第六章⑦

 三十階建ての商業ビルよりも頭一つ高い。くすんだコバルトブルーのそうしんは発光物質ででも出来ているのか、内部から光を放っているようだ。りんかくもはっきりしない。目鼻立ちといえるものもない。目と口があるらしき部分がそこだけ暗くなっているほかは、ただののっぺらぼうだ。

 何だ、アレは。

 あいさつでもするように、巨人は片手をゆるゆると上げ、なたのようにり下ろした。

 かたわらのビルを屋上から半ばまでたたき割り、うでを振る。コンクリートと鉄筋のれきがスローモーションで落下、ごうおんとともにアスファルトに降り注ぐ。

「涼宮さんのイライラが具現化したものだと思われます。心のわだかまりが限界に達するとあの巨人が出てくるようです。ああやって周りをぶちこわすことでストレスを発散させているんでしょう。かと言って、現実世界で暴れさせるわけにもいかない。大さんになりますかね。だからこうして閉鎖空間を生み出し、その内部のみでかい行動をする。なかなか理性的じゃないですか」

 青い光の巨人が腕を振るたびにビルたちは半分からへし折られてほうかいし、崩壊したビルのざんがいみつぶしながら巨人は足を踏み出した。建物がひしゃげるにぶい音は聞こえても、巨人の足音は不思議と響いて来ない。

「あれくらいの巨大な人型になると、物理的には自重で立つことも出来ないはずなんですがね。あの巨人はまるで重力がないかのように振るうんです。ビルを破壊出来るということは質量を持っているはずなんですが、いかなるくつもあれには通用しませんよ。たとえ軍隊を動員したとしても、あれを止めることは出来ないでしょう」

「じゃ、あれは暴れっぱなしなのか」

「いいえ。僕がいるのはそのためでもあるのですから。見てください」

 古泉は指を巨人に向けた。俺は目をらす。さっきまではなかった、赤い光点がいくつか巨人の周りをせんかいしていた。高層ビルとする雲つく青い巨人に比べると、ゴマつぶみたいなわいしような球状の赤い光。五つまでは数えれたが、動きが速すぎて目で追いきれない。衛星のように巨人を周回する赤い点は、まるで巨人の行く手をさえぎるような動きを見せていた。

「僕の同志ですよ。僕と同じように涼宮さんによって力を与えられた、巨人をる者です」

 赤い光の粒は、たんたんと街並みを破壊する青い巨人が振り回す両腕をたくみにかいしながら、急激にどうを変えて巨人の身体からだとつげきけていた。巨人の身体はまるで気体で出来ているようだった。やすやすとかんつうする。

 だが巨人は自分の顔の前を飛び回る赤い球体など目に入らない様子で、こうげきを無視、義務的な動作でまた一つのデパートビルに手刀を振り下ろした。

 複数のしやつこういつせいに突撃してもその動きは変わらない。巨人は体中を速すぎてレーザーのようにも見える赤い光につらぬかれていたが、遠目からではどんなダメージを受けているのかはまったく解らなかった。巨人の身体には穴すら開いていないように見える。

「さて、僕も参加しなければ」

 古泉の身体から赤い光がみ出していた。オーラが可視光線なんだとしたら、まさにそんな感じだ。発光する古泉の身体はたちまちのうちに赤い光の球体に飲み込まれ、俺の目の前に立っているのは、もはや人間の姿ではなく、ただの大きな光の玉だった。

 デタラメだな、もう。

 ふわりとき上がった赤い光球は、俺に目配せでもするように二三度ばかり左右にれると、残像すら残らないスピードで飛び去った。一直線に、巨人へ向けて。

 古泉のなれの果てを加えた赤い光群は一秒もじっとしていないため総数を数える気にもならないが、二けたってことはないだろう。かんに巨人への体当たりアタックをかましているもののけるばかりで何かの効果を上げているようには思えない、と俺がぼうかんしていると、赤い玉の一つが巨人の青い腕、ひじの辺りに取りついて、そのまま腕に沿って一周した。

 ゆらあり、と巨人の片腕が肘から切断され、あるじを失ったきよわんが地面に落下していく、と思いきや、青い光がモザイク状にきらめきながら、腕は厚みを失って、日向ひなたに置いた雪の欠片かけらのように消えた。肘を失った切断部から気体のような青いけむりがゆっくりとしたたっているのは、あれは巨人の血液だろうか。げんそう的と言えなくもない光景である。

 赤い玉たちはちよとつもうしんから切り刻み攻撃にしゆう変えをしたようで、犬にたかるノミみたいに一斉に巨人の身体にピタリと身を寄せると、青い光を切り刻み始める。巨大な顔に赤い線がななめ走り頭部がずり落ちる。かたほうらくし、たちまちのうちに上半身はかいなオブジェと化した。切断された部位はモザイクとなって広がり、そしてしようめつする。

 青い光が立つ辺り一面がこうになっているおかげでしやへい物がなく、俺は一部始終を観劇することが出来た。身体の半分以上を失ったと同時に巨人、崩壊。ちりよりも小さく分解し、後には瓦礫の山が残されるばかりだった。

 上空を旋回していた赤い点々は、それを見届けると、四方に散った。大半はすぐに見えなくなったが一つが俺に向かって飛んできて、雑居ビルの屋上になんちやくりくを決めると赤い光がパトランプからコタツ強、弱へと明るさを弱め、すっかり光の放出をやめたとき、そこに立っているのは、気取った手つきでかみをなでつけているいつもの微笑ほほえみを浮かべた古泉なのだった。

「お待たせしました」

 息一つ乱れていない。

「最後に、もう一つおもしろいものがれますよ」

 空を指さした。これ以上何があるんだと思いながら、俺はダークグレー一色に染まった天空を見上げ、それを見た。

 最初に巨人を見かけた辺り、その上空にれつが入っていた。卵からしようとしているひなどりがつついたようなひび割れ。亀裂は蜘蛛くもの巣状に成長していた。

「あの青いかいぶつの消滅にともない、へい空間も消滅します。ちょっとしたスペクタクルですよ」

 古泉の説明口調が終わるかどうかのうちに、亀裂は世界をおおくしていた。まるで金属製の巨大なザルをすっぽりかぶせられた気分だ。あみの目が細かくなっていき、ほぼ黒いわんきよくとしか思えなくなったその直後、

 パリン。

 音はしなかった。だが俺はガラスがくだけるようなおんのうに感じた。天頂の一点から明るい光がいつしゆんにして円形に広がる。光が降ってくる、と思ったのはちがいで、ドーム球場の開閉式の屋根が数秒もしないで全開された、というのが近い。ただし屋根だけではなく建物すべてが。

 つんざくようなそうおんまくを打って、俺は反射的に耳を押さえた。だがその音は無音の世界でしばらく過ごしたことによる単なるさつかく、日常のけんそう

 世界は元の姿を取りもどしている。

 くずれ去った高層ビルも灰色の空も空飛ぶ赤い光もどこにもない。道路は車と人の山でごった返し、ビルの合間には見慣れたオレンジ色の太陽がかがやき、世界をあまねく照らすその光はおんけいを受ける物体すべてに長いかげを生じさせていた。

 風がいていた。



わかっていただけましたか?」

 雑居ビルを後にした俺たちの前にうそみたいに止まったタクシーに乗り込みながら古泉がいた。見覚えのある無口な運転手。

「いいや」と俺は答えた。本心から。

 そう言うと思いました、と古泉は笑いをふくんだ声で、「あの青い怪物──我々は《しんじん》と呼んでいますが──は、すでにお話ししたとおり涼宮さんの精神活動と連動しています。そして我々もまたそうなんです。閉鎖空間が生まれ、《神人》が生まれるときに限り、僕は異能の力を発揮出来る。それも閉鎖空間の中でしか使えない力です。例えば今、僕には何の力もありません」

 俺はだまって運転手の後頭部をながめていた。

「なぜ我々にだけこんな力が備わったのかは不明ですが、多分だれでもよかったんでしょう。宝くじに当たったみたいなものです。とうてい当たりそうにない低確率でも、誰かには命中する。たまたま僕に矢がさっただけなんですよ」

 因果な話です、と言って古泉はしようかべ、俺は黙り続けた。何と言っていいものやらさっぱりだ。

「《神人》の活動を放置しておくわけにはいきません。なぜなら、《神人》がかいすればするほど、閉鎖空間も拡大していくからです。あなたがさっき見たあの空間は、あれでもまだ小規模なものなのです。っておけばどんどん広がっていって、そのうち日本全国を、それどころか全世界を覆い尽くすでしょう。そうなれば最後、あちらの灰色の空間が、我々のこの世界と入れわってしまうのですよ」

 俺はようやく口を開いた。

「なぜそんなことが解る」

「ですから、解ってしまうのだからしょうがありません。『機関』に所属している人間はすべてそうです。ある日とつぜん、涼宮さんと彼女がおよぼす世界へのえいきようについての知識と、それからみような能力が自分にあることを知ってしまったのです。閉鎖空間の放置がどのような結果をもたらすのかもね。知ってしまった以上はなんとかしなければならないと思うのがつうですよ。僕たちがしなければ、確実に世界はほうかいしますから」

 困ったものです、とつぶやいて、古泉も黙り込んだ。

 それきり俺の自宅にとうちやくするまで、俺たちは窓を流れる日常の風景を眺め続けた。

 車が止まって俺が降りるきわになって、

「涼宮さんの動向には注意しておいて下さい。ここしばらく安定していた彼女の精神が、活性化のきざしを見せています。今日のあれも、久しぶりのことなんですよ」

 俺が注意しててもどうこうなるもんでもないんじゃないのか?

「さあ、それはどうでしょうか。僕としてはあなたにすべてのゲタを預けてしまってもいいと思ってるんですがね。我々の中でも色々とおもわくさくそうしておりまして」

 半分ほど開いたドアから身を乗り出していた古泉は俺が言い返すよりも早く頭を引っ込めた。ドアが閉まる。都市伝説にありそうなゆうれいタクシーのように走り去る車を見送るのもバカらしく、俺はさっさと自宅に戻った。

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