第3話 依頼完了

 学食に設置されている自動販売機でホットカフェラテのボタンを、二度押す。

 両手に缶を持ち、適当に開いている席を見つけて、席に座った。

 一本は、正面の開いている席へ置き、もう一本の口を開けて、一口飲む。

 まったりとした甘さが、口の中に広がり、ごくりと喉の奥を通ったところで、周囲の学生たちからとびぬけて背が高い大久保聡おおくぼさとしが入ってくる姿を見つけた。呼び出し相手である。彼も私と同じ、四年生。就職先もしっかりと、決まっている。

 軽く手を振ってみたが、一向に気付いてくれない。

 今は昼を過ぎた時間帯で、学食の密度はそれほど高いわけでもないのにも関わらず。世の日本女性の平均身長にも届いていない自信を恨みながら、仕方なく立ち上がり、ウサギのように飛び跳ねながら全身で手を振る。そこで、やっと気づいてくれて、大久保は手を挙げてこちらへ足を向けてくれた。

 ほっとして、椅子に腰を下ろして、もう一度カフェラテを口に含む。

 

「ごめん、ごめん。柴田が相変わらず小さくて、気づかなかった」

「大久保が、大きすぎるんでしょうが」

 いつも通りのご挨拶。私はわざとらしく腕を組んで、ふんっと鼻を鳴らす。大久保は、正面の椅子に座りながら、クシャっとした笑顔を見せてくる。その顔をみると、どうしても釣られて、つい笑ってしまう。

 大久保の愛嬌顔は、本当に得しているなと、いつも思う。その笑顔さえ見せれば、どんな嫌味を吐こうが、不思議と和ませてしまえるのだ。何か不思議な魔法でも、持っているのかもしれない。


「そのカフェラテは、私からの感謝の気持ち。紹介してくれて、ありがとう」

 私は正面に置いてあったカフェラテを指さして、軽く頭を下げると、大久保は驚いた表情を見せていた。

「サラシ屋に、本当に連絡したの?」

「紹介してくれたのは、大久保でしょ?」

「そうだけど……僕は、友人の友人のそのまた友人の噂話を聞いて、『サラシ屋』のホームページを柴田に伝えただけだったろ? 『あなたの恨み、晒します』って、書いてあるだけで、電話番号も事務所の住所も表記されていない。メールだけしか連絡取れない相手なんて、怪しいねって、話してたじゃないか」

 大久保は、焦ったようにいう。確かにそんなようなことはいったが、やめるなんて言っていない。

 それ以上に、そんなこと今更言われても、もう遅い。

「大久保が教えてくれたその日に、ダメ元でメールしてみたの。そしたら『どんな依頼内容ですか?』って返信が来て、詳細を送ったら『では、依頼主様に実際にお会いしてから依頼を受けるかどうかを決めます』っていうから、昨日実際に会ってきた」

 カフェラテを飲む。

 灰本の笑顔がふと脳裏をかすめた。

 事務所に入った時見せた、見惚れてしまいそうなほどのキラキラした笑顔。事務所を出るとき見せたぞっとするほど冷たい笑顔。

 どちらが本当の彼なのだろうか。

 そんな報告をし終えると、愛嬌しかないと思っていた大久保の顔が険しくなっていた。

 大久保とは、講義が被ることが多く顔を合わせる機会が多かった。それなりに彼のことを見て、知っていたつもりだ。

 大久保への印象は、ただ一つ。ひたすら温和。それが、四年間で出した答えだった。彼の喜怒哀楽の怒は、抜けていると、みんな口を揃えて言っているくらいだ。それなのに、今目の前にいる大久保は、私の知っている彼ではない。

 たれ目がちの瞳はつり上がり、丸びを帯びた骨格も心なしか角ばっている。その変化に驚きすぎて、言葉がでなかった。

 

「この前、柴田の友達が大変な目にあったのに、柴田自身もそれで誘拐でもされたら、どうするんだよ! 僕に話してくれれば、一緒に行ったのに!」

 愛嬌で出来上がっている大久保が、声荒げるなんて微塵も想定していなくて、目を丸くして狼狽えるしかなかった。

「柴田の友達思いなところは、純粋に尊敬しているよ。でも、いくら友達のためとはいっても、軽率すぎるんだよ」

 大久保が、更に私を非難する言葉を浴びせてきて、大久保への驚きは流れ落ちていた。

 じわっとした熱が、頭に上ってくる。

「仕方ないでしょ? 『事件関係者以外連れてきたら、この話はなかったことにさせてもらう』って、釘刺されてたんだから」

 私より高いとろこにある大久保の顔を睨み付けると、更に畳み掛けてきた。

「そんな変な条件出してきたのなら、尚更危ないって思うのが普通なんじゃないか? 怪しいって思わなかったのかよ」

 お互いの熱が足されて、上がっていく。

 そうなってしまえば、簡単には冷めてはくれない。

「いくら軽率だといわれても、巡ってきたチャンスを私は掴みたいの! この瞬間を逃したら、一生後悔することになるかもしれない。私は、もうそんな思いはしたくないの!」

 上がった熱のせいで、過去が炙り出される。

 

 あの時、縋ってきた手を、しっかりと握ってやっていたら。時間が経てば解決するなんて、悠長なこと言っていなければ。

 取り返しのつかないことには、なっていなかったはずだった。

 この後悔は、一生消えることはない。消してはいけない。同じ過ちを、繰り返してはいけないのだ。

 ずっと平和に過ごしてきた大久保に、私の気持ちなんてわかるはずない。

 勢いあまって、溢れだしそうな言葉を、何とかかみ砕き、乱暴にカフェラテを流し込む。

 いつもならこうやって悪い空気が流れると、大久保は「そうだね」と言って、お得意の笑顔を見せるのだが、今はそんな気も起らないようだ。表情筋が無くなってしまったかのように、無表情を決め込んでいる。

 私は空になった缶だけを手にして、その場を立ち去った。


 むしゃくしゃが収まらず、校舎を出て、外に出る。一段と冬が近づいているような北風が、身に染みた。

 頭の熱が風に流されていくと、大久保には悪いことをしたという後悔が膨れ上がっていく。

 そもそも、灰本という人物を紹介してくれたのは、大久保だ。彼が教えてくれなかったら私は、彼に行きつくことさえも、できなかった。それに、今だってあんな風に怒っていたのは、私の身を案じてのことだ。私が大久保にぶちまけてしまった理不尽な怒りではない。

「何やってんだ、私……」

 校舎の入り口で、後悔が渦巻く頭を抱えていると「理穂」後ろから、鼻にかかった少し高い声で名前を呼ばれた。特徴的な声だ。振り向かずとも、それが誰なのかすぐにわかる。大学内で一番仲良くしている四年生の松本春香まつもとはるかだ。


「頭抱えちゃって、どうしたの? 理穂らしくない。もしかして、まだ最終面接落とされたの引きずってるの?」

 的は外れているが、一番痛いところをついてきて、心臓が痛い。

 春香の言う通り。就職が決まっていないのは、私の友人たちの中で私だけだ。

 亜由美の事件があった翌日に採用最終面接があった。そこまで順調で、ほぼ内定と言われていたのだが、当日は私が心ここにあらずという状態だったために、結局落とされてしまった。失態を思い出し、更に鬱々とした気分になりそうだ。うぅっと、呻き声が出てしまう。

 

「気にしない、気にしない。どうにかなるって。頑張ろう! とりあえず、今は就活のことは忘れて、次の授業一緒に行こう」

 私の横に立って、ポンポンと背中を叩く。長い黒髪を綿毛のように揺らして、 ふわりと笑っていた。名前のように春のような温かい笑顔を吹かせてくる。私の薄暗い気分は、彼女の陽だまりのような温かさで、救い上げられる。

「次の授業、つまんないよね。私いつも眠気をかき消すことに必死」

「それね。私もだよ」

「でしょ? だから、私はいつもこの動画で気を紛らわせてるんだ」

 スマホのずいっと私の顔の前に見せてくる。

 子犬があっちこっち動き回ってしっぽがはち切れんばかりに振っている。ひたすら愛くるしい動画だ。

「教科書の裏に隠して、これ見てるの。もう、かわいくて仕方ない! これ見てるだけで、癒しと幸せを得られるの」

 私と違って、春香は実家暮らし。最近チワワを飼い始めたといっていた。それが、この子なのだろう。

 愛くるしいつぶらな瞳。ふわっとした毛並み。確かに、かわいい。私も、ついニヤニヤしてしまう。

「ピーちゃん、愛してる!」

 春香は満面の笑みで、画面を撫で始める。

「画面の中の仔犬も可愛いが、負けず劣らず春香も負けてないよ」

「そんなに、私のこと褒てくれちゃって、どうしたのよ? もしかして、この動画ほしい? 理穂にあげようか?」

「私は、いいよ。見てると私も飼いたくなっちゃうもの。気持ちだけもらっとく」

 理穂のように実家暮らしでもない。ボロボロのアパート一人暮らしの私には、犬を飼うなんてお金もない。夢のまた夢の話だ。

 苦笑しながら、校舎の中へ入る。

 明るいお喋りを聞いていると、私まで明るさをもらえている気がする。春香は、ありがたい存在だ。

 

 いざ、授業が始まる。

 春香は、さっき言っていた通りに、動画をこっそり再生し始めていた。

 私は、抑揚ない教授のつまらない説明をひたすら聞くという苦行に耐え続ける。

 ぼんやりした時間は、余計なことばかり頭が回るものだ。

 亜由美のことが気がかりだった。彼女も私と同じように大学入学と同時に実家を出て、一人暮らしをしている。あんな事件があって、私の部屋にしばらく泊ればいいと提案したのだが、大丈夫と断られてしまった。何かと気を遣う彼女のことだから、私に申し訳にと思ったのだろうが、本当に一人で大丈夫なのだろうか。

 そして、本当に灰本は、ちゃんとやってくれているのだろうか。

 事務所では、特に契約書を交わすこともなく、お金も事前払いかと思いきや成功報酬だといっていた。それはそれで、良心的だとは思うが、それは、つまりただの口約束で終わってしまっていることになる。そうなると、かなり心許ない。本当に、仕事をしてくれるのだろうか。

 

 渦巻く漠然とした不安。それを堰き止めるように、ポケットの中スマホが震えた。

 画面を灯す。灰本からのメール着信の知らせだった。ロックを解除し、慌ててメールを開く。

 私の思考は停止していた。

 

「ご依頼、完了しました。 灰本」

 

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