第六章⑤

 ありえないくらいのタイミングの良さで通りかかったタクシーを古泉が止め、俺とやつを乗せた車は国道を東へと向かっている。乗りぎわに古泉が口にした地名は、県外にある大都市のものであり、電車で行ったほうがはるかに安上がりにちがいないのだが、どうせはらいはこいつ持ちだ。

「ところで、いつぞやの約束って何だっけ」

ちようのうりよく者ならそのしようを見せてみろとおっしゃったでしょう? ちょうどいい機会がとうらいしたもんですから、お付き合い願おうと思いまして」

「わざわざ遠出する必要があるのか?」

「ええ。僕が超能力者的な力を発揮するには、とある場所、とある条件下でないと。今日これから向かう場所が、いい具合に条件を満たしているというわけです」

「まだハルヒが神様だとか思ってんのか」

 後部座席に並んで座っている古泉は、俺に横目をくれて、

「人間原理という言葉をご存じですか?」

「ご存じでないな」

 ふっといきぎみたいな笑い声を上げて、古泉は言った。

せんめて言えば、『宇宙があるべき姿をしているのは、人間が観測することによって初めてそうであることを知ったからだ』という理論です」

 ちっともわからん。

「我観測す、ゆれに宇宙あり。とでも言いえましょうか。要するに、この世に人間なる知的生命体がいて物理法則や定数を発見し、宇宙はこのようにして成っていると観測出来て初めて宇宙そのものの存在が知られたわけです。ならば宇宙を観測する人類がもし地球でここまで進化することがなかったら、観測するものがいない以上、宇宙はその存在をだれにも知られることがない。つまりあってもなくても同じことになってしまう。人類がいるからこそ宇宙は存在を認められている、という人間本位的なくつのことです」

「そんな無茶な話があるか。人類がいようがいまいが、宇宙は宇宙だろう」

「その通りです。だから人間原理は科学的とは言えません。さく的な理論にすぎない。しかしおもしろい事実がここからじようします」

 タクシーが信号で止まる。運転手は前を見たまま、俺たちをいつだにしない。

「なぜ宇宙は、こうも人類の生存に適した形で創造されたのか。重力定数がわずかでも小さいか大きいかしていたなら、宇宙がこのような世界になることはなかったでしょう。あるいはプランク定数が、あるいはりゆうの質量比が、まさに人間にとってうってつけとしか言いようがない値をとっているゆえに世界はあり、人類もある。不思議なことだとは思いませんか?」

 俺は背中がむずがゆくなるのを感じた。何だか科学かぶれした新興宗教のパンフレットにありそうなうたい文句だ。

「ご安心を。僕は全知全能たる絶対神が人間の造物主である、などとしんこうしているわけではありません。僕の仲間たちもね。ただし疑ってはいます」

 何をだ。

「僕たちは、がけっぷちでつまさきちしている道化師のごとき存在なのではないかとね」

 俺がよほど変な顔をしていたのだろう。古泉はぜんそくにかかったにわとりのオスみたいな笑い声をひびかせ、

じようだんです」

「お前の言ってることは何一つとして理解出来ん」

 俺はハッキリ言ってやった。笑えないコントに付き合っているヒマはない。ここで俺を降ろすか、さっさとUターンしろ。出来れば後者がいい。

「人間原理を引き合いに出したのは、ものの例えですよ。涼宮さんの話がまだです」

 だから、どうしてお前も長門も朝比奈さんもハルヒがそんなに好きなんだ。

りよく的な人だとは思いますが。それは置いときましょう。覚えていますか、僕が、世界は涼宮さんによって作られたのかもしれないと言ったこと」

 いまいましいことだがおくには残っているようだな。

「彼女には願望を実現する能力がある」

 そんなことを大まじめに断言するな。

「断言せざるを得ません。事態はほとんど涼宮さんの思い通りに推移していますから」

 そんなはずがあるか。

「涼宮さんは宇宙人はいるにちがいない、そうであって欲しいと願った。だから長門有希がここにいる。同様に未来人もいて欲しいと思った。だから朝比奈みくるがここにいる。そして僕も、彼女に願われたからというただそれだけの理由でここにいるのですよ」

「だーかーら、何で解るんだよ!」

「三年前のことです」

 三年前はもういい。聞ききた。

「ある日、とつぜん僕は自分に、ある能力が備わったことに気付いた。その力をどう使うべきかも何故なぜか知っていた。僕と同じ力を持つ人間が僕と同様に力に目覚めたこともね。ついでにそれが涼宮ハルヒによってもたらされたことも。これは説明出来ません。解ってしまうんだから仕方がないとしか」

「一億万歩ゆずったとして、ハルヒにそんなことが出来るとは思えん」

「そうでしょうね。我々だって信じられなかった。一人の少女によって世界が変化、いや、ひょっとしたら創造されたのかもしれない、なんてことをね。しかもその少女はこの世界を自分にとって面白くないものだと思いこんでいる。これはちょっとしたきようですよ」

「なぜだ」

「言ったでしょう。世界を自由に創造出来るのなら、今までの世界をなかったことにして、望む世界を一から作り直せばいい。そうなると文字通りの世界の終わりが訪れます。もっとも僕たちがそれを知るすべもないでしょうが。むしろ、我々がゆいいつ無二だと思っているこの世界も、実は何度も作り直された結果なのかもしれません」

 信じられるか、と言う代わりに俺は別の言葉を作っていた。

「だったらハルヒに自分の正体を明かしたらいい。ちようのうりよく者が実在すると知ったら、喜ぶぞ、あいつ。世界をどうにかしようとは思わないかもしれん」

「それはそれで困るんですよ。涼宮さんが超能力なんて日常に存在するのが当たり前だと思ったなら、世界は本当にそのようになります。物理法則がすべてねじ曲がってしまいます。質量保存の法則も、熱力学の第二法則も。宇宙全体がメチャメチャになりますよ」

「どうにもわからないことがある」

 俺は言った。

「ハルヒが宇宙人や未来人や超能力者を望んだから、お前や長門や朝比奈さんがいるんだって言ったな」

「そうです」

「なら、なぜハルヒ自身はまだそれに気付いていないんだ。お前たちや、俺までが知っているのに。おかしいだろう」

じゆんだと思いますか。ところがそうではないのですよ。矛盾しているのは涼宮さんの心のほうです」

 解りやすく言え。

「つまるところ、宇宙人や未来人や超能力者が存在して欲しいという希望と、そんなものがいるはずないという常識論が、彼女の中でせめぎ合っているんですよ。彼女は言動こそエキセントリックですが、その実、まともな思考形態を持ついつぱん的な人種なんです。中学時代はすなあらしのようだった精神も、ここ数ヶ月は割に落ち着いて、僕としてはこのまま落ち着いていて欲しかったんですけどね、ここに来てまた、トルネードを発生させている」

「どういうわけだ」

「あなたのせいですよ」

 古泉は口だけで笑っていた。

「あなたが涼宮さんにみようなことを思いつかせなければ、我々は今もまだ彼女を遠目から観察するだけですんでいたでしょう」

「俺がどうしたって?」

あやしげなクラブを作るようにき込んだのはあなたです。あなたとの会話によって彼女はみような人間ばかりを集めたクラブを作る気になったのだから、責任のありかはあなたに帰結します。その結果、涼宮ハルヒに関心をいだく三つの勢力のまつたんが一堂に会することになってしまった」

「……ぎぬだ」

 我ながら力のこもらない反論。古泉はうすく笑いながら、

「まあ、それだけが理由ではないのですが」

 それだけ言って口を閉ざした。俺が続きを言えと言い出す前に、運転手が言った。

「着きました」

 車が止まり、ドアが開かれる。ざつとうの中に俺と古泉は降り立った。料金を受け取ることもなくタクシーは走り去ったが、俺は全然おどろかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る