第六章③

 女子と肩を並べて下校する、なんてのは実に学生青春ドラマ的で、俺だってそういう生活を夢に見なかったかと言うとうそになる。俺は現在その夢を実現させているわけなのだが、ちっとも楽しくないのはどうしたことだろう。

「何か言った?」

 俺のひだりどなりでメモを片手に大またで歩いているハルヒが言った。俺には、「何か文句あるの?」とでも言ってるように思える。

「いや何も」

 坂をずんずんと下って私鉄の線路沿いを歩いている。もう少し行けば光陽園駅だ。

 そろそろ長門の住んでるマンションだなと思っていたら、ハルヒは本当にその方角を目差し、ついに見覚えのある新築のぶんじようマンションの前で止まった。

「ここの505号室に住んでいたみたい」

「なるほどね」

「何がなるほどよ」

「いや何でも。それよりどうやって入るつもりだ。げんかんかぎ付きだぜ」

 と、俺はインターフォン横のテンキーの存在を教えてやる。

「あれで数字を入力して開ける仕組みだろ。お前ナンバー知ってんのか?」

「知らない。こういうときは持久戦ね」

 何を待つというのか、と思っていたら、そう待つこともなかった。買い物に行くらしいオバサンが中からとびらを開けて、棒立ちしている俺たちを気味悪そうにながめながら出て行き、その扉が閉まりきらないうちにハルヒがつま先を押し込んでストッパー代わりにする。

 あまりスマートな手口とは言えないな。

「早く来なさいよ」

 引きずり込まれるようにして俺はマンションの玄関ホールに立っていた。ちょうど一階に止まっていたエレベータに乗り込む。だまって階数表示を見つめるのがマナーだ。

「朝倉なんだけど」

 どうやらハルヒはそんなマナーなどおかまいなしのようだ。

「おかしなことがまだあるのよね。朝倉って、この市内の中学からきた高に来たんじゃないらしいのよ」

 そりゃまあそうだろうが。

「調べてみたらどこか市外の中学からえつきよう入学してたわけ。絶対おかしいでしょ。別に北高は有名進学校でもなんでもない、ただのありふれた県立高校よ。なんでわざわざそんなことするわけ?」

「知らん」

「でも住居はこんなに学校の近くにある。しかも分譲よ、このマンション。賃貸じゃないのよ。立地もいいし、高いのよ、ここ。市外の中学へここから通っていたの?」

「だから、知らん」

「朝倉がいつからここに住んでたのか調べる必要があるわね」

 五階にとうちやくし、505号室の前で俺たちはしばらく物言わぬ扉を眺めた。あったかもしれない表札は今はき取られ、無言で空き部屋であることを示している。ハルヒがノブをひねっていたが、当然開くはずもなく。

 どうにかして中に入れないかとうでを組むハルヒの横で俺はあくびをかみ殺していた。我ながら時間のなことをしていると思う。

「管理人室に行きましょ」

「鍵貸してくれるとは思えないけどな」

「そうじゃなくて、朝倉がいつからここに住んでんのか聞くためよ」

「あきらめて帰ろうぜ。そんなんわかったところでどうしょうもないだろ」

「ダメ」

 俺たちはエレベータで一階に取って返し、玄関ホールわきの管理人室へと向かった。ガラス戸の向こうは無人だったが、かべのベルを鳴らすと、ややあってはくはつをふさふさとさせた小さなじいさんがゆっくりゆっくり現れた。

 爺さんが何かを言うより早く、

「あたしたちここに住んでた朝倉涼子さんの友達なんですけど、彼女ったら急にしちゃってれんらく先とか解んなくて困ってるんです。どこに引っ越すとか聞いてませんか? それからいつから朝倉さんがここに入ってたのかそれも教えて欲しいんです」

 こういう常識的な口調も出来るのかと俺がかんたんしていると、耳の遠いらしい管理人に何度も「えっ?」「えっ?」とき返されながら、ハルヒは朝倉一家のとつぜんの引っ越しは管理人たる自分にもみみに水だったこと(引っ越し屋が来た様子もないのに部屋が空っぽになっておってぎもを抜かれたわ)、朝倉がいたのは三年ほど前からだったこと(めんこいおじようさんがわしんとこにめを持ってきたから覚えておる)、ローンはなくいつかつニコニコ現金ばらいだったこと(えれえ金持ちだと思ったもんだて)、などをしゆ良く聞き出していた。たんていにでもなればいい。

 爺さんはうら若き乙女おとめと会話することがよほど楽しいらしく、

「そう言えばお嬢さんのほうはたびたび目にしたが、両親さんとはついぞあいさつした覚えもないのー」

「涼子さんと言うのかね、あのむすめさんは。気だての良い、いい子だったのー」

「せめて一言別れを言いたかったのに、残念なことよのー。ところであんたもなかなか可愛かわいい顔しとるのー」

 とか、もはやジジイのごとの様相をていしてきて、ハルヒもこれ以上の情報提供は得られないと判断したのか、

「ごていねいにありがとうございました」

 はん的なおをして、俺をうながした。うながされるまでもなく、俺はハルヒにおくれてマンションを後にする。

「少年、その娘さんは今にきっと美人になる。取りがすんじゃないぞー」

 追ってくるジジイの声が余計だ。ハルヒの耳にも届いたはずで、それに何かのリアクションがあるかとビクビクしていたがハルヒは何をコメントすることもなくずんずんと歩き続け、見習って俺もノーコメントをせんたくし、げんかんから数歩歩いたところで、コンビニぶくろと学生かばんげた長門に出くわした。いつもは下校時間まで部室に残っているのが通例なのにこの時間にここにいるということは、あれから間もなくこいつも学校を出たのだろう。

「あら、ひょっとしてあんたもこのマンションなの? ぐうねえ」

 はくせきの表情で長門はうなずいた。どう考えても奇遇じゃないだろ。

「だったら朝倉のこと、何か聞いてない?」

 否定の仕草。

「そう。もし朝倉のことで解ったら教えてよね。いい?」

 こうていの動作。

 俺はかんづめや総菜のパックが入っているコンビニ袋を見ながら、こいつも飯食うんだなとか考えてた。

眼鏡めがねどうしたの?」

 その問いには直接答えず、長門はただ俺を見た。見られても困る。ハルヒもまともな回答が返ってくるとはハナから思っていなかったようだ。かたをすくめ後も見ずに歩き出す。俺は片手をヒラヒラとって長門に別れの意を表明し、すれちがいざま、長門は俺にだけ聞こえる小声で言った。

「気をつけて」

 今度は何に気をつければいいんだか、それを訊こうと振り返る前に、すでに長門はマンションに吸い込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る