第七章⑦

 かがやいていたハルヒの目がくもったように見えた。灰色の世界でもきわだつ白い顔が俺に向く。

「一生こんなところにいるわけにもいかないだろ。腹が減っても飯食う場所がなさそうだぜ、店も開いてないだろうし。それに見えないかべ、あれが周囲を取り巻いているんだとしたら、そこから出ていくことも出来ん。確実にえ死にだ」

「んー、なんかね。不思議なんだけど、全然そのことは気にならないのね。なんとかなるような気がするのよ。自分でも納得出来ない、でもどうしてだろ、今ちょっと楽しいな」

「SOS団はどうするんだ。お前が作った団体だろう。ほったらかしかよ」

「いいのよ、もう。だってほら、あたし自身がとってもおもしろそうな体験をしているんだし。もう不思議なことを探す必要もないわ」

「俺は戻りたい」

 きよじんは校舎の解体作業の手を休めていた。

「こんな状態に置かれて発見したよ。俺はなんだかんだ言いながら今までの暮らしがけっこう好きだったんだな。アホの谷口や国木田も、古泉や長門や朝比奈さんのことも。消えちまった朝倉をそこにふくめてもいい」

「……何言ってんの?」

「俺は連中ともう一度会いたい。まだ話すことがいっぱい残っている気がするんだ」

 ハルヒは少しうつむき加減に、

「会えるわよきっと。この世界だっていつまでもやみに包まれているわけじゃない。明日になったら太陽だってのぼってくるわよ。あたしには解るの」

「そうじゃない。この世界でのことじゃないんだ。元の世界のあいつらに、俺は会いたいんだよ」

「意味わかんない」

 ハルヒは口をとがらせて俺を見上げていた。せっかくのプレゼントを取り上げられた子供のようないかりとあいが混じったみような表情だ。

「あんたは、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの? 特別なことが何も起こらない、普通の世界なんて、もっと面白いことが起きて欲しいと思わなかったの?」

「思ってたとも」

 巨人が歩き出した。くずれ落ちることなく残っていた校舎のざんがいたおして中庭を進んでくる。わたろうに手刀をかまし、部室とうにもパンチを入れる。き飛んでいく俺たちの学校。俺たちの部室。

 ハルヒの頭しに、その巨人とは別の方角にも青い壁が立ち上がってくるのが見えた。一つ、二つ、三つ……。五ひき目まで数えて、俺はカウントをほうした。

 光の巨人たちは、赤い光玉にじやされることもなく、灰色の世界を好きなようにかいし始め、し続けていた。その姿がどこか喜々として見えるのは俺の精神上の問題だろうか。やつらが手足をり上げるたびに空間がけずり取られるように、そこに見えていた風景が消え去っていく。

 もう校舎のあとかたは半分も残っていない。

 へい空間が拡大しているのかどうか俺は感じ取ることが出来ないし、また拡大しまくったこの空間がやがて新たな現実空間に成り果てるのかどうかも知らん。ただ、そうなのだろうと思うだけだ。今の俺は、電車でとなりに座ったっぱらいのおっさんが「だれにも言うなよ、実はわしは宇宙人じゃ」と言ったところで信じてしまえる。すでに俺の経験値は一ヶ月前の三倍の数値くらいにはふくれあがっているのだ。

 俺に出来ることは何か。一ヶ月前なら無理でも、今の俺になら出来ることだ。ヒントならすでにいくつももらってある

 俺は決意して、そして言った。

「あのな、ハルヒ。俺はここ数日でかなり面白い目にあってたんだ。お前は知らないだろうけど、色んな奴らが実はお前を気にしている。世界はお前を中心に動いていたと言ってもいい。みんな、お前を特別な存在だと考えていて、実際そのように行動してた。お前が知らないだけで、世界は確実に面白い方向に進んでいたんだよ」

 俺はハルヒのかたをつかもうとして、まだ手をにぎりしめたままだったことに気付いた。ハルヒは、こいつは何か悪いものでも食べたのかと言いたそうな顔をしていた。

 つい、と視線をそらしてハルヒは校舎をめちゃくちゃに破壊している巨人を、そうするのが当然だと言うようにながめた。

 その横顔は、あらためて見ると年相応の線のやわらかさがりになっている。長門は言った、「進化の可能性」と。朝比奈さんによると「時間のゆがみ」で、古泉に至っては「神」あつかいだ。では俺にとってはどうなのか。涼宮ハルヒの存在を、俺はどう認識しているのか?

 ハルヒはハルヒであってハルヒでしかない、なんてトートロジーでごまかすつもりはない。ないが、決定的な解答を、俺は持ち合わせてなどいない。そうだろ? 教室の後ろにいるクラスメイトを指して「そいつはお前にとって何なのか」と問われて何と答えりゃいいんだ? ……いや、すまん。これもごまかしだな。俺にとって、ハルヒはただのクラスメイトじゃない。もちろん「進化の可能性」でも「時間の歪み」でもましてや「神様」でもない。あるはずがない。

 きよじんが振り向いた。グラウンドへと。顔も目もないのに、俺は確かな視線を感じた。歩き出す。その一歩は何メートルあるのか、かんまんな歩みの割に俺たちに近づく姿が巨大さを増してくる。

 思い出せ。朝比奈さんは何と言ったか。その予言を。それから長門が最後に俺に伝えたメッセージ。白雪ひめ、スリーピング・ビューティ。いくら俺でもsleeping beautyのほうやくを何というのかは知っている。両者に共通することと言えば何だ? 俺たちが今置かれているじようきようと合わせて考えてみたら答えは明快だ。なんてベタなんだ。ベタすぎるぜ、朝比奈さん、そして長門。そんなアホっぽい展開を俺は認めたくはない。絶対にない。

 俺の理性がそう主張する。しかし人間は理性のみによって生きる存在にあらず。長門ならそれを「ノイズ」と言うかもしれない。俺はハルヒの手を振りほどいて、セーラー服の肩をつかんで振り向かせた。

「なによ……」

「俺、実はポニーテールえなんだ」

「なに?」

「いつだったかのお前のポニーテールはそりゃもう反則なまでに似合ってたぞ」

「バカじゃないの?」

 黒い目が俺をきよするように見る。こうの声を上げかけたハルヒに、俺はごういんくちびるを重ねた。こういう時は目を閉じるのが作法なので俺はそれにのつとった。ゆえに、ハルヒがどんな顔をしているのかは知らない。おどろきに目を見開いているのか、俺に合わせて目を閉じているのか、今にもぶんなぐろうと手を振りかざしているのか、俺に知るすべはない。だが俺は殴られてもいいような気分だった。けてもいい。誰がハルヒにこうしたって、今の俺のような気持ちになるさ。俺は肩にかけた手に力を込める。しばらくはなしたくないね。

 遠くでまたごうおんひびき、巨人がまた校舎に殴るるをしているんだろ、とか思った次のしゆんかん、俺は不意に無重力下に置かれ、反転し、左半身をいやと言うほどのしようげきおそって、いくら何でもはらごしをかけることはないだろうと思いながら上体を起こして目を開き、見慣れたてんじようを目にして固まった。



 そこは部屋。俺の部屋。首をひねればそこはベッドで、俺はゆかに直接ころがっている自分を発見した。着ているものは当然スウェットの上下。乱れたとんが半分以上もベッドからずり下がり、そして俺は手を後ろについてバカみたいに半口を開けているという寸法だ。

 思考能力が復活するまでけっこうな時間がかかった。

 半分無意識の状態で立ち上がった俺は、カーテンを開けて窓の外をうかがい、ぽつぽつと光るいくばくかの星や道を照らす街灯、ちらちらといている住宅の明かりを確認してから、部屋の中央をぐるぐる円をえがいて歩き回った。

 夢か? 夢なのか?

 見知った女と二人だけの世界にまぎれ込んだあげくにキスまでしてしまうという、フロイト先生がばくしようしそうな、そんなわかりやすい夢を俺は見ていたのか。

 ぐあ、今すぐ首つりてえ!

 日本がじゆう社会化をまぬかれていることに感謝すべきだったかもしれない。手の届くはんに自動小銃の一丁でもあれば、俺はちゆうちよなく自分の頭を打ちいていただろう。あれが朝比奈さんなら、まだ俺は自分の夢の内容について正しい自己ぶんせきが出来ていたものを、なのによりにもよってハルヒとは、俺の深層意識はいったい何を考えているんだ?

 俺はぐったりとベッドに着席し、頭をかかえた。夢だったとすると、俺はいまだかつてないリアルなもんを見たことになる。あせばんだ右手、それに唇に残る温かくて湿しめったかんしよく

 ……か、ここはすでに元の世界ではないとか。ハルヒによって創造された新世界なのか。だったとして、俺にそんなことを確かめるすべはあるのか。

 ない。あるのかもしれないが思いつかない。というか何も考えたくない。自分の脳ミソがあんな夢を見せたなどと認めるくらいなら、世界がぶっこわれたと言われたほうがだんだんマシに思えてきた。今すぐだれかに逆ギレしたい。

 目覚まし時計を持ち上げて現時刻を確認、午前二時十三分。

 ……よう。

 俺は布団を頭までかぶり、わたったのうずいすいみんを要求した。



 いつすいも出来なかったけどな。

 そんなわけで俺は今、うようにして今日も不元気に坂道を登っている。正直、ツライ。ちゆうで谷口に会ってバカ話をされなかっただけマシと思おう。かんかん照りの太陽はりちかくゆうごう全開だ。少しは休めばいいのに。

 来て欲しいときに来なかったすいろういまごろ俺の頭の上をせんかいしている。一限を何分聞いていられるか、かなり疑問だ。

 校舎が見えてきた時、俺は不覚にも立ち止まってしみじみと古ぼけた四階建てをながめてしまった。汗だらけになった生徒たちが巣穴に向かうアリの行列のように吸い込まれていくげんかんも、部室とうも、渡りろうもちゃんとそのままだ。

 俺は足を引きずり引きずり、よたよたと階段を上がってなつかしむべき一年五組の教室へ向かい、開けっ放しの戸口から三歩歩いたところでまた立ち止まった。

 まどぎわ、一番後ろの席に、ハルヒはすでに座っていた。何だろうね、あれ。ほおづえをつき、外を見ているハルヒの後頭部がよく見える。

 後ろでくくったくろかみがちょんまげみたいにき出していた。ポニーテールには無理がある。それ、ただくくっただけじゃないか。

「よう、元気か」

 俺は机にかばんを置いた。

「元気じゃないわね。昨日、悪夢を見たから」

 ハルヒはへいたんな口調でこたえる。それはぐうなことがあったもんだ。

「おかげで全然寝れやしなかったのよ。今日ほど休もうと思った日もないわね」

「そうかい」

 かたにどっかとこしを下ろし、俺はハルヒの顔をうかがった。耳の上から垂れるかみが横顔をおおっていて表情が解りにくい。ただ、まあ、あんまりじようげんではなさそうだ。少なくとも、顔の面だけは。

「ハルヒ」

「なに?」

 窓の外から視線を外さないハルヒに、俺は言ってやった。

「似合ってるぞ」

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