第七章⑥

 しばしほうけた後、俺はキーボードを引き寄せた。指をすべらせる。

『ああ』

 YUKI.N〉そっちの時空間とはまだ完全には連結を絶たれていない。でも時間の問題。すぐに閉じられる。そうなれば最後。

『どうすりゃいい』

 YUKI.N〉どうにもならない。こちらの世界の異常な情報ふんしゆつは完全に消えた。情報統合思念体は失望している。これで進化の可能性は失われた。

『進化の可能性ってな結局何だったんだよ。ハルヒのどこが進化なんだ』

 YUKI.N〉高次の知性とは情報処理の速度と正確さのこと。有機生命体にずいする知性は肉体から受けるさくとノイズ情報が多すぎて処理に制限がかかる。それ故に一定以上のレベルで進化はストップする。

『肉体がなければいいのか』

 YUKI.N〉情報統合思念体は初めから情報のみによって構成されていた。情報処理能力は宇宙が熱死をむかえるまで無限にじようしようすると思われた。それは違った。宇宙に限りがあるように進化にも限りがあった。少なくとも情報による意識体である以上は。

『涼宮は、』

 YUKI.N〉涼宮ハルヒは何もないところから情報を生み出す力を持っていた。それは情報統合思念体にもない力。有機体に過ぎない人間が一生かかっても処理しきれない情報を生み出している。この情報創造能力をかいせきすれば自律進化への糸口がつかめるかもしれないと考えた。

 カーソルがまたたいた。どこかためらう気配を感じさせて、次の文字が流れる。

 YUKI.N〉あなたにける。

『何をだよ』

 YUKI.N〉もう一度こちらへ回帰することを我々は望んでいる。涼宮ハルヒは重要な観察対象。もう二度と宇宙に生まれないかもしれない貴重な存在。わたしという個体もあなたには戻ってきて欲しいと感じている。

 文字が薄れてきた。弱々しく、カーソルはやけにゆっくりと文字を生んだ。

 YUKI.N〉また図書館に

 ディスプレイが暗転しようとしていた。とっさに明度を上げてみても。最後に長門の打ち出した文字が短く、

 YUKI.N〉sleeping beauty


 カカカ、ハードディスクが回り出す音に俺は飛び上がりそうになる。アクセスランプがめいめつし、ディスプレイには見慣れたOSのデスクトップ表示。パソコンのれいきやくファンが立てるうなりだけがこの世の音のすべてだった。

「どうしろってんだよ。長門、古泉」

 俺は腹の底からこみ上げるため息をついて、何気なく、本当に何気なく窓を見上げ、


 青い光が窓のわくないくしていた。


 中庭に直立する光のきよじん。間近で見るそれはほとんど青いかべだった。

 ハルヒが飛び込んできた。

「キョン! なんか出た!」

 まどぎわに立ちつくす俺の背中にぶつかるようにして止まったハルヒはとなりに並んで、

「なにアレ? やたらでかいけど、かいぶつ? しんろうじゃないわよね」

 興奮した口調だった。先ほどまでのしようぜんとした様子がうそのよう。不安など感じていないように目をかがやかせている。

「宇宙人かも、それか古代人類が開発したちよう兵器が現代によみがえったとか! 学校から出られないのはあいつのせい?」

 青い壁が身じろぎする。高層ビルをじゆうりんする光景がのうでフラッシュバック、俺はとっさにハルヒの手を取ると部屋から飛び出した。

「な、ちょっ! ちょっと、何?」

 転がるようにろうに出る、と同時にごうおんが大気をしんどうさせ、俺はハルヒを廊下に押したおしておおかぶさった。びりびりと部室とうれる。かたく重たいものが地面にげきとつするしようげきと音が廊下を伝わって俺に届いた。その度合いからして巨人のこうげき目標になったのは部室棟ではない、多分向かいの校舎だ。

 俺は口をパクパク開閉させているハルヒの手をにぎって起こし、走り出した。ハルヒは意外におとなしくついてくる。

 あせばんでいるのは俺のてのひらか、それともハルヒか。

 古びた部室棟の中はほこりにおいすらしない。階段目指して全力ダッシュする俺は二回目のかい音を聞く。

 ハルヒの体温を掌に感じながら階段をけ下り、中庭を横切ってスロープからグラウンドへ出た。横目でうかがったハルヒの顔は、俺の気の迷いなのかどうなのか、なぜだか少しうれしがっているように思える。まるでクリスマスの朝、まくらもとに事前に希望していた通りのプレゼントが置かれていることを発見した子供のように。

 校舎からとりあえずのきよをとるまで走り続ける。あおいで見ると、巨人の大きさがさらによくわかった。だいたい古泉に連れられて行った場所では、あいつは高層ビルほどもあったのだ。

 巨人が手を振り上げ、こぶしを校舎にたたきつけた。最初のいちげきによって縦に割れていた四階建てのやすしんはいとも簡単にほうかいした。破片が四方八方に飛び散ってみみざわりな音を立てる。

 二百メートルトラックの真ん中まで進んで、俺たちはあしを止めた。うすぐらいモノトーンのキャンバスにそこだけがじようだんのように青い巨大な人型がかび上がっている。

 写真にるならこの情景だと俺は思った。朝比奈さんの胸をつかむコンピュータ研の部長ではなく、ましてや朝比奈さんのコスプレ姿でもなく、この映像こそをホームページにり付けるべきだろう。

 そんなことを考えている俺の耳にハルヒの早口が届いた。

「あれさ、おそってくると思う? あたしにはじやあくなもんだとは思えないんだけど。そんな気がするのね」

「わからん」

 答えながら俺は考えていた。最初に俺をへい空間へと導いた古泉は説明した。《神人》の破壊活動をほったらかしにしていれば、やがて世界が置きわってしまう、と。この灰色世界が今までいた現実世界に取って代わってしまい、そうして……。

 どうなってしまうと言うのだろう。

 さっきの古泉によると、新しい世界がハルヒによって創造されるのだと言うことらしい。そこには俺の知っている朝比奈さんや長門はいるのだろうか。それか、目の前にいる《神人》が自在にかつし、宇宙人や未来人やちようのうりよく者やらがつうにそこらをブラブラしているような、非日常的な風景が常識としてむかえ入れられるような世界になるのか。

 そんな世界になったとして、そこで俺の果たす役割は何なのか。

 考えるだけのようにも思える。解るわけがないからだ。ハルヒが何を考えているのかなんて、他人の思考を読めるほど俺は達者な人間ではない。俺には何の芸もない。

 考え込む俺の耳元でハルヒのほがらかな声が、

「何なんだろ、ホント。この変な世界もあの巨人も」

 お前が生み出したものらしいぜ、ここも、あいつもな。それより俺がきたいのは、なぜ俺を巻き込んだかということだ。アダムとイヴだと? アホらしい。そんなベタな展開を俺は認めない。認めてたまるか。

「元の世界にもどりたいと思わないか?」

 棒読み口調で俺は言った。

「え?」

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