。柴田と偶然会ったから、一緒に飲んでいたのだが、飲みすぎてしまって急に倒れた。病院に連れて行こうとしていたところだった。お前の頬の腫れは、倒れた際、洗面台にぶつかってできたものだという、言い訳も加えながらな。そのあとは、俺にお前を押し付けて、逃げるように、用意されていた車で走り去っていった」

 私の意識が途切れる直前。松井と誰かとの会話がうっすらと聞こえていたが、それが灰本だったということか。

 「なるほど」と、悠長に頷くと、ピリッと頬が痛んで、手をやる。灰本からまた嘆息しながら、ベッドサイドへやってきて保冷剤を差し出された。

「冷やしておけ」

「……ありがとうございます」

 素直に受け取り、右頬へあてる。距離が近くなって、益々鋭利な視線が痛い。

 そのまま俯くと、気まずい沈黙が落ちていた。

 まるで、悪いことをして、がみがみ怒られる前の子供の頃に戻ってしまったような気分になってくる。

 

 ゴクリと固唾を飲み、チラチラ様子をみながら思う。

 灰本の怒りは、よく理解できる。灰本からの事前忠告を無視して、突進し、結局灰本に助けられてしまった。灰本自身のリスクだって、あっただろう。激怒するのも当然だ。どうせなら、一気に怒鳴られた方が、気が楽なのではないだろうか。この息苦しい空気に、耐えきれる自信がなかった。

 吸っているのは、ただの空気だというのに、胃がずっしり重くなる。

 素直に頭を下げるしかなかった。

 

「……すみませんでした。ご迷惑お掛けして……」

「迷惑どころじゃない。最上級の大迷惑だ。俺が助けなかったら、どうなっていたと思ってるんだ」

 ビリビリと放電が始まる。言われなくてもわかってる。

「覚悟の上でした。そうなったら、警察に駆け込んでやればいいと……」

 全部言い終わる前に、灰本が被せてきた。

「バカか。あいつが言っていた一生抜け出すことのできない悪魔の薬とやらを打ち込まれて、生きた廃人同然になった人間が、正常な判断ができるとでも思っていたのか」

 顔つきがより一層厳しくなって、声は荒げていないのに、空気がビリビリしている。灰本の顔は真剣そのもので、遊びがない。

 そんな大袈裟な言い方しなくてもと、喉の奥まで出かかっていた言葉も、簡単に引っ込んでしまう。

 灰本が言っていることは、真実なのだろう。私の知らない世界を、灰本はよく知っていて、それは私の想像をはるかに超えるほど、汚く冷たいものなのかもしれない。背筋がぞっとした。

 その一方で、あれ? と疑問が浮かんだ。

 

「その会話……どこから聞いたんですか?」

 その話は、個室の化粧室で、松井と二人きりの時にされた話だ。周りに人がいたような気配もなかった。

 それなのに、なぜ?

 灰本は、これ見よがしに大きくため息をついて面倒くさそうにいった。

「バッグの底を見てみろ」

 サイドテーブルに乗っている私のバッグを指差した。いわれた通り、バッグの中身を全部出そうとしたら「外側だ」と、補足が飛んでくる。

 そのまま、ひっくり返すと、バッグと同化するように黒のテープが貼られていた。触ってみると、ゴツゴツしたものがある。出掛ける前そんなもの、ついていなかったはずだ。ビリっと剥がすと、小型の機械が入っていた。

「盗聴器?」

 ドラマや漫画の世界の代物だ。

「俺がベニートへ向かおうとしていた途中、さんざん釘を刺しておいた来る筈のない、猪とすれ違った」

 猪とは、私のことか。

 いちいち、癪に障る言い方をする。言い返したいところだが、今はその立場にない。仕方なく、口をつぐむ。

「まさかと思ったら、案の定だ。猪突猛進の獣に、何をいっても話は通じないだろう。仕方なく、すれ違いざまに、それを仕込んだ」

 確かに店へ行く途中、人にぶつかられていた。その時か。

 納得いくと、また次の疑問が沸いた。


「……灰本さん、どうして、ベニートへ? もうこの件には関わらないと、いってたじゃないですか」

「気が変わったんだよ」

 その返答に、私は、目を瞬かせしかなかった。

 あんなにやりたくないと言っていたのに、急な心変わり。その理由が、まったく思い当たらない。

 灰本は、また一つ嘆息を漏らして、私から視線を外していた。

 その先に誰かいるかのように、一点を見据え、怒りが滲ませている。

「昨日、俺がバイト先の晴天へ行ったのは、覚えているな?」

「はい」

「俺がわざわざ出向き、警察だと名乗った最大の目的は、松井への牽制だ。警察関係者が近くでうろうろしていたら、普通の感性の持ち主であれば、ベニートの集会は中止の方向へ動くはずだ。もしそうなれば、俺はこれ以上松井を深追いせず、手を引こうと思っていた。だが、奴はそうしなかった。平然と実行に移した。つまり、俺への宣戦布告だよ」

 目つき、表情がガラっと変わる。

「どんなことをしても自分は捕まるはずがないと、確信しているからこそ、できる行動だ。松井は、この世の中を舐め腐っている。俺は、そういう人間がこの世で一番嫌いだ」

 

 尖った瞳、上がった口角。首元にナイフを突きつけられているような鋭利さ。

 初めて灰本へ依頼しに行った時と、同じ冷たさが戻っている。

 灰本は、腕組みをし壁に寄り掛かった。そして、目を閉じて、頭の中にインプットされている資料を広げ始める。


「松井朝人の父親は、貸金会社を経営。母親の親が代議士で、その地盤を引き継ぎ、今は議員になっている。地元では絵に描いたような、不自由のない幸せな家族だ。だが、裏の顔は真っ黒。両親共に、うらの世界と強固な繋がりがある。当然息子もそのパイプを引き継いだ」

 前回の比ではない。剥き出しの冷酷さが前面に放たれる。

 この顔こそ、灰本の素顔だ。

「全員、地獄に落としてやる」

 

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