第六章④

 ローカル線の線路沿いを歩いていくハルヒの二、三歩後に俺は位置し、目的地不明のウォーキングに付き従っている。このままでは俺の自宅からはなれるばかりなので、ハルヒにこれからどこに行くつもりなのかをたずねてみた。

「別に」

 答えが返ってきた。俺はハルヒの後頭部をながめたまま、

「俺、もう帰っていいか?」

 いきなり立ち止まるもんだから、もう少しでつんのめるところだった。ハルヒは長門みたいな無感動な白い顔を俺に向け、

「あんたさ、自分がこの地球でどれだけちっぽけな存在なのか自覚したことある?」

 何を言い出すんだ。

「あたしはある。忘れもしない」

 線路沿いの県道、そのまた歩道の上で、ハルヒは語り始めた。


「小学生の、六年生の時。家族みんなで野球を見に行ったのよ球場まで。あたしは野球なんか興味なかったけど。着いておどろいた。わたかぎり人だらけなのよ。野球場の向こうにいるこめつぶみたいな人間がびっしりうごめいているの。日本の人間が残らずこの空間に集まっているんじゃないかと思った。でね、親父おやじに聞いてみたのよ。ここにはいったいどれだけ人がいるんだって。満員だから五万人くらいだろうって親父は答えた。試合が終わって駅まで行く道にも人があふれかえっていたわ。それを見て、あたしはがくぜんとしたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体で言えばほんの一部に過ぎないんだって。家に帰ってでんたくで計算してみたの。日本の人口が一億数千ってのは社会の時間に習っていたから、それを五万で割ってみると、たった二千分の一。あたしはまた愕然とした。あたしなんてあの球場にいた人混みの中のたった一人でしかなくて、あれだけたくさんに思えた球場の人たちも実は一つかみでしかないんだってね。それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこよりもおもしろい人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気付いた。あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国のすべての人間から見たらつうの出来事でしかない。そう気付いたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。夜、歯をみがいてるのも、朝起きて朝ご飯を食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやってる普通の日常なんだと思うと、たんに何もかもがつまらなくなった。そして、世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ、そうに違いないと思ったの。それがあたしじゃないのは何故なぜ? 小学校を卒業するまで、あたしはずっとそんなことを考えてた。考えていたら思いついたわ。面白いことは待っててもやってこないんだってね。中学に入ったら、あたしは自分を変えてやろうと思った。待ってるだけの女じゃないことを世界にうつたえようと思ったの。実際あたしなりにそうしたつもり。でも、結局は何もなし。そうやって、あたしはいつの間にか高校生になってた。少しは何かが変わるかと思ってた」


 まるで弁論大会の出場者みたいにハルヒは一気にまくしたて、しやべり終えると喋ったことをこうかいするような表情になって天をあおいだ。

 電車が線路を走りけ、そのごうおんのおかげで俺は、ここはツッコムべきなのか何かてつがく的な引用でもしてごまかしたほうがいいのか、考える時間を得た。ドップラー効果を残して遠くへ去っていく電車を意味もなく見送って、

「そうか」

 こんなことくらいしか言えない自分がちょっとゆううつだ。ハルヒは電車が巻き起こしたとつぷうで乱れたかみでつけ、

「帰る」

 と言って、もと来た方向へ歩き出した。俺もどっちかと言えばそっちから帰ったほうが早く帰れるんだが。しかしハルヒの背中は無言で「ついてくんな!」と言っているような気がして、俺はただひたすらに、ハルヒの姿が見えなくなるまで──その場に立ちつくしていた。

 何をやってるんだろうね。



 自宅にもどると、門の前で古泉一樹が俺を待っていた。

「こんにちは」

 十年前からの友人みたいながおがそらぞらしい。制服に通学かばんというかんぺきな下校ちゆうスタイルで、れ馴れしく手をりながら、

「いつぞやの約束を果たそうかと思いまして。帰りを待たせてもらいました。意外に早かったですね」

「俺がどこに行ってたのか知ってるみたいな話し方だな」

 スマイルゼロ円みたいな笑みをたたえた古泉は、

「少しばかりお時間を借りていいでしょうか。案内したいところがあるんですよ」

「涼宮がらみで?」

「涼宮さんがらみで」

 俺は自宅のとびらを開けるとげんかんに鞄を置き、ちょうど奥から出てきた妹に、ちょっとおそくなるかもしれないことを告げ、また古泉のところへ取って返し、その数分後には車上の人となっていた。

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