第8話 来訪者
「そのイベントに絶対行っちゃダメだからね!」
校舎からでて、大学の中庭のベンチに座りながら、念を押す。勢い余って、鞄がひっくり返ってしまう。口がボタン式のため、隙間からボロボロも中身が落ちていた。ささっと拾い上げて、春香の顔面にぐいっと顔を突き出す。
春香の長い睫が太陽の光が当たって、距離が近いよと、嫌そうな影を作っていた。
「断ったよ。ちょうどその日、予定もあったし」
「よかった……」
一気に高まった緊張感がため息とともに抜けて、脱力する。
春香は、お母さんみたいと、笑いながら訝し気な瞳をよこしてくる。
「それにしても、どうして浅川さんのことを理穂が知ってるの? 理穂、ペットどころか、SNSだって一切やってないのに」
春香には、晒し屋のことも、亜由美が事件に巻き込まれたことも言っていない。
彼女は、ちゃんと気遣いもできるし、むやみやたらに周りに言いふらすような人間ではないと、わかっている。だけど、それでも。亜由美を思えば、事件直後は、とても口にできなかった。
だが、少しだけ時間が経って今ならば、亜由美と同じような被害にあわないように気を付けてという意味を込めて、この件のことを話すことはいいのかもしれないとは思う。しかし、普段はふわっとしているように見えるが意外と鋭い春香だ。私が怪しい動きをすれば、何かと詮索を受けることになるかもしれない。そうなると、少し面倒だ。
適当な嘘をついて、逃れよう。
「友達が、最近詐欺にあったの。やっぱり春香と同じように、ネットで知り合って、仲良くなった人に騙された。その人の名前は、浅川美咲」
目が落ちそうなほど丸々とさせる春香。ずきっと胸に痛む。
罪悪感はあったが、浅川のしっぽを掴むためだ。
「この集まりって、いつどこでやるとか聞いた?」
「明日の夜、六本木の会員制バー『ベニート』に二十時集合って話になってたよ」
その後、春香には、絶対行くなとしつこく言って、別々の授業へと向かった。
授業中は、スマホに目を落とし続ける。
所詮ネットの交流だ。相手の顔はお互い知らない。ならば、春香の代わりに私が行ったって、問題ないだろう。
授業中は、先ほど見せてもらった春香のZのページをちゃんと頭に叩き込み続けていた。
あっという間に授業は終わりをつげ、講義室から出る。
そこで、肩を叩かれた。大久保だった。避けられていると思っていたから、驚いてしまう。
だが、謝るのにいいタイミングだ。大久保が何か言おうとするより先に、私が先に口を開いた。
「……この前は、ごめんね。心配してくれてたのに、逆ギレしちゃって」
前置きなく、いきなり頭を下げ始める私に、大久保は狼狽していた。
「それは、いつものことだろう?」
いつものこと……地味に傷ついて、そこから再び灰本の皮肉が木霊する。
瞬間湯沸かし器。
この性格。多少の反省は、必要なのかもしれない。
自省を込めてもう一度謝って、頭を上げる。大久保にいつも通りのクシャっとした笑顔が戻っていて、ほっとした。
「それで、この前サラシ屋に依頼した問題って、解決したの?」
「うん。おかげさまで。どんどん拡散していって、結局犯人は警察に捕まったの」
スマホで検索して、見せる。
捕まったというニュースに他、灰本が晒したらしき詳細情報も、検索トップに載っていた。
相手の勤め先の部署、住所、経歴……あらゆるものが晒されていて、金銭を受け取っているような怪しい画像もくっついている。すべて、灰本の仕事だろう。依頼した分については、きっちりこなしてくれていることに間違いはなかった。
「サラシ屋って、噂だけだって思ってたけど、本当に仕事するんだな。ということは、これで柴田もスッキリしたってことだな」
大久保は笑顔でそういうが、本当のところ、スッキリとは程遠いところにあるなんて、言えやしない。
勝手に目が泳ぎだす。
大久保は目敏く気づいて、切り込んでいた。
「まだ、何か引っかかってるんだ」
ギクッと跳ねそうな心臓を落ち着かせるために、肩くらいまで伸びた髪の毛撫でつける。
「犯人は捕まっても、友達の心の傷はなかなか簡単に消えないものでしょう?」
本当の答えは悟られないように、すり替えて言葉にする。
うまくいったはずだと思うのに、大久保は、浮かない顔をして、ずばりといった。
「柴田、まだ何かしようとしてる?」
喉の奥が詰まりそうになる。それでも何とか「そんなわけないでしょ」と笑ってみせるが、どう見ても納得いっていない顔だ。
「僕がいくら聞いても、柴田はきっと口を割らないんだろうな」
大久保は、顔を歪ませて、目を伏せた。本当に申し訳ないと思う。
灰本を紹介してくれたのは、大久保だ。本当なら、包み隠さず、今の状況を話すべきなのだろう。だが、そうしてしまえば、せっかくの好機を逃すことになってしまう。私は、口を引き結んだ。
長い沈黙が落ちる。
大久保は、真剣な顔をしていった。
「一つだけ教えてくれ。今、柴田がやろうとしていること、サラシ屋は知っているの? 誰か援護してくれる人とかは?」
大久保は、前と変わらず私の身を案じてくれている。
ならば、これ以上心配をかけないために、ハッキリと嘘をつくべきなのだろう。
だが、今は正直うまく嘘をつける自信がなかった。
無言の逃げを選んでいた。
授業をすべて終えた後、私はそのままバイトへ向かった。
晴天に到着。居酒屋の引き戸を開けた。
いつも通り、正面カウンター奥で焼き鳥をせっせと焼いているであろう岩城店長。
しかし、今日はその姿がない。休憩でもしているのだろうか。そのまま、店内の一番奥にある暖簾奥のロッカーへ向かおうと、顔を向け踏み出そうとした。その足が止まり、私は目を見開いた。
この店でバイトを始めて四年になるが、初めての光景が飛び込んできた。
「おー、柴ちゃん。お疲れ様ー」
店内の一番奥の端の席で、客らしき人と酒を酌み交わしていたのだ。
おちょこを手にしている店長の顔は、すでに出来上がっていた。顔は真っ赤だ。
店長の正面に座っている相手の顔は、私の位置からは背を向けていて見えない。白いワイシャツにジーンズ姿。小柄な 店長よりだいぶ、背も高そうだし、若そうだ。
知り合いだろうか?
詮索は禁物かと思いながらも、あんなに赤い顔して、この後ちゃんと店を切り盛りできるのか心配になる。
そんな時、その客が振り返ってきていた。
私は、度肝を抜かれる。
そこにあったのは、キラキラの笑顔。昨晩とは、真逆の営業スマイルを惜しみ無く振り撒いている男。
息まで、とまって、目が飛び出しそうになる。肩にかけていた鞄が、地面に滑り落ちていた。
そんな私にとどめを刺すように、岩城店長が上機嫌にいい放っていた。
全く意味がわからない。
どうしてここに灰本さんがいるのよ?
「柴ちゃんのお友達に、刑事さんがいたなんて全然知らなかったよ」
もう何が何だか、脳の処理が追い付かない。そんな中、灰本がスッと立ち上がって、私の前へ立ち、ワイシャツの胸ポットから名刺を取り出していた。
「この前異動があってね。新しい名刺ができたんだ。まだ、渡していなかったね」
営業スマイルのまま、名刺を私へ差し出した。差し出された名刺を受け取り、視線を落とす。
『警視庁 刑事部捜査一課 灰本誠一』
嘘の肩書きに呆れそうになりながら、その下に書かれた走り書きに目がいった。
『ここでは、話を合わせろ』
一体何がしたいのよ。
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