第4話 逮捕

 依頼してから、半日足らずで、もう完了?

 灰本へ提供した情報はほんの少しだ。あれをネットの波に乗せたところで、さざ波さえも起こすことはできないだろう。


 適当にやったとしか思えない。この疑念を解消してくれるのは、ちゃんと仕事をしたという証拠なのだろうが、メールには資料さえも添付されていない。あの一言で終わってしまっている。

 メールを睨み付ける。短文の最後に添えられた署名「灰本」というところから、胡散臭さを放っているようにしか見えた。

 スマホの画面に指を滑らせる。


 加害者の二人『山本一郎』『藤井文明』の名前で、検索をかけてみた。しかし、検索をかけたトップページには、同姓同名の高校生のブログや料理人のコラムやらで、あの二人に掠りもしない。いくらページをめくっても、同じだった。念のため、各検索サイトのトレンドに目を通したみたが、何の話題にも上っていなかった。膨大な海の中の藻屑となっているのか。あるいは、仕事なんてしていないのに、やったと嘘をついているのか。

 あんなに、お任せかせくださいと、自信満々に言っていたのに。一体どういうことだ。

 灰本が依頼を引き受けてくれさえすれば、期待以上の仕事を確実にしてくれるときいていたのに。

 何が晒し屋だ。聞いて呆れる。

 

 灰本本人は、確かに格好良かったけれど、ただそれだけだ。あんな仕事をしているのだ。中身が、まともなはずがない。

 やっぱり、嘘つき。詐欺師だ。

 騙されたという怒りがふつふつ込み上げてきたところで、火に油を注ぐように、また灰本からメールが届いた。

『明日、報酬をいただきます。十七時に事務所へお越しください。 灰本』

 たいした成果もないくせに、お金だけ貰うっていうの? 私が居酒屋で必死にバイトして、ずっと貯めてきた大事なお金だというのに。講義の眠気など粉々に砕け、発狂しそうな自分自身を抑え込むの必死だった。


 講義が終わったと同時に、私は新宿の灰本事務所まで走っていた。

 太陽が真上にあるにもかかわらず、相変わらず探偵事務所が入っている雑居ビルは、高層ビルの色濃い影に隠れている。その前まで行き、四階部分にある『灰本探偵事務所』と大きく書かれているはずの文字を睨み付けようとした……が。

「……ない」

 あんなに大きく書かれていた事務所の名前が、どこにも書かれていなかった。

 足は勝手に、雑居ビルの階段を駆け上がっていた。肩で息をしながら辿り着いた四階のドアの前。やはり、そこにも文字はなかった。ただのすりガラスだけだ。

 息が切れる。走ってきたせいなのか、体中が沸騰するほど熱い。拳を握った手は、ドアを思い切り殴りつけていた。

 

 とぼとぼと、駅へ向かっていると、頭が冷えていく。冷静に考えてみれば、わざわざ明日の十七時に来いとあるのだ。ならば、言われた通り明日もう一度来てみよう。そう思い直すことにする。

 気づけば夕日になっていて、夕食近い時間になっていた。

 藁にすがって沈んでいっても、お腹はグーっとなってしまうものだ。大きなため息をついて、私は全国チェーン店ガッツリ屋によって二人分の牛丼を買い込んだ。

 

 電車に乗り込み、牛丼の入ったビニール袋を揺らしながら亜由美に言ったことを思い出す。

「このまま、あいつらがお咎めなしなんて、ありえない。絶対あいつらを何とかして見せるから」

 亜由美に、灰本のことを話せば「そんな危ないことするのは、やめて」というのは、目に見えていたから、話さなくてよかったとつくづく思う。こんな状況ならば、尚更。

 自然と亜由美が住んでいるアパートへと向かっていた。

 

 オートロックのインターホンを鳴らす。すぐに「入って」と亜由美の声が響いた。あの事件の時よりも幾分元気は戻っているが、やはり元通りというところまでは程遠い。自分の無力さを痛感する。エントランスが開いた。

 エントランスを抜けたすぐ横にあるエレベーターへ乗り込み三階を押し、三一二号室のインターホンを鳴らすと、すぐに亜由美がドアを開いていた。

 

「わざわざ、ありがとうね」

 艶やかな黒髪に戻っている。しかし、大き目の丸い瞳の下には、なかなか消えなさそうなクマができていた。ちゃんと眠れているのだろうか。

 そんな声掛けは、余計な心労をかけるだけだ。

「差し入れ。一緒に食べよ」

 手にしていたビニールを持ち上げて、トレードマークと言われている笑窪を作って笑って見せる。亜由美は、クスクス笑って、部屋の中へ招き入れた。靴を脱いで、部屋の中へ上がった。

 

 正面に見えるテレビから、ニュースが流れている。そんなのみていたら灰本を思い出して、また気分を害されそうだ。視界の外へ追いやるために、テレビに背を向けた場所に私は座って、テーブルに牛丼と割りばしを二つ並べた。

 

「差し入れが、牛丼とはね。さすが、理穂」

「せっかく買ってきたっていうのに、不満?」

「まさか。大歓迎」

「だよね」

 笑いながら、二人同時に割りばしを手に取る。パチンと割れる音が、気持ちよく響いた。

「いただきます」

 ちょうど声を重なって、たれのたっぷりかかった牛肉を口の中に放り込んだ。甘くてちょっと辛い。それが、じわっと口の中に広がっていく。亜由美が叫んでいた。

 

「めちゃくちゃ、おいしい!」

「やっぱり、ガッツリ屋の牛丼は間違いない。私の選択は正しかったね」

 ふふんと、鼻を高くしながら、どんどん口に運んでいく。そんな中、亜由美は懐かしそうに目を細めていた。

「高校の部活の帰り道、二人でよく寄ったよね。このままじゃ、太っちゃうよとか言いながらさ。そしたら、実際に里穂が本当に太っちゃってさ。セーラー服のスカートのウェストのホックが閉まらないから、安全ピンで登校してきたんだよね。あれは、笑ったなぁ」

「亜由美って、変なことばっかり覚えてるよね」

 むすっとして見せると、亜由美は笑いながら牛丼を少しずつ口にしていく。

 少しずついつも通りの亜由美が顔を出す。安堵が、箸を運ぶスピードを上げていく。

「そういえば、理穂は今日バイトだったんじゃないの?」

 

「今日は、元々休みなんだよ」

 ズキっと胸が痛んで、項垂れそうになるのを堪え、牛丼を頬張る。急においしさが、半減したような気がする。

「へぇ。珍しい。理穂、暇な時間があれば、必ず居酒屋のバイト入れてるのに」

 亜由美の声が少し、落ちていた。

 どうやら、わざわざ休みを取って、ここに来たと思っているらしい。

「嘘じゃないよ。本当に今日は、元々入ってなかったんだから。店長と松井さんにちゃんと言ってあって、だいぶ前から了承済み。私にだって、たまには休息は必要なの」

 元々、シフトは入っていないことは、本当だ。

 なぜなら、最終面接に合格していたら、今夜新入社員同士の顔合わせをする予定が入っていたからだ。見事にあぶれてしまったが。

「もう少し元気になったら、また理穂のお店に行ってみようかな」

「そっか。亜由美来たことなかったもんね。私がバイトに入っている時でも、ぜひおいでよ。友達が大企業に就職決めたって話をしたら、連れてきたらお祝いしてやるって、話してたんだ。大歓迎」

 私のバイト先は、池袋にある居酒屋だ。

 春香も私がバイトに入っている時に、何度か友達を引き連れて飲みに来てくれている。

 亜由美は頷いた。

「理穂ももうすぐ就職だし、そろそろバイトやめちゃうもんね。その前に、お邪魔するね」

 最終面接落とされたばかりの傷に塩を塗られていく痛みに耐えながら、何事もない顔を作り出す。

 悪気があっていったわけではないとわかっている。私が最終面接に落ちたことを、亜由美は知らないのだから。

 今の亜由美の精神状態を見れば、私の面接の失敗を自分のせいにしてしまう恐れもある。やはり、しばらくは言い出せない。

 というか、そんなことを知られる前に、早く就職を決めなければ。

 私は、牛丼を慌ててかきこむ。

 

「ごちそうさまでした」

 手元の牛丼は、あっという間に空になる。亜由美は、あきれていた。

「相変わらず早食いだなぁ。ちゃんと噛まないと……」

 亜由美が言いかけて、止まる。口だけでなく、箸までも止まって、掴んでいた牛丼がぽとりとどんぶりの中に落ちていた。目の淵だけが充血していたのがわかるほど、丸々とさせている。

「どうしたの?」

 尋ねても、返答はなかったから、亜由美が釘付けになっている視線の先へ、ゆっくり辿りながら、振り向いた。その先は、テレビ。その画面へ顔をやると、テロップが流れていた。


「就活生を呼び出し、暴行を加えた容疑で三人を逮捕」

 その文字の上。二人の顔が映り『山本一郎』『藤井文明』の名前が添えられている。そして、更にもう一人、連行されていく姿が映っていた。


 口から今しがた平らげた牛丼と一緒に、心臓までも飛び出しそうになっていた。


 

 

 

 

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