第6話 灰本
「一体どういうことですか?」
黒い瞳を一瞬揺らした後で、こちらを見返してくる。やっぱり言わなければよかったと後悔しているような雰囲気だ。端正な顔立ちの眉間に皺が寄っている。
ここまで言っておきながら、やっぱり言えませんなんて、ないだろう。
「私は、この件の依頼者です。全部教えて下さい」
再び鼻息の荒くなる私に、灰本は大きなため息をついていた。ずっと、人当たりよかった彼の顔が少し剥がれる。嫌そうな顔をしながらグレーのスーツの内ポケットから、ペンと名刺を取り出し裏にした。そこに、ペンを走らせていく。
咲良、山川美羽、アサミ。
女性らしき名前がずらりと並んで名刺を、私の方へ向けてくる。
「誰ですか?」
「警察に捕まった三人は、SNSを利用していた。その中のフォロワーで、怪しい人物が浮上しました」
「それが、これ……ですか?」
捕まった三人プラス女三人。つまり、六人もこの件に絡んでいるということだろうか。しかも、性別は女? 理解するのに苦労する。衝撃が強すぎて、頭がパンクしそうだ。
私の理解しているかなど無視して、灰本は説明を続ける。
「この三人。全く繋がりがないように見えるが、同一の趣味サークルのに入っています」
実際にみた方が早いかと、灰本は、自分の事務机にのっていたタブレットを持ってきて、ソファに再び腰を下ろす。一通りの作業を終えると「これです」と、私に見せてきた。
大きな文字が、飛び込んでくる。
「愛犬会?」
何とも、平和なサークルにしかみえない。スクロールしていくと、このサークルに加入している飼い犬の写真が次々出てくる。
普通にかわいい。春香が飼い始めたというチワワにおいては、特にたくさん出てくる。その中でも、ふわふわの毛並みの良い子犬のチワワの写真には、心が掴まれてしまう。
「このワンちゃん、ものすごくかわいくないですか? 最近友達も子犬飼い始めたんですけど、確かにペットって癒されますよねぇ」
素直な感想を述べると、灰本から冷ややかな視線が返ってきた。
脱線した思考を元に戻せとばかりに、灰本は強制的にトップ画面に戻して、指さした。
「主催者の名前を見てください」
主催名『浅川美咲』と、あった。灰本が書き出してきた女たちと名前が違う。これも、さっきの女三人と同じ仲間だというのだろうか? そうなると、これで関わっている女は計四人になる。私はさすがに首をかしげた。
「……やっぱり、この女の人たち、何の繋がりもないんじゃないですか?」
灰本はその疑問に、ペンで答えていた。
「ここに書いた、三人の女。咲良、山川美羽、アサミ。最後のカタカナのアサミは、漢字変換すれば『浅』になる」
アサミのアサに丸をつけて、漢字を書き込み丸をつけると、残り二人の名前の一部にも、次々と丸をつけていく。
「アサミの『浅』、山川美羽の『川』と『美』、咲良の『咲』これらをとってくっつければ『浅川美咲』になる」
「……本当だ!」
「こんな偶然、ありえない」
私が目を丸々とさせていると、灰本ははっきりといった。
「おそらく、この『浅川美咲』は、本体。他の三人については、誰かを雇うためだけに使用しているアカウント。つまり、この四つのアカウントの中身は、同一人物だ」
「え?」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
だが、そうか。考えてみれば、ネット上は、いくらでも偽れる。載せている中身はリアルでも、表面上は偽りだらけが普通だ。
「SNSのアカウント、このサークルのページ、これらのIPアドレスを調べたら同じ場所から発信されていた。同一人物であることは、間違いない。その浅川美咲。度々、女性限定イベントを行っている。主催者が女性の名前であれば、警戒心が薄れる」
「まさか……亜由美と同じような目的で、女の子を騙して集めてるってことですか? 何のために?」
「男から金をもらい、集めた女を売るためといったところでしょうね。その辺りは、調べていません」
灰本は、残ったお茶を飲み干して、説明した名刺を私の方へ差し出し、ソファの背もたれに体を預けた。灰本から、もう仕事をやり終えた感を醸し出し始めていた。
その態度、雰囲気。眉間にしわが寄せて、私は前のめりになって開いた距離を詰めた。
「その先も、調べてくださるんですよね?」
「無理ですね」
灰本のまさかの即答に、私はバンっと机に両手をついて、立ち上がった。
「どうしてですか?」
「柴田さんから請け負った仕事は、『山本』『藤井』二名を晒すこと。もう完了しています」
「なら、依頼を変えます。この『浅川美咲』という人物を特定してください。報酬も提示通り用意します」
「嫌です。最初依頼のあった二名は、警察に捕まった。その時点で既に、僕の仕事は予想以上の成果を出した。おまけに、プラス一名も捕まったんだ。もう十分でしょう」
また、さらっと即答してくる。何かがプチっと切れる音がした。
「どこが十分なんですか?」
私の止まらぬ口に、灰本のピンと背筋を伸ばし続けていた背中が、ムスッと丸まっていた。それどころか、足を組んだ膝に右腕をつき、貧乏ゆすりまで始まる。だから、言いたくなかったんだとでもいうように、子供じみた態度に豹変していた。しかも。
「ここまで、やってやって、しかも無料でいいと言ってやってるんだ。有り難く思えっていってるんだ」
言ってやってる? 有り難く思え……ですって?
全身の血液がマグマに変わってしまったかのように、熱くなった。
「こうやって、姿を眩ますのがうまい連中は、こっちのリスクも数倍に跳ね上がる。お前みたいなストッパーの壊れた瞬間湯沸し器にいちいち、付き合ってられるか」
ダメ押しの暴言で、完全に噴火した。怒りのあまり、手が震える。
「こういう奴らを野放しにしていたら、また次の被害者が出るかもしれないんですよ? 黙って見過ごすんですか? あなた、さっき私にいいましたよね? 満足感がないって。それって、灰本さんもまだ不十分だと思っているからなんじゃないんですか?」
一瞬でも、格好いいなんて、思った私はバカだった。机の上の名刺を引っ手繰って、灰本を睨み付ける。灰本からも、鋭い視線が返ってきて、ぶつかったところから火花が散っていた。
「もういい。これ以上頼みません。一人でどうにかしてみせます」
「バカか。返り討ちに合うのがオチに決まってんだろ」
これ以上、こいつと同じ空気を吸いたくもない。
私は、乱暴に事務所のドアを開け、すっかり暗くなった空の下へ飛び出した。
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