第七章③

 マイナス273度くらいに冷え切った声が俺と朝比奈さんをこおり付かせた。通学かばんを肩に引っかけた体操服のハルヒが父親のかん現場をもくげきしたような顔で立っていた。

 止まっていた朝比奈さんの時間が動いた。メイド服のスカートをぎこちなくらせて俺の背中から離れた朝比奈さんはロボット歩きで後ずさり、バッテリー切れ寸前のASIMOアシモのように、かくんと椅子に座り込んだ。そうはくの顔が今にも泣きそうになっている。

 ふん、と鼻息をいて、ハルヒは足音高く机に近寄って俺を見下ろし、

「あんた、メイドえだったの?」

「なんのこった」

えるから」

 好きにしたらいい。朝比奈さんがれてくれた番茶を飲んでくつろぐ俺。

「着替えるって言ってるでしょ」

 だから何なんだ。

「出てけ!」

 ほとんど飛ばされるように俺はろうへ転がり、鼻先であらあらしくドアが閉められた。

「なんだ、あいつ」

 湯飲みを置くヒマもなかった。俺は茶色の液体でれたシャツを指でつまみ上げて、ドアに背をあずけた。

 このかんはなんだろう。何か日常と違うところが感じられてならない。

「あー、そうか」

 教室でも堂々と着替えをおっぱじめるハルヒが、わざわざ俺を部室から放りだしたのが引っかかっているのだ。

 はて。どういう心境の変化だろ。それともいつしかじらいを覚えるおとしごろになったのか。相変わらず五組の男は体育の時間前にはだつのごとく教室から飛び出すのが習慣になってるから解りようもない。そう言えばその習慣を植え付けた朝倉ももういないんだな。

 持ったままの湯飲みをリノリウムの廊下に置いて、俺は片あぐらをかいた。

 しばらく待って、部屋でごそごそする気配が止まっても中に入れと言う声がかからず、俺がぼんやりひざかかえて待つこと十分、

「どうぞ……」

 朝比奈さんの小さな声がドアしに聞こえた。本物のメイドよろしくとびらを開けてくれた朝比奈さんのかたしに、たいしておもしろくもなさそうに机にひじをついたハルヒの白く長いあしが見える。頭で揺れるウサ耳。なつかしのバニーガール姿。めんどうくさいのか、カラーやカフス抜き、あみタイツなしの生足で、しかし耳だけはしっかりつけたバニースタイルのハルヒが足を組んで座っていた。

「手と肩はすずしいけど、ちょっと通気性が悪いわね、この衣装」

 と言って、ハルヒはずるずると湯飲みの茶をすする。長門がページをパラリとめくった。

 バニーガールとメイドさんに囲まれ、どうしていいものやら見当もつかない。どっかでこの二人を客引きのバイトにでもあつせんしたらもうかりそうだなと考えていると、

「うわ、なんですか」

 笑顔のままでとんきような声をあげるというかいな反応をしつつ、古泉が現れた。

「あれ、今日は仮装パーティの日でしたっけ。すみません、僕、何の準備もしてなくて」

 話をややこしくするようなことを言うな。

「みくるちゃん、ここに座って」

 ハルヒが自分の前のパイプを指し示す。朝比奈さんは明らかにおどおどと、おっかなびっくりハルヒに背を向けて椅子に座った。何をするのかと思ったら、おもむろにハルヒは朝比奈さんのくりいろかみを手にとって、三つ編みにい始めた。

 この場面だけを切り取れば、まるで妹の髪をセットしてやっている姉、みたいな美しいぜいだが、いかんせん朝比奈さんは表情をこわばらせているし、ハルヒはぶつちようづらだ。単に三つ編みメイドにしたいだけだろう。

 底の浅いみでその風景を見ている古泉に俺は問いかけた。

「オセロでもやるか」

「いいですね。久しぶりです」

 俺たちが白と黒のそうせんをひたすらり返している間(光の玉に変化出来るくせに古泉はやたらに弱かった)、ハルヒは朝比奈さんの髪を結ったりほどいたりツインテールにしたり団子にしたりして遊び(ハルヒの手がれるごとに小さくふるえる朝比奈さん)、長門はいつしゆんたりともおもてを上げずに読書にひたっていた。

 何の集まりなんだか、ますますわからなくなってきた。



 そう、その日、俺たちは何のへんてつもないSOS団的活動をして過ごした。そこには空間をゆがめる情報がどうとか言う宇宙人も未来からの訪問者も青いきよじんと赤い球体も何も関係なかった。やりたいことも取り立てて見当たらず、何をしていいのかも知らず、時の流れに身をまかすままのモラトリアムな高校生活。当たり前の世界、へいぼんな日常。

 あまりの何もなさに物足りなさを感じつつも、「なあに、時間ならまだまだあるさ」と自分に言い聞かせてまたまんぜんと明日をむかえる繰り返し。

 それでも俺はじゆうぶん楽しかった。無目的に部室に集まり、小間使いのようによく動く朝比奈さんをながめ、仏像のように動かない長門を眺め、じんちくがい微笑ほほえみの古泉を眺め、ハイとローの間をいそがしく行き来するハルヒの顔を眺めているのは、それはそれで非日常のかおりがして、それは俺にとってみように満足感をあたえてくれる学校生活の一部だった。クラスメイトに殺されそうになったり、灰色の無人世界で暴れる化け物に出会ったりなんぞ、そうそうありやしないだろうしな。あれがげんかくさいみん術や白昼夢でないとは断言しきれないが。

 涼宮ハルヒとその一味みたいに呼ばれるのはごうはらだが、色んな意味でこんな面白い連中といつしよにいれるのは俺だけだ。なぜ俺だけなのかという疑問はこの際わきに置いておく。そのうち俺以外の人間の参加もあるかもしれん。

 そうさ、俺はこんな時間がずっと続けばいいと思っていたんだ。

 そう思うだろ? つう

 だが、思わなかったやつがいた。

 決まっている。涼宮ハルヒだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る